③ー9三つの私
③湖の城と海の島
9 三つの私
母は、城仕えのメイドだった。
三歳の頃、母と共にラクス城に連れてこられた時の、母の細く乾いた手の感触が、私の最初の記憶。
厳しい顔つきで見下す国王だという男。四つ上の腹違いの兄の無表情な目線。貴族やメイド達のヒソヒソ話。ラクス城は、背の高い木々に囲まれて陽の差さない陰気な森のようだ。冷たい木陰の奥から、いつも何かがこちらを覗いている。
それからしばらく、母も城内で暮らしていたはずなのに、今では顔も思い出せない。
意思のない人形となった私をメイド達が整える。それこそ本当の人形のように。手早く、乱雑に、冷たく、痛く、整える。
冷たい海風の吹き荒ぶ列塔の森で。
私はひとり。
七歳になると、魔術の講師がついてレッスンが始まった。
誰も触れない、何もないと思っていたこの手に、魔術の光が灯った。
「彼女は素晴らしい才能の持ち主です。簡単な魔術書など、一度読めば誦んじてしまう」
目的を与えられ、私は魔術に没頭した。魔術書に書かれた魔術構文だけが、私に話しかけてくれているように思えた。一人だけど、一人じゃない、だから一人で生きて行ける。
二十歳になる頃には、国一番の使い手となっていた。一度だけ手合わせした兄、ヴィーゲンリートの剣を弾き飛ばすと、国王は私に魔族討伐の任を与えた。
魔術を唱え、剣を振おう。ただ、魔王のいるというアルバへ向かって。真っ直ぐ、真っ直ぐ進もう。
進むほど、木の根が足枷になり、枝が針となって身を裂く獣道。細く、長く、先細って険しくなる。
進もうとしても、体が動かなくなっていく。
私の人生の果て。
そこで彼に出会った。
「一緒に旅をしませんか」
「タロー、そのお方はラクスの王女殿下にあらせられる」
「王女って、王になるってこと?」
「いや、そうとは限らない。いや、失礼、彼はこの世界の常識に疎いもので…」
「王の奥さんが女王。娘が王女?王女が女王になったら…王、じゃなくて王女か。王の奧さんが王女?じゃあ女王の夫は王男?」
「何いってんだお前」
「旅?面白そうだ僕も入れてくれないかい?」
「盗んじゃダメだぞ」
「ひどいなぁ、人をドロボーみたいに言わないでおくれよ」
「それじゃその腕飾りをラプソディアに返してもらおうか」
「ハハ、ほんのジョークさ」
「来たぞ!ムート!」
「なんじゃ、また随分と変わりもんを集めたのぉ。よし、わしもそろそろ重い腰を上げるとするかのぉ」
人の声が増えて行く。人の声が近くなる。
「その手、痛くないか?」
頭からだらだら血を流しながら、タローが私の手のあかぎれを指さす。
「ムート!ハンドクリームある?」
「なんじゃあそりゃ」
「手用の塗り薬みたいな」
「またけったいなこと言いおってからに…。いや、あるいは儲かるかのぉ…」
私は大丈夫。
しかし、タローは私の手を取ると、ギフトで治療を始める。
暖かい手。陽の光がここにある。願くばこの旅が永遠に続きますように…。
広すぎるベッドで目を覚ますと、涙が顔に垂れていった。サイドテーブルの水の入った瓶に手が伸びるが、その冷たさに痛みすら感じる。乾ききった口は開く気にもならない。
ベットから足を下ろすと、窓から入る陽の光に手を当ててみる。
あの暖かさは、もうそこにはなかった。




