④ー3中之町
④湖の城と海の島
3 中之町
鬱蒼と木々が生い茂る林を、一本道に従って歩き続けると、開けた町内に出る。潮の匂いに満ち、ぎちぎちに長屋が立ち並ぶ漁村とはうって変わって、遠くお山を背景とした盆地の町が、中之町と呼ばれるアズマの島のちょうど中心地点だ。
「この道を行った左手だ。俺は先に先生に話をしてくる」
ゼンの父はエミスを抱えたまま、小走りで先をゆく。磯の香りの中に、若干の瘴気が混じって残る。ここにくるまでの道中も、何かしらの魔術的治療を施し続けているようだ。独特の珍しい魔術。いつもなら喜んで分析にかかるところだが、フェリオは自らの傷を押さえ込むので手一杯だった。ラクスの騎士の斬撃は、幸い内臓には達していないようだが、肋骨ごと肌を引き裂いていた。無理矢理にでも魔術で繋いでしまう事もできなくはなかったが、そうすることに心理的抵抗が芽生えていた。人の領分を超えた魔術で自らを作り変えてしまうことが。傷の痛みよりも、むしろ恐怖を感じる。魔族として、魔術師として、おかしな話だ。心持を整理したいところだが、今はこの傷をなんとかしてもらいたい。だれる体をトバリがグッと持ち直す。
古びた外観だが、しっかりとした造りの大きな病院だ。三、四階建てほどの高さがある。正面の扉から入ると、中は陽が入らず薄暗かった。外から見た印象より、奥にずっと広い。そんな広い空間に対して人がおらず、薄暗さと相まって不気味さを醸し出していた。しんと静まり返った院内の奥で微かに物音がした。そこを目指して進み入る。
奥へ進むほど暗くなる廊下の先の部屋の一つから明かりが漏れている。
真っ白な処置室の診療台にエミスが裸で寝かされている。その火傷した腕を、丸メガネをかけた白衣の男が持ち上げて眺めているところだった。病院独特の医薬品の匂いの中に、エミスの体の焼けこげた匂いが混じっていく。両腕は、火が消えてだいぶ経つというのに、今だに煤けた煙を僅かに生じていた。内部で種火が燻っているのだ。
「おう、来たな」
トバリとフェリオに気づいたゼンの父は、ふたりを部屋の奥へ招き入れた。白いカーテンで仕切られた部屋の奥には、入り口では存在に気がつかなかったほど静かに、数人の看護師達が、黙々とフェリオの処置の準備を進めていた。
「うー、よっこらしょっと…」
フェリオがトバリに手を借りて診療台に上がると、合図もなしに囲まれ、そのまま流れるように処置が始まる。
「痛くしないでねー…」
口に麻酔を当てられながら、いつものように戯けて見せるが、すぐに眠りに落ちていく。
互いの腕がぶつかりそうな程密着して周りを囲む看護師達は、押し黙ったまま、カチャカチャと処置具の金属音だけを立てる。不気味だが敵意はないようだ。フェリオの治療は彼女達に任せると、トバリは仕切りを捲って、隣の様子を確認する。
「エミスさんの具合はいかがでしょうか」
トバリが声を掛けると、丸メガネの医師は目線を上げて呟くように答えた。
「こりゃ助からんな」
昼の間は、ゼンの実家の屋内でヨルとふたりで過ごした。と言っても、疲れ切っていた僕はほとんど寝かかっていた。ゼンの母は用事があるということで外出しており。娘二人は、朝食後すぐに学び舎に通学し、昼過ぎに帰って来ると、ヨルと三人で、わいわいと遊んでいる。長女アミと次女ミンの姉妹は、ヨルより年上だし、家事や家業の手伝いをよくしていとのことで、ずいぶんしっかりとしていて、たくましさすら感じた。それに甘んじて、つい、眠ってしまう。
「レベル20、スキルなし、空きスロット無し。そんなのがどうやってここまで…」
転生者は白く輝く剣を高く掲げる
待ってくれ!話を聞いてくれ!待って…
ゲントは首を下方へ傾けると、ため息を吐く
「あなたとは、…話す価値もない。理想なき人間は、為政者に従っていればそれでいい」
白剣が振り下ろされる。
傍らでフェリオが荒い息をして何とか立っている。腹部の出血を手で押さえているが、血は止まらない
足元ではエミスが両腕を焦がしながら倒れ込んでいる。この世で最も忌わしい煙の匂いに、頭がおかしくなりそうだ
そこへフェリオも倒れ込んでしまう
待って…、待ってくれよ。僕は…、僕のせいでふたりは、
激しく脈打つ胸の痛みと、全身の汗の不快感で目をさます。
外はまだ明るい。時間は、夕方前のようだ。奥の部屋からヨルたち三人の声が聞こえてくる。
できる事をしなくてはと、ウルクに手をかけてはみるが、瘴気で敵に察知される事もあると言われた事を思い出し、手を下ろす。ホークを見て、喪失を嘆いていた時から、何も進歩していない。僕は弱いまま、誰も護れないままだ。
「ただいまー。あら、そんなとこで寝て」
ゼンの母は両腕にいくつかの大袋を掛けて帰ってきた。
「寝汗やら、潮けやらで気持ちが悪いだろうけど、もうしばらく我慢しておくれね」
テキパキと荷物を片付けながら言う。一通り片付くと、包みが二つ残った。
「さ、場所を変えるよ」
「ヤダヤダー」
「ヨルちゃんうちに泊まればいいよー」
「何言ってんだい。あんた達の寝相の悪さでヨルちゃん潰れちまうよ」
「えー」
「ヤダヤダー」
僕らが出ていくと聞き、姉妹はヨルと離れる事を惜しんだ。ヨルは少し口角を上げてみせる。引き留められる嬉しさと、別れに慣れた顔。この子がこんな思いをしなくて済むようにしなくては。
「話しはつけてあるから、しばらくはそこで世話になんな」
「ありがとうございます」
「いいんさ。ただ、必要以上には出歩かないようにね」
何気ない仕草で、玄関から外の様子を確認している。
ヨルと二人、玄関に降りる。
「ヨルちゃーん」
「またねー、また遊ぼうねー」
「またね…」
「中之町にいるんだから、また会えるさね。ほら、あんた達は夕飯前に宿題済ませちゃいな。ちょっと出掛けてくるけど、隣には言ってあるから、なんかあったら行儀良くしとくんよ」
「はーい」
「ヨルちゃんまたね」
ゼンの母が大股でずんずん進んで行くのに着いて行く。早朝より人通りはあったが、皆、ヨルの髪色を見ても、気に留めていない様子だった。このクニには、ネグロのように魔族も暮らしているのだろうか。
林道を抜け、町へ出ると、そこからさらに山の方へ上がって行く。森の小道に入る。土の道を進むと、突如、石造りの階段が現れた。
「ここさね。もし迷ったら、恋寺って言えば、道を教えてもらえるよ」
「ここで?」
「ああ、ここで一旦お別れさね。住職には大体の事情は話してあるから、力になってくれるだろう」
ゼンの母は屈むとヨルの頭を撫でた。
「またいつでも遊びにおいで。あの子らの面倒も見てもらいたいもんね」
「うん」
「ありがとうございました。これも」
ゼンの母が僕ら二人のために用意してくれた包みを持ち上げる。当面の生活に必要なものを揃えてくれたのだ。
「おうよ」
石の階段を登りきると、森のかすみの中に寺があった。木と石で造られた建物は、見知った教会の造りとも違っている。人がいないので、まず中央の建物の中の様子を伺う。古い樹のいい匂いに満ちている。あとはお香だろうか、独特の癖のある香りも漂ってくる。初めてくる場所なのに、なぜか心が落ち着く。
「あのー!こんにちはー。どなたかいらっしゃいますか?」
「…こんにちは」
ふたりで声を掛けるが、返答はない。
「誰もいないね」
「ね」
そこへ、一人の老女が通りかかる。
「あ、あの!こんにちは」
「…あ?」
老女はギリギリこちらに気がつくと、歩いてくる。
「あの、ゼンのお母様に連れてきていただいたのですが」
「あ?何だって?」
「住職さんは、いらっしゃいますか?」
「アタシだよ」
「その、ゼンのお母様が、話を通して下さってるとのことだったんですが」
「知らないよ」
「えぇ…」
「い、きる!」
目を覚ましたエミスが、上体を起こす。直後に動かない両腕の痛みに顔を歪ませるが、声は漏らさない。
「…そのまま燃え尽きて死にますよ」
ベッドの傍らで文庫本を読んでいた丸メガネの医師は、パタンと本を閉じるとエミスに向き直った。窓から見える木の葉がそよぎ、気持ちのいい風が入ってくる。
エミスはゆっくりと両腕を前に出し、じっと見つめる。
混乱か、失望か。目を覚まし、自分の現実を知った時、負の感情に支配されるだろうと予想していた医師は、エミスの落ち着きぶりに驚き、メガネをそっと掛け直した。冷静に話が出来るようだ。
「自らの肉体を魔具として、魔術を顕現させる事。魔族にはそれができる。君は限界を超えた魔術を行使する為に、両腕を贄とした。その火は自身の肉体を燃え尽くすまで消えることはない」
エミスは黙って両の手を合わせる。手のひらから黒煙が上がる。
「その火は誰にも消すことができない。“燃え広がる”性質を持った魔術構文だ」
手の間から上がった火は、熱く燃え上がる。エミスはそっと瞳を閉じた。
「絶望しましたか?」
「みんなはどうしてる」
「君と一緒に来た魔術師の少年の処置は終わりました。無事です。他のお仲間は別の場所で待機されているとか」
「そうか。ならおれはもう行くぞ!」
エミスはベッドに立ち上がると、ぴょんと飛び降りる。
医師は手首の外側をこめかみに押し当ててマッサージした。
「お待ちなさい。君が助かるかもしれない手段が、あるにはある。それを伝えるために、君が起きるのを待っていたんだ。いや、すまないね。少しいぢめてやろうかと思ったんだがね。君には効果ないらしい」
エミスは病院着を脱ぎ捨てて、自分が着ていた服を探している。
「君の魔術を、違うやり方でコントロールする事。それが君の生存の可能性だ」
メラメラと燃える火を引っ込めて、医師の方へ向き直る。
医師も立ち上がるとエミスと向き合った。
「本来であれば適任者を探したいところだが、時間がない。僕が教えよう」
革手袋を取ると、両手の指を合わせ、その接触点に魔術が起こる。
「強くなれるのか」
「そう勇むなよ。院内は火気厳禁だぜ」




