①ー5アルク
①死と転生
5 アルク
僕はよく、騎士学校の講義をサボって、街の外へ出かけた。
騎士学校のあるジュアン国城下の街は、周りに城壁がなく、所々に衛兵の詰め所はあったが、ひたすら歩いて行けば郊外に出て行くことができた。
商人の家に生まれ、中流家庭で育った僕は、貴族の多い騎士学校になじんではいなかったが、別に彼らが嫌いだとか、学校に不満があるわけではなかった。ただ僕は、遠くに行ってみたかった。自分の生まれたこの世界のことが知りたい、一六あるという世界の国々を見て回りたい。騎士学校に入学したのも、騎士になれば、国外へ出る機会があるだろうという期待と、一人でも生きて行ける力をつけるためだった。国外に出るだけであれば、父のように商人になるのでもよいのだが、彼らは商談で国外へでる際には、必ず騎士に護衛してもらう。僕は自分の身は自分で守れるようになり、どこへでも、それこそ、危険な魔界にだって、ひとりで行けるようになりたかった。
郊外の森を進んでゆくと、獣や、時には魔獣と出会うこともあった。ジュアン国は西側を魔界に隣接し、その境界は深い森で覆われている。時々、境界を越えて魔獣がやってくるのだ。魔獣に襲われると、腰の剣で応戦した。魔獣を狩るために、僕の剣術はどんどん型が崩れて行った。騎士の剣術は、魔術を使うことが前提の動きで構成されていて、魔術を上手く扱えずに、諦めていた僕にとっては、無駄が多かった。魔獣を狩る中で、無駄な動きは省略されてゆき、ただ、相手の命の繋がりを、断ち切ることだけに特化した剣術になっていった。
騎士としての立ち居振る舞いを学ぶ騎士学校で、当然、僕のいい加減な剣術は、よくしかられたが、教官を試合で打ち負かしてからは、誰も何も言わなくなった。僕は不良として、ぎりぎりの成績で何とか学校生活をやり過ごしていった。
六年間、騎士学校で学んだ僕らにとって、卒業試験をかねた剣術大会で、僕は二位の成績を修めた。決勝の相手は、位の高い貴族家の長男だった。まるで世界の終わりであるかのような必死の形相で挑んでくる、その顔をみて、僕は戦意というものを喪失した。
ほとんど剣術の成績のみで進級してきた僕は、決勝で負けたために、もう騎士にはなれないのではと、心配もしたが、それはそれでもいいかなと思った。
予想に反して、僕はジュアン国騎士団四番隊に配属となった。剣術大会の試合をみた、ドゥガー騎士団長が推薦してくれたとのことだった。
ジュアン城にて、女王による騎士の叙任式が執り行われた。リーニャ姫をお見かけしたのはこの時が初めてであった。あまり見てはならないとは思いつつ、美しい彼女の姿を盗み見てしまった。王座のある広間で、女王陛下から、直接、ジュアン国騎士団の紋章が刻印された剣の魔具を賜った。とても良い魔具なのだが、僕は結局、多少切れやすくなる程度にしか、その剣の魔術を使えなかった。魔具には、ジュアン国の紋章の下に、もう一つ別の刻印もなされていた。魔王討伐軍のものである。
騎士の位を頂いた二週間後には、もう戦場にいた。国外へ出たいという僕の望みは叶い、ジュアン国の北西に位置する、フーモ国にやって来ていた。そこは数年前まで魔族の国だったが、今は魔王討伐軍として各国から集った騎士たちの、駐屯地がある。いくつもの大きなテントが立ち並んでいた。前線では戦いが激化しており、僕ら四番隊の仕事は、日々運ばれてくる負傷者の手当てから始まった。これだけ毎日前線から負傷者が運ばれてきて、国に帰ってゆき、前線の騎士の数は足りているのだろうか。これほど激しい戦いの最中に、六年間も騎士学校で学ばせてもらえていたことに驚いた。
負傷者の手当てをしては、国に送り返す。国から届く物資を、前線に運ぶ。そんな日々を過ごしているうちに、四番隊内でも離脱者がでるようになった。僕らのいる後衛のキャンプには、前衛の方から敵がやってくることはなかったが、左右から、魔王国軍の魔人や魔獣が襲ってくることがあった。週に一回、二、三体程度の頻度だったので、慣れてしまえばなんてことはないのだが、いざ殺し合いの現場に立った時に、落ち着いて剣を振るうことができる騎士は少なかった。負傷者の手当てと、魔族の奇襲で精神的に病んでしまい、国に帰るものがでた。
そんな生活を一年半ほど続けていたある日、事件が起きた。
夕方ごろ、僕はテント内で、負傷者の手当てをしていた。手当てと言っても、回復魔術の使えない僕は、魔術的処置の終わった負傷者に、薬を塗ったり、包帯を巻いたりしていた。
突然、外から悲鳴が聞こえたかと思うと、僕のいるテントに魔人が突っ込んできた。ゆっくりと立ち上がるその魔人は、牛のような顔に巨大な二本の角を生やし、手には大剣を持ち、応戦しようとする騎士の倍近い身長があった。手に持った大剣を軽々と扱い、近くの騎士を斬り飛ばすと、テント内をゆっくりと見まわした。他のテントにも敵が現れたようで、怒号や悲鳴が聞こえてくる。僕は姿勢を低くしたまま、魔人の背後に回り込み、背骨をめがけて剣を放った。
ガッ…。
鈍い音がして、僕の剣は止まった。魔人の肌は鎧のように硬く、刃が食い込まなかったのだ。振り下ろされる大剣を何とかかわし、距離をとる。今までやって来ていた魔獣や魔人とは明らかにレベルが違う。このレベルの魔人が他のテントにも、いくつもやって来ているのであれば、かなり危うい状況だ。幸い、負傷者が寝かされているこのテントの中で、魔人の注意は僕に向いている。向かってくる魔人の剣をかわしながら、テントの外に誘導する。
テントの外に出ると、複数の魔獣が駐屯地の中を走り回り、騎士が応戦していた。牛顔の魔人は、周りには目もくれず、僕をまっすぐ睨みつけている。状況からして、この魔人は僕一人で相手をする必要があるようだ。魔具に魔力を込める。さっきの不意打ちですら歯が立たなかったのだから、攻撃を工夫する必要がある。その上、相手は大剣の扱いに慣れている。あの一撃を食らえばそこで終わりだ。しかし、奴と僕との一対一。この場で僕らの命は対等だ。
僕が踏み込むと、即座に魔人も反応した。目を突こうとしたのは読まれ、大剣の突きが僕の左腕をかすった。後ろに回り込み、今度は腰を入れて横一文字に剣を振るったが、反応した魔人の大剣が、下から僕の剣を振り払った。あまりに強い衝撃に、剣を手放しそうになったが、何とか堪えて距離を取る。助けを呼ぶ仲間の声を背後に聞きながら、僕はもう一度構えた。魔人が一歩踏み出した、と思った瞬間、僕は吹き飛ばされた。
備品の入った箱から、体を起こすと上半身に激痛が走った。横から真っ二つにされたのかと思ったが、体は繋がっているようだ。とっさに騎士の剣術の守りの型をとったらしい。執拗に基本の型を指導してくれた教官に、心から感謝した。剣は折られたかと思ったが、近くに転がっていた。中央部分に傷がついたが、まだ、問題なく使える。剣を杖にして何とか立ち上がる。牛顔の魔人は、僕を倒したと思ったのか、背を向けて、別の獲物を探し始めていた。
「おい」
声を掛けると、魔人はゆっくりとこちらに向き直った。
「まだ終わってねぇよ」
「そうか」
牛顔の魔人は低い声を発した。話せるのか?話せるほどの知能を持った魔族と出会ったのは、その時が初めてだった。
「黙って切りかかればいいものを」
魔人は言いながら、大剣を構えた。
「騎士なんでね、一応」
正直、そうしたいのはやまやまだったが、僕にはもう、戦う力が残っていなかった。一秒でも長く、奴の気を引くことが、騎士としての使命だと感じていた。
「…僕たちは今、対等だよな?」
死を覚悟すると、言葉がこぼれた。それは、長年、胸の内に秘めてきたこと。頬を涙が伝う。
「魔王軍が人界を攻めるだとか、人界が勇者を召喚して魔界に攻め入るだとか、そんなのは、今、ここにはないよな?人が生きるために、獣を狩るように、命を頂いて、生き長らえるように、ただ自分が生きるためだけに殺すんだ」
魔人は黙って、じっと僕を見つめていた。
「命の営みの前に、僕らの命は対等だよな」
「この場所で、俺とお前は殺しあう。勝ったものが生き、負けたものが死ぬ。シンプルな話だ」
「そうか、よかった」
僕の腕は、震えながら、やっと剣を持ち上げた。涙を拭う。後悔はない。これが生きるということだ。
その時、横を通過していった魔獣に向かって、魔術の鳥が突っ込んでゆくのが見えた。魔獣は体勢を崩して倒れ込んだ。他にも魔術の鳥が、周りに飛翔し始めた。リーニャ姫の魔術だ。
最後の魔力を剣に込める。奴の硬い肌を斬るには、もっと威力がいる。しかし、勢いをつけるには時間がかかり、その間に、奴の大剣の餌食になる。一瞬の時間を稼がなければ。
魔人が踏み込むと、次の瞬間には、上から大剣が降ってくる。ぎりぎりでかわし、魔人の後ろに回り込む。ここで切りかかることも出来るが、それでは威力が足りない。
僕は剣を持ったままその場に両手をつき、腕の力も使って、さらに魔人の後ろに回り込んだ。体の周りを動きまわる相手を追って、魔人の大剣に一瞬の隙ができる。
僕は体をねじるように強く踏み込むと、体を横に一回転させながら、その勢いをのせて斬撃を放った。
剣は魔人の脇腹を切り抜く。
魔人は脇腹の傷を片手でおさえる。僕は息があがっていたが、何とか次の攻撃に備えて、剣を構えた。
「もう帰れよ、おまえ」
そう言うと、魔人は、一度は片手で大剣を構えたが、その腕を降ろした。
何か言いたげに、僕をじっと見た後、暗くなり始めた夜の闇の中に去って行った。
いつの間にか、陽は沈んでいた。キャンプ内には、まだ魔獣がいる。先ほどのような強い魔人もいるかもしれない。混乱する周囲を見渡しながら、ゆっくりと呼吸を整える。近くに魔獣が走ってくるのが見えた。並走して速度を合わせて斬りかかる。その勢いのまま魔獣と一緒にテント内へ突っ込んだ。
そのテントは、特に重症の者が寝かされている場所で、僕が突っ込むと悲鳴が上がった。重い体を何とか起こすと、そこにはリーニャ姫がいた。僕はすぐに片膝をついた。
「ご無事ですか、姫」
「大丈夫です。戦闘中ですよ、立ってください」
促されて、僕は立ち上がった。
「前線からお戻りだったんですね」
「ちょうど戻ってきたところです」
「援軍は?」
「前線は、ここの何倍もの数の魔王国軍と交戦中です。わたしたちだけで何とかします」
「数は?」
「残り、魔人が三、魔獣が四四」
あのレベルの魔人があと三体も残っているのか。
「皆で協力して戦えば、何とかなります」
リーニャ姫は僕の手をとって、回復魔術をかけ始める。先ほど無茶な振り方をしたために、僕の右手は内出血していた。
「分担は私が指示いたします」
リーニャ姫は魔術の鳥を飛ばして、キャンプ内の騎士達に指示を出し始めた。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
「それでは行きましょう」
戦いが終わる頃には、夜が明けていた。後衛キャンプは甚大な被害を出しつつも、何とか魔族を追い払った。リーニャ姫の的確な指示によって、騎士達は何とか戦況を立て直すことができた。
僕がキャンプのはずれに倒れて、明るくなってきた空をみていると、リーニャ姫がやってきた。僕にはもう、起き上がる力も残っていなかった。
「よく頑張ってくださいました」
「すみません、こんな格好で」
「いいんですよ」
そう言うと、彼女は僕に回復魔術をかけ始めた。彼女も相当消耗しているだろうに。ただ、意識がもうろうとしていて、それをやめさせることも出来なかった。
どれだけの時間がたったのか。目覚めると、テント内のベッドに寝かされていた。周りを見ると、一晩中共に戦った騎士達も同じように寝かされていた。
状況が知りたくて、ベッドから起き上がる。テントから出ると、入り口にはドゥガー騎士団長が座っていた。
「あ、お疲れ様です」
「おぉ、よくやったな。アルクだったか、剣術大会二位の」
「はい、四番隊所属のアルクです。」
「大活躍だったと聞いたぞ?」
「どうですかね。リーニャ姫に助けられました。姫は?」
「テントで休んでおられるよ。俺も今来たところでな。それまで見張りに立たれていたそうだ」
外はもう夜になっていた。
「お前もベッドに戻れ。明日になれば前線の皆も戻ってくる」
「前線の様子は?」
ドゥガー騎士団長は黙ってしまった。この後衛のキャンプに撤退するような戦況なのだろうか。
「まずは寝ろ。話はそれからだ」
僕はしぶしぶベッドに戻って眠りについた。
翌日、前線に出ていた騎士たちが、この後衛のキャンプまで戻ってきた。深い傷を負ったものも多く、戦闘の激しさを物語っていた。
僕はドゥガー騎士団長のテントに呼び出された。
「今回の戦闘で、前線に多くの死傷者がでた。部隊を再編する必要がある」
「はい」
「そこで、君には四番隊の隊長を任せようと思う」
「了解しました」
「以上だ。何か質問は?」
「前線に出るのでしょうか」
「いや、任務は今まで通り、前線への補給と、負傷者の警護だ」
今まで通り?これだけ日々負傷者が前線から送られてくるのに、前線に新たに加わる騎士の数が少なすぎる。
「あの…魔王討伐軍の作戦は、どなたが考えているのでしょうか」
「各国の国王と教会の上層部だが…。現場のことは勇者が仕切っている」
「そうですか」
その数日後、前線に物資の補給に行った際に、僕は勇者のいるテントに行った。二年近く後方支援をしていること。早く戦争を終わらせるために、もっと多くの騎士を前線に集めるべきだということ。後になって思えば、一番苦しい戦いを、先頭に立って続けている人に向かって、何を言ってるんだと、後悔するばかりだ。勇者タローは、僕の話を嫌な顔一つせずに聞いてくれた。その顔をみて、僕は最後に言ってはならないと思っていた言葉を口にした。
「僕は戦争が嫌なんです。戦争に参加しているうちに、自分自身が変えられてゆくのを、感じるんです」
それを言った時だけ、勇者はとても悲しそうな顔をした。
話を聞き終えると、勇者は、前線に若い騎士を新たに投入しないという彼の考えを、丁寧に話してくれた。異世界からやってきた勇者が、この世界の人々をどれだけ大切に思っているのかが、伝わってきた。
それから後、前線に補給に行った際に、タローさんと少しだが言葉を交わすようになった。
数か月後、僕が魔王討伐軍に参加して二年。タローさんが戦い続けて十三年。冬の終わりに、魔王は勇者に倒された。
ジュアン国に戻ってきた僕は、これからの人生について考えだしていた。騎士は歳を重ねるにつれて魔術の練度を上げてゆく。一方で、魔術の使えない僕は、自身の剣術にすら限界を感じ始めていた。それにもう、戦いはこりごりだ。
城内の廊下を、事後処理の書類を抱えて歩いていると、前から勇者が歩いてきた。その後ろには、おそらくジュアン国のものではないであろう、不思議な雰囲気を漂わせる双子がついてきていた。
「よう、アルク」
「こんにちは、タローさん」
タローさんの服の右腕の袖は、中身なく垂れさがっていた。
「俺たち、辺境で静かに暮らそうと思うんだが、どうだ、おまえも来るか?」
「はい」
彼の突然の提案に、僕は思わず乗ってしまった。
ジュアン国の都市部を離れ、深い森の中に入っていくと、そこには、メイドと小さな女の子がいた。まずは、住むための小屋を建てようと、作業を進めていると、エルフと王女がやってきた。タローさんの周りには、いつも人が集まってくる。
「“アルク”って、どういう意味があるんだ?」
小屋を建て終わると、タローさんが僕に聞いた。
「特に意味はありません。祖父の名前からとったそうです」
「そうか。俺が前にいた世界では、“歩く”ってのは、自分の足で進んでいくって意味なんだよ」
「自分の足で進んでいく…」
「これからは、おまえたちが、この世界を前に進めて行かなくちゃな」
彼は笑顔でそう言った。