⑦ー6駆け足
6 駆け足
急ぎ足で駆ける馬。
揺れる草陰を走り、脆い岩陰もいとわず。商人であり、人界四天王として世界各地へ遠征したムートの知る最短の道を行く。
国境沿いにいくつかも設けられたジュアン国騎士団の詰める関所は、おおむね回避し、あるいはトバリの隠蔽の魔術により潜り抜ける。
しかし時より、魔族探知能力に長けた騎士に遭遇する事もあった。
「待てっ、止まれ!」
「おっと、鼻の効くやつがおったか」
飛来する遠距離魔術を背負った盾で払うムートネグロ。自身の馬を後方へ下げ文字通り盾となる。トバリの馬と、ゼンの馬は構わず先行する。ネグロ国までの二週間以上かかる旅程を急ぐと言うのが、今回の旅の至上命題であるからだ。この場合逃げ切るのが最善手ではあるが、シャッツとシーラの二人乗りの馬が若干の遅れをとっている。
「お願い、もう少し頑張ってね」
ほとんど走りづめの馬に、シーラが声をかけるが、彼女の不安が馬にも伝染してしまっているようだった。
「よし、こんなもんかな」
一方でシーラの前で抱え込まれるように馬に乗るシャッツは存外冷静で、鞄から取り出した自作の魔具を調整すると、そっと地面に置くように後方へ転がした。
追い迫る騎士達の馬の前で激しく煙が起こる。驚いた馬は足を止め、構わず突っ切った馬も、頭を不自然に降りながら路肩に停止する。
最後の一矢を盾で払うと、ムートはシャッツ達の馬と並走する。
「シャッツ。お前さん、また面白いもの作っとるのぉ。いくらじゃ」
「銀貨五枚でどうでしょうか」
「安すぎる。材料費だけでも超過しとるじゃろうが。この匂い。どこにでも生えちょる植物じゃない。そう簡単に手に入らんだろうが」
「でも、魔術が使えない一般庶民が、護身用に使えるように開発したものなので、これ以上高くすると、客がつかないですよ」
「じゃあのぉ。まず、新しい物好きの道楽ものに売り付けるんじゃ、ほんで、その売り上げで商品の品質を保つ量産体制を整える。そうやって、コストカットしてから、一般に普及するように値を抑えて大量に出荷するんじゃ」
「なるほど…」
シャッツは揺れる馬上でメモを取る。その様子が可笑しかったのかシーラの表情も緩む。
「先程の騎士達、対応が少し早すぎるように感じました。トバリさんはどう思いますか」
ゼンの問いかけに、トバリも同感であったので、周囲を警戒する。魔術鳥などで尾行されているかも知れない。
「今少し、速度を保ちましょう」
馬に負担がかかるがやむを得ない。単になる関所破りというだけじゃない。心配していた通り、ムート・ネグロに対する何かしらの警戒網が敷かれているのは間違いなかった。
「見つけた…。何だあの煙は。騎士とはやり合わなかったみたいだ」
片目を瞑り、何かしらの遠視も魔術を行使した魔族が傍に立つ仲間に知らせる。トバリ達の馬が駆ける場所からは随分離れた小高い丘の上で、到底目視はできない。
「いいさ。騎士どもに捕まれば厄介だ。…俺たちで仕留める」
長く垂れた黒髪を耳にかけると、魔族達は奇襲に備えた。
夕刻。視界を遮る森の中で、馬を止めて休憩をとる。夜半にはまた走り始めなければならない。
シャッツお手製の湯沸器で軽食を作り始める。煙で存在を悟られない優れものだ。今回の旅程では、想定外にシャッツの魔具が活躍している。ラクス国アプローズでの修行の成果が結実していた。食事を終えると仮眠を取る。
「見張りを替ろう」
「いえ、私は護衛部ですから」
ムートの申し出に、シーラは困惑した。
「わしゃ馬でねれるからのぉ。お前さんは皆を護ってもらわんとならん」
「そんな…。わたしなんか全然役に立てて無いですし」
「武器を振り回すばっかりが護るっちゅう事じゃなかろうて。いいから今は休みなさい。それも仕事の内」
「…はい」
シーラはしょぼくれて皆のところへ戻って行ったが、その様子もまた、何かムートにとっては思うところがあったのか、声を出さずに笑っていた。
後方で葉音がすると、そこにトバリが立っている。
「十名程でしょうか。私の感知するところの外にもいるかも知れません」
「トバリさん、あんた隠れるのは上手いが、探るのはほどほどじゃの」
「そうでしょうか」
「あぁ、魔術の問題じゃない。人の情の機微を知れば、もっと見えるものもあるじゃろう」
「それを私に説きますか」
「とんでもない、と、思うちょったが。あんたが知りたそうにしとうようにみえて」
「…。」
トバリは目を逸らし、虚空を睨んでいるようだったが、それは怒っているわけではない。彼女が何か思案している時の顔だった。またムートは満足そうに笑うと、盾を持って歩き始める。
「助太刀は不要じゃ。知り合いの手合でな」
そう言うと、ムートは森の奥へ走って行った。皆を巻き込まないよう離れた場所で会敵する算段であった。
「つ、つえぇ…」
「ジジイがなんでこんなに強えんだ、くそっ!」
陽が落ちるころには、ムート・ネグロを襲撃した魔族の一味はムートによって転がされていた。
「お前さんらのとこのじいさん共も強かろうがボケ。ふぅ」
流石に十数名の鍛えた魔族を相手にして、ムートもため息を漏らした。
「それでそのジジイはどうしてる?」
「ジジイ連中はふ抜けになってらぁ…。ただ死ぬのを待ってろってのかよ」
「…ほうか。」
「あんたとの約束のせいだろうが!」
ゴン。
ムートは盾でその魔族の頭をぶっ叩いた。魔術は込めず、物理的に。
「他人のせいにすんな」