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⑦ー7どこまでも続く路

7 どこまでも続く路


「あにぃ」

熱い日を受けて、輝く砂つぶ。その中を、必死で駆け抜けてきた。

遠い日の出来事が、今になってはっきりと、この伸ばした腕の感覚まで思い出される。

「あにぃ!これはかあちゃんのかねだぞ」


「違ねぇが、どう使ってやるかだぜ」


「大切な金をどうして人にくれてやるように使っちまうんだよぉ」


「お前の笑顔が1銀で買えるなら安いもんだぜ。泣き虫ムート、大儲けってもんだ」


「何だよそれ、ハハっ」


 掬えばさらさらと掴みどころがなく、踏みこめば重く足をとる。一滴、砂状に落ちる汗は渇き。眩しさに目を細め顔をもたげても、地平いっぱいふきあげる砂が輝く。

 日射に肌を焼き、働く事で生きる。

 母は聡い人だった。父を亡くし、母が女でひとつで二人の子供を育てることができたのも、商売至上主義のネグロという環境あっての事であるが、商会の事務方でずいぶん重宝されていたようだ。

 しかし、兄を亡くした事は、流石にこたえたようで、生涯その表情に陰を帯びるようになった。

 私は、不貞腐れて手を止めても、一銭の得にもならない事を学んだ。損得は、合理的計算を廃した心の勘定だ。兄はいつも自分を導いてくれる。

 一層がむしゃらに働き、連盟で繋がり、商売を広げ、商会を大きくすることだけに全てを捧げてきた。

 国内での立場を盤石なものとして、ムート・“ネグロ”とすら呼ばれるようになった時、思いがけない冒険に誘われた。十年の戦いは、それまでの人生とは一線を画すものだった。あの地獄のような戦いの中、この年で子を授かるとは思わなかったが…。タローとの異質で数奇な出会いで、自分の人生も変わったのだろう。

「なかなかできるやつだなんだよ、あの新入りは。世界一周なんて変なこと考える奴だと、最初は皆馬鹿にしていたが。コツコツとよく働く。このまま商会に入れば、もっと大きな仕事を任せられるようになる」

 魔王との戦いの合間にネグロに戻った時、お前に会った。オーロ。明るい髪色に何処か品のある所作。人界のそれなりの家に生まれ育ったことが伺える。「この世界を見たい」とお前は言った。魔界との落差に心が擦れていたんだなぁ、この俺が。お前の、まだ不確かで、実現性を欠く夢に、希望をみせられたよ。

「世界を見たい、もっと色んなところへ。そして、これはここで働いていて思ったんですが…。世界中の国を、魔界も含めて、すべての場所を繋ぐ路が造れたら…、いいかな、と」

「おお、やっとムート・ネグロ率いる第一商会らしいでかい目標が言えるようになったじゃねぇか。なあムート!こいつはうちに入れてやろう。いい仕事するぜ」

「いや…。こいつはうちには勿体無いぜ」


(「行くなっ!ムート!」)

 ここまで手引きしてくれた古参の商会員が、引き留める。

 集まった群衆をかき分けて、大通りへ向かう。

「ムート・ネグロ。これ以上近づけば、私の隠蔽では隠しきれません」

「ここまで、すまんかった。シャッツ達と、国を出てくれ」

 返答は無く、気配ごと群衆のうちへ消えていった。

 さぁて…。背負った盾を、手に持つ。

「来ましたか…」

 隣国、魔界への殲滅作戦の行進。

 教会の人間に囲まれたオーロ。それと幾人か商会の仲間も連れている。第一商会だけではない。長年商売敵だった者もいる。そして何より、圧倒的な存在感を発する聖騎士が、四名。

 聖騎士序列四位、アガタ・レンブラント。

「少しお下がりなさい」

 鎌のように彎曲した騎士剣に手をかけながら、教会の人間に指示を出した。

 聖騎士序列五位、チュン・レイネリック。

「ムート・ネグロだ!」

 その声に聴衆がどよめく。

 聖騎士序列八位、ジン・グレン。

「…。」

 静かに腰の剣を抜く。両の手に握る、二振りの剣。

 聖騎士序列十一位、ガウド・ラ・ガウドロ。

「ヴぅっ‥」

 声にならない呻き声を、顔の見えない兜の隙間から洩らす。ムート邸襲撃で、ムートを取り逃したことへの怒りもあるようだ。今にも突進して行きそうなのを、ジン・グレンが片方の剣で制した。

「偉くなったのぉ、オーロ」

「お、…。ムートネグロ…」

 オーロは苦虫を噛み潰したような表情で、ムートを見る。その顔から、その苦労と苦渋がわかった。それでも、オーロは、その言葉を進めた。

「これから始まる魔界制圧によって莫大な利益が出る。それを教会の御心にも沿って正しく使うことが重要です。私はそれをやり遂げてみせる。たとえ…、たとえ貴方に阻まれようと」

「ほうか。よう言った。じゃがのう、一言だけ言っておく。よく聞いて、胸に刻め。わしは今でも、お前には勿体無いと思うちょる」

 オーロ・ネグロに対する不信任とも取れる発言に、それを聞くネグロの人々の間に動揺が広がる。

「ご自身で後任と指名されたオーロ・ネグロ氏に対して、そのようなご発言。やはり、魔族の側へ引き込まれたか」

 オーロを取り巻く教会員の一人が言うと、周りの人間も不快感を露わにした。ただ、オーロと、幾人かの商会員だけが、言葉の真意を知り、ただただ、涙を堪えた。託された思いと、託された人だ。必ず繋ぐと、悟られないように俯いて、うなづいた。

「やっぱり敵なのか!ムート・ネグロ。あんた人界の英雄なのに!」

 チュン・レイネリックの叫びを、最初少し無視したムートだったが、

「魔族を一方的に殺めるのは違うじゃろうて」

 まだ、若い。

「三百年間ずっと人を苦しめてきた敵だぞ。だからアンタも戦ったんだろ」

「そうじゃよ、そんでもって、もう終わった」

「終わった?まだ魔族は残ってる、世界中から瘴気を取り除かないとならない」

「実現性はあるかの、方法は、手筈は。よお考えて、物を言えよ」

「アンタなら出来るだろうが」

「ここまで。ここまでやったのがわしだ。あとでどう言おうが、お前さんらの勝手」

 ムートは盾を構える。歴戦に裏付けられた確かな威厳。聖騎士四名が前へ出る。そのただならぬ様子に、集まった群衆も後ろへ下がる。もう誰も、言葉を発する事はなかった。


「はぜろ、ホエール!」

 一瞬の大爆発、ついで爆音。風圧は砂嵐のように砂を荒々しく巻き上げた。

しかし、その衝撃が、周囲へ広がる事はなかった。常人には認識できぬ刹那に聖騎士は状況を見定めて動いていた。チュン・レイネリックの騎士剣はほぼ爆発と同時に、ムートの盾の正中の点を、一寸の狂いもなく突いた。これにより、本来連動して広がる魔術の仕込みを止める。ガウド・ラ・ガウドロはそこへ突っ込んでいって、正面へ放たれた魔術の衝撃とぶつかる。ガウドラの鎧の魔術がムートの魔術を抱き込んで封殺した。その合間を縫ってジングレンの二本の剣の刃が、ムートの魔術をなぞるように切り裂く。

 皆が砂から目をかばい、払った時には、砂塵の中で、ムート。ネグロは背後に立ったジン・グレンによって斬られていた。あまりに鮮やかな切り口から、血が噴き出す事はなかったが、先日の大風によって少し湿った砂でもわかるほどに、足元へ沁みひろがる血が、致死量である事は明らかだった。砂漠という過酷な環境で、また、魔界と隣接し、争いもあるこの地に生きる人々にとっても、全くの別次元の戦闘は、理解の追いつかぬ速度で決着した。

 地面にささった盾にもたれかかるように倒れたムートの体に、ジングレンが触れようとする。

「待ってください!」

 誰も状況に追いつけずにいる中、オーロが声を上げる。

「ムート・ネグロの遺体は、このネグロのやり方で葬る。これ以上、ネグロの人々を動揺させるわけにはいかない」

 オーロの制止に、ジングレンの手は止まったが、その目でオーロを睨みつける。

「オーロ・“ネグロ”の名代で、責任を持って埋葬させていただく。この国を統べるのに、必要なことだ」

 オーロの目に、涙はなかった。あるのはただ、託された国を、守る覚悟。

「いいでしょう。国民に反感情が生じるのは、よろしくない。あとはオーロ・ネグロ氏に任せます。聖騎士殿、よろしいか?」

「…。」

 協会の者の言葉に、静々ジングレンは剣を納めた。


 ムートの最後の魔術は、その衝撃を広げる事はなかった。その緩い風は、微かに空気を揺らし、伝わっていく。


「ムート・ネグロが死んだ。あんなに強え奴が…」

遠視の魔術でその様子を見るもの。


「ムート・ネグロが、その命を終えた。我々との不戦の契りもついえた」

「若い者どもが騒いでいたが…、仁義を通したとでも?」

「人界のものどもが、攻めてくるか」

「ムート…、惜しい男をなくした」


「やっぱり戻りましょう!聖騎士様がいるのに」

「親父の決めたことです。まったく…」

「…。」

 ムートの旧友の手引きで、聖騎士の馬を奪ってネグロを離れるゼン、シャッツ、シーラとトバリ。

「今は逃げることに集中なさい。今からでも十分追いつかれる恐れがあります」





「これは…」

レッタから、ムート・ネグロの荷物を受け取ったベルガモットは、おおいに戸惑った。

「話を聞いて、あなたにって。まあタダなんだから、貰っておいたら?」

「でも、これって」

 その表面の細かい傷の一つですら、とてつもない魔術攻撃の痕跡が残っている。人界で、いや、おそらくこの世界で唯一、魔王の一撃を防いだ盾。幾重にも折り重なった、最強の魔術。






「タロー。この戦いが終わったら、お前さんどうするつもりじゃ」

「ん?それってムートがいつも言ってる、取らぬ狸のなんとやらってって奴じゃないのか?」

「そうさの。じゃが、お前さんにはのぉ…、なんと言ったら良いやら」

「うん。言わんとする事はわかったよ。ありがとう」

「なんじゃ、わしゃまだ、なんも言っとらんやろうが」

「わかるよ」

「ううむ…。なら、こいつらはどうする。さっきも協会連中が物欲しそうに見とったわい」

「勇器か。これはまあ、俺がいなくなった後、この世界で誰かを救おうとする人に持って欲しいかな」

「ならわしは手放すぞ。売ってその金でゆうゆう余生を暮らすわい」

「やだなぁ。それっぽいのなら作れるから、本物はムートに持っていて欲しいよ」

「何々なんだい?ムートは引退するのかい?歳かな?」

「やいうっとしいわトリトン、コイツには作ってやりなさんな。協会の厄介ごと含めて、コイツはけじめをつけるべきじゃ」

どす。

 狭いテントの仕切りが蹴られる。

「ラプソディアが怒ってるからもう寝よっか」



 夢を見た。

 どこまでも続く道。

 世界中のどこへでもつながる路。

「行こう、ムート!」

 子どもが安心して歩ける道路を。

「見た事もない面白いもんが売ってたんだ」


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