②ー2お届け
②黒の団と舞踏
2 お届け
操舵輪に軽く手を置いて、飛竜の背中越しに夜の闇を見る。ほとんど飛竜任せの為、たまに方向を確認するだけとはいえ、外は真っ暗で、前方からの風を遮るために設置されたガラス窓にうっすらと自分の姿が映るのみである。
ネグロを出航して二日目の夜。船内は静まりかえっている。甲板後方には、壁に仕切られたいくつかの部屋があり、ヨル、トバリ、エミス、フェリオの四人が眠りについている。甲板から階段を下ると船底のスペースに降りていける。ここには積み荷が置かれている。シャッツ、シーラ、ゼンの三人は、積み荷の入った箱で個人のスペース仕切り、そこで眠っている。甲板後ろの部屋には、まだいくつかベッドの空きがあるので、そこを使ってはどうかと提案したのだが、断られてしまった。僕らと商会メンバーの間には、まだ見えない線引きがある。
腰に下げた布製のケースから、杖を取り出す。“ホーク”、リーニャが残した彼女の勇器である。色の濃い硬い木で作られた杖には、艶があり、しなやかな強度を持つことがわかる。表面には、大木に絡まる蔦のような窪みが彫られており、よく見ると細かに魔術が幾重にも書き込まれている。僕が持っていても、魔術が使えないのだから意味がない。この杖の扱いをどうするか、フェリオに相談しようと思うのだが、なかなか言い出せずにいた。
リーニャは、自分の身が危ないとわかり、妹のエリナに杖を託したという。転生者のギフトにかなわないと判断し、勇器を残す選択をした。武器を持たずに転生者に立ち向かうことが、どれだけ恐ろしかっただろうか。それでも、他の女性達を護るために立ち向かった彼女のことを思うと、胸が引き裂かれそうになる。どうして自分はその場に駆けつけることができないのか。消されてしまった彼女の分、心に穴が開いてしまった。そして、それが自身の心の大部分を占めていたことに気づいた。杖が残ったところで、この虚無感がなくなるわけではない。それでも、杖を手放すことが恐ろしかった。リーニャがこの世界にいた事実すら、無くなってしまうようで。
(「お届け物リスト①ガラー・ライトエルフの里。家具、装備品など。レッタさん宛」)
ガラーの領空に入り、昼間の内は高度を落として、山の間を縫うように進んでいく。この先にライトエルフの里がある。以前、近くまでレッタを送っていった為、僕らがこの地に来るのは二度目であった。
ガラーの二つの高い山脈を囲うように点在するエルフの部族のうち、もっとも人族との交流があるのが、ライトエルフである。人族が見かけるエルフは、ほとんどがこのライトエルフで、長い耳以外、人族との見た目の違いはほとんどない。次いで高い身体能力を活かして、各地で傭兵として働くファイトエルフが知られているが、僕は見たことがない。
「レッタだ!」
窓から外を覗いていたヨルが、前方の山の中腹にレッタをみつける。その少し開けた場所に飛行船を降ろす。
「よう。こんなに早く、どうしたんだ?」
「レッタさんに、ムートさんからお届け物です」
「ふーん」
船から降りて周りを見ると、周囲の木々の影から複数のエルフたちがこちらの様子をうかがっているのがわかる。
レッタが手を挙げて合図を送ると、仲間のエルフたちがぞろぞろと集まってきた。
「里まで案内するよ」
飛行船と飛竜を残し、ライトエルフたちと彼らの里へ向かって、山道を進んでいく。レッタ宛の荷物はかなりの数と重量だったが、屈強なライトエルフが数人がかりで運んでくれている。進むにつれて、深い森に入り、背の高い木々で囲われ、空が見えないほどの木陰にもかかわらず、周囲は逆に明るくなっていった。
「エルフの住む森の木々は、自ずから発光するんですよ」
不思議そうにきょろきょろしていた僕に、隣を歩く若いエルフが教えてくれる。確かに、周りの木々の幹が、ほのかに発光しているようだ。
周囲の光がより一層強い場所に出たかと思うと、そこがエルフの里だった。
木々の上方にいくつもの家が点在し、間に張り巡らされた吊り橋によって、結ばれている。
大樹の幹の孔にも、生活スペースがあるようだ。地上にも、テントやログハウスが建てられており、雑然とはしているが、この周囲の木々の明るさによって楽しげな雰囲気だ。
僕らの存在に気がつくと、子供たちが駆け寄ってくる。
「おかえりー」
「だぁれ?その人たち」
「まま!」
その中の一人の小さな男の子が、レッタに抱きつく。驚いて彼女を見ると、男の子の頭を撫でながら、照れくさそうにほほ笑んだ。
僕らは、里の集会所として使われているという建物へ案内された。商会の三人は、外で届け物の荷ほどきや組み立てなどを、エルフたちに説明してくれている。
「足の調子はいかがですか?」
「悪くないよ。ただやっぱり、前みたいにガラーの山々を行ったり来たりってわけにはいかないからな。さっきみたいな見張り役ばかりしてるよ」
レッタは椅子に腰かけると、左足の踵を椅子の縁にかけて義足の調整を始める。
「長老会がなくなって、ガラーも不穏な感じなんだ。部族間の連絡も、ほとんどなくなっちゃったしね」
「私たちはこれから商会の仕事で、いくつかの部族をまわらせていただきます。様子を探ってみますね」
「ありがとう。ほんとは他の部族と会合を開きたいんだけど、冬のガラー山脈は行き来できないんだ」
「レッタは立派にエルフのリーダーをしてるんだね」
僕の知るレッタは、辺境の小屋で過ごした日々の、ハイテンションエルフだったので、ライトエルフの里で皆に信頼され、リーダー格をこなしているレッタの姿は意外だった。
「まあね。久々に里で過ごすのもいいものだよ」
「お子さんがいらしたとは知りませんでした」
窓から建物の外で遊んでいるエルフの子供たちが見える。
「エルフの子供は里のみんなで育てるからね。それに甘えて任せっきりだったんだよ」
僕は、黙って窓の外を覗くヨルに、「遊んできたら?」と声をかけた。ヨルは、もじもじしながらも外へ出てゆく。
「それで…、何でお前たち二人はずっと黙ってるんだよ」
そう。いつもうるさい双子は、先ほどからずっと押し黙っているのだ。
「だってねー…」
「レッタがお母さんとは…!」
「なんだよ、なんか文句あんのか」
「「似合わねー!」」
レッタは笑顔で弓を構えた。
僕らの行路は先を急ぐものでもないので、その夜はライトエルフの里で泊まらせてもらうことになった。商会の三人も、里のエルフたちと仲良くなったようで、夕食に招待されていた。集会所に寝泊まりさせてもらう僕らの為に、エルフたちが入れ代わり立ち代わり、食事や必要なものを持ってきてくれた。皆、レッタの友人ということで、僕らにやさしくしてくれる。里を離れていた期間も長いレッタが、これほど里において求心力があるのを不思議に思っていると、隣からトバリにつつかれた。
「人の時間の尺度で考えてはいけませんよ。エルフは長寿ですから。何十年、何百年の絆があるのでしょう」
「そっか」
見た目には少し年上のお姉さんで、リーニャと同い年くらいに見えるレッタが、自分の何倍も生きているというのが、あまり想像できなかった。今も子供たちに読み聞かせをせがまれて、わたわたしている。
「あたしこれがいい!」
「こっちがいいよ!」
「わたったわかった。順番にな」
レッタを囲む子供たちに対して、一番小さく幼いレッタの息子は、部屋の隅で他の子に遅れて、まだ、読んでもらう本を選んでいる。そこへ子供たちの中ではお姉さんのヨルが、声を掛けてあげている。
「レットくんは、ごほん決まった?」
「ぼくね、ぼくね…」
レッタの息子のレットくんは、読んでもらう本が決めきれずに、悲しそうな顔をしている。
「わたし、この本好きだよ。“三人のエルフ”のお話」
「ぼくも!」
「じゃあこの本読んでもらおうか」
「うん!」
ヨルはすっかりみんなのお姉ちゃんという感じで、エルフの子供たちから慕われている。横目で見ていたレッタも、安心した様子だった。
「アルクさん、少し出ましょうか」
「ん?うん」
トバリに誘われて、本の読み聞かせ会を後にする。
トバリは、ライトエルフの里を出て、光る小路を少し進んだところで立ち止まった。
「戦い方のレッスンを、そろそろ始めようかと思いまして」
メイド服の裾を両手でつまむと、腰を落として軽くお辞儀をした。
「まずは、“ウルフ”の力をみせていただけますか?」
トバリは、先日のジュアン城侵入の一件から、少し不機嫌なままで、有無を言わせぬ様子なので、仕方なく僕も腰に下げたウルフを、布を巻いたままの状態で構えた。
「いつでもどうぞ」
トバリはいつも通り姿勢よく直立したままだった。そもそも僕は彼女が戦っているところを見たこともないのだが、それにしたって、何かしらの構えとかがあってもいいのではないだろうか。余裕の態度に少しむっとして、いたずら心が芽生えた。
ウルフに魔力を流し込むと、トバリの背後に疾走した。全力のスピード。トバリからしたら、目の前から一瞬で僕が消えたはずだ。そのまま、こっそりと背後から近ずく。
「なるほど、そんなスタイルになったんですね」
僕はその場で静止した。今の動きが見えていたのだろうか。しかし、トバリはその場を一歩も動かない。こちらを振り向くそぶりもない。しかし、見破ったと嘘をついている感じでもない。
「次は打ちこんできてくださって構いませんよ」
トバリのスキルは“隠蔽”だと聞いている。魔術に疎い僕には、それがどんなものなのかいまいち理解できていないが、隠す、隠れるというからには、直接的な戦闘向きの力ではないはずだ。打ちこんでこいと言われても、怪我をさせるわけにはいかない。カロスでの戦いで感覚は掴んだが、寸止めにはまだ若干の恐怖心もある。よし、今度は逆にトバリの目の前に出よう。
魔力をウルフに流し続けて、周囲を走り回る。そして最後にトバリの目前でぴたりと止まった。
「何をやってるんです?」
「えっと、これがウルフの力なんだけど」
「犬のように主人の周りを駆け回るのがですか」
トバリは冷たい目でこちらをしかりつけてくる。
「まぁ、いいでしょう。早いというのはわかりました。しかし動きが直線的過ぎます。刀身の根元から瘴気を噴射して、剣先の方へ移動する。それでは、これからこっちに行きますと相手に伝えているようなものです」
「はい…」
「それと移動している最中。相手の様子を伺うでもなく、速く走ってます感をお出しになるのは、やめた方がよろしいかと」
「そんなことは…」
「ウルフのことはわかりましたので、明日からは私のもとでしっかりと戦い方を学んでいただきます」
「…よろしくお願いします」
「体得するまでは、勝手に私の側を離れてはいけませんよ」
こうしてウルフを手懐けたはずだった僕は、より大きなトバリという存在に手懐けられるのだった。
翌朝。僕らはライトエルフの里を出て、次の目的地に向かうこととなった。
「次はどこにいくんだ?」
レッタやライトエルフ数人が、飛行船まで僕らの見送りに来てくれる。
「北上したところにある、エルフの部族の所だよ。名前なんて言ったっけ」
「若いエルフが多いところだな。エルフの部族の名前は古代語だから、今ついてる名前は、人族が便宜上つけたに過ぎないんだよ。あそこは最近、新生エルフ国って名乗ってるらしい」
「エルフの国?」
「あぁ。長老会がなくなったから、エルフも新しい国を作るべきだって盛り上がっててね。少し物騒かもしれないから、気を付けろよ」
「わかった」
「何かあれば、私も呼んでくれ。春になったら、本腰入れてガラー再建に取り組もうと思う。その前にもめ事は勘弁だからな」
「了解」
商会メンバーも、おのおの泊めてもらったエルフに挨拶を終え、船に乗り込んでゆく。ヨルは女性のエルフから何か、本のようなものを手渡されていた。
「また、帰りに寄れたら寄るよ」
「そうだな。それがいい。レットもヨルに懐いてるし」
「あのさ、気になってたんだけど…。レットくんの名前って」
「そうだよ。まあ、なんだ。昔のことだよ」
「エルフがそれを言うかね」
「じじいに一応お礼を言っておいて」
「わかった」
草原で気持ちよさそうに寝ていた飛竜を起こすと、飛行船は次の目的地に向かって飛び立った。
「ヨルー。何貰ったのー」
「本をね、借りたんだよ。今度来た時に返すの」
「あ、その本、わたしも子供の頃に読みました」
シーラは、懐かしそうにヨルが手に持った本を見た。
「三人のエルフのお話だよ」
「そうそう。三人の性格も容姿もバラバラなエルフが、森の奥ふかくで暮らしてるんだよね」
「うん」
ヨルは、目線を合わせるために屈んで立つシーラを、じっと見つめる。
「シーラも…、一緒に読む?」
「え、今シーラって…初めて呼んでくれた?うん!一緒に読もう!」
「待てよー。ヨルの読み聞かせ係はぼくの仕事だぞー」
「“三人のエルフ”か。おれはパギが好きだぞ!強いからな!」
ヨルとシーラ、それと双子は、エルフの里をきっかけに、打ち解け始めているようだ。
そんなほほえましい光景を、離れたところから見守っていると、
「私はソーマに憧れますね」
通りがけに、ゼンが僕にだけ聞こえる声で、推しエルフを言って、船の整備に向って行った。彼も彼なりに心を開いてきてくれているのだろうか?
相舵輪の前では、シャッツが、トバリから船の操舵を習っている。
どこかから吹き込んできた隙間風の冷たさに驚く。北上して、ガラーの二大山脈に近づけば、より寒さは厳しくなるだろう。僕も隙間風の原因を探しに、船の整備に向った。