5.出会い
前回のあらすじ:サム、くじを引いたら女の子をゲットした。
桃視点に戻ります。
桃が目を覚ますと、見たことの無い小さな部屋にいました。耳元で鳴る藁の擦れるような音。彼女は藁に布を被せただけの寝床で横たわっていたのです。そして顔を覗き込んでいる一人の青年がいました。白い肌にこぼれ落ちている短い前髪は栗の色。瞳は栗色と青色、緑色が混ざったような不思議な色をしています。
眉は上がり気味で目を細めているせいか怒っているようにも思えました。桃より年上であることは確かです。体が大きく髭を剃った跡もあるので二十歳から二十五歳位でしょうか? しかし厳しい顔つきの中にあどけなさがあるのでもう少し若いかもしれません。
青年は桃から目を逸らし、離れていったので体を起こしてみました。部屋の真ん中には四角い机があり、奥の方では竈の火が部屋を仄かに照らしています。その上には鍋が置かれていて、白い湯気を立てていました。壁際には丁度腰掛けられそうな棚。服や桶や箒といった道具類が壁際に置かれていましたが、おおむね綺麗に片付いていました。そとから壁を打ち付けるように降る、激しい雨の音がします。
机の上に置いてあるものを手に取りました。形は、さながら故郷の隣町で買い物をするときに使っていた銅貨。それは白っぽく光っていたのできっと銀貨なのだろうと思いました。温かい空気と微かに香るミルクがゆの臭いでお腹が鳴ります。本来なら知らない男の人と二人きりなんて耐えられず、逃げだそうとしていたでしょう。
しかし桃はもう疲れ切っていて、そんなことは気になりませんでした。眠気が抜けなくて考えていられなかったですし、仮にここを出たとしても行くところがないのです。食べるところと一晩寝るところがあれば相手がどんな悪い人であろうと構いません。ずぶ濡れになりながら知らない街をさまよい歩くよりは遙かにましでしょう。
先ほど赤いお酒を飲ませてくれたおじさんの姿が見当たりません。いつどうやってここに来たのか思い出せないのです。
とはいえ他人の家に居座る訳にはいかないでしょう。桃は一晩泊めて下さいと頼むことすらできないのです。紺色の人とお話することができなかったのですから。
(でも、一回頼んでみようかな?)
言葉が違うからと何も言わないでいるのも居心地が悪いもの。賭けに出てみることにしました。
「あの、私、椙北桃といいます。椙ヶ浦村から来たのですが、帰れなくなってしまいました。あ、あの、一晩泊めて貰えないですか。今は何も持って居ませんが、お返しは必ずします」
銀貨を見つめていた青年が顔を上げました。桃をじっと見ていますが返答をすることはありません。薪のはぜる中に舌打ちの音が混ざっています。やはり通じなかったようです。それどころか彼は竈の置いてある部屋の奥へ行ってしまいました。
強まる雨に打たれるのは嫌で嫌で仕方ありません。
(けどやっぱり、ここから出よう。どこかの軒下で休めばいいんやもん)
桃は前掛けの紐を外して頭の上にのせ、扉をそっと開けます。僅かな隙間から雨が吹き込んで来る中、体を横にして隙間を通っていこうとしたその時でした。彼が桃の肩を軽く叩いたのは。
桃は慌てて部屋の中に戻り、扉をバタンと閉めました。傍らにいる真顔の青年と一瞬目が合ってしまいます。彼の指先を追うように目線を向けると、小さな机の上に、ミルクがゆの入ったお椀が二つ。片方は食べかけで幾分か中身が減っており、もう片方には湯気が立っています。桃の分まで食事を用意してくれたのでした。
恐る恐る草鞋を脱いで机に向かいます。靴を脱いだことに青年がぎょっとしていることには気がつきませんでした。
桃と青年は机に向かい合って座ります。机に置かれていた木のさじでミルクがゆをすくうと、トロリとしていました。温かくまったりとしていて、香ばしい木の実の味が体中に染み渡っていきます。かゆに使われているミルクは木の実を絞って作ったミルク。
桃はようやく食事にありつけたのです。かゆの中に入っているのは小さな肉と葉物、そしてふわふわした不思議なもの。噛んだとたんにじゅわっとミルクが広がります。後からほんのりと麦の味がしてきました。
お腹を空かせていた彼女はあっという間に平らげてしまいます。体もすっかり温まり、元気も沸き上がって来ました。食べ終わった椀をどこで洗えば良いのか分からずきょろきょろしていると、丁度食べ終えた青年が全部まとめて持っていってくれました。竈の側に水の張った桶があり、その中に汚れた椀を入れています。桃はじっとその後ろ姿を見つめていました。
椀を片付けた後、青年は寝床の藁を押し広げはじめます。丁度倍の広さになると、桃の方を見ながら藁を叩きました。寝床に近づいて彼が示した辺りに腰掛けると軽く頷いています。桃が寝る場所を作っていたのです。おかげで桃はここに来て初めての夜を、屋根の下で過ごすことができたのでした。
翌朝、眼を冷ますと雨はすっかり上がっており、小さな窓から日の光が差し込んでいました。
「……Seu batac」
既に身支度を調えた青年が話しかけてきます。朝の挨拶かな? とは思いましたが、何と返せば良いのか分かりません。殆ど聞き取れなかったのです。代わりにその場で正座をして頭を下げました。
机の上には丸くて茶色いものが二つ皿に乗っていました。一つを青年がつかみ取ってしまうと、残った分を桃の方に移動させます。桃の故郷では麦を米と一緒に炊いて食べることが殆どです。丸くて茶色い食べ物を前に躊躇していましたが、青年がかぶりついているのを見て安心したのか、小さくちぎってかじってみました。
固くぱさついていますが、僅かに広がる香ばしい麦の香りが広がります。水と一緒に一個丸ごと食べてしまうと、今度は桃がすべてのお皿を、昨晩見た桶のところへ持って行き洗いました。近くに干してあった綺麗そうな布で水気を拭き取ると、青年が皿を受け取って棚の中に仕舞います。
「Bied.(どうも)」
何か呟いていましたが、やはり分からないままでした。着ていた服や、髪型を整えたあと、桃は再びこの部屋を今すぐ出るべきかどうか悩み始めました。外は晴れています。これ以上迷惑はかけられないですが、せめて一晩泊めてくれたお礼に掃除や洗濯をしていこうか……という考えが沸き上がってきたからです。
ところがそんなことを考えているうちに、段々お腹が痛くなってきました。やがて我慢できないほどになってきます。食べ物が合わなかったのでしょうか。
(確か一つだけ薬を持ってきていたはず。栗ちゃんがくれたもの)
懐から取り出し中を開けてみると、スーッとした臭いが漂ってきます。
(これ、傷口に塗る薬だ)
お腹の痛みに効く薬は、竹籠ごと無くしてしまいました。
それからは段々熱も上がってきて動くどころではなくなってしまいました。寝床から殆ど起き上がれないまま時が過ぎていきます。青年は毛布を掛けてくれ、時折白湯を机の上に置いてくれました。時々、机が沢山ある部屋で出会ったおじさんや、知らないお爺さんや、青年と同じくらいの歳の人がやってきます。桃は朦朧とする意識の中で、しきりに「サム」という言葉を耳にしました。
(さむ、っていう名前なのかなあ)
と、何となく思っていたのでした。
五日くらい経ったでしょうか。ようやくすっきりと目覚めることができるようになった日の朝。パンを切り分けている青年に向かって
「さむ」
と呼びかけてみました。彼はおもむろに顔を上げて桃を見つめています。
(今、呼んだら振り向いたよね? もしかして初めて言葉が通じたん……やったあ!)
内心飛び上がっていましたが、あとに続ける言葉が何も無いことに気がつき、気まずい空気が流れました。今日の朝食はショウガの香る豆のスープ。固くなったパンを浸しながら口に運びました。
手早く食べ終えて、青年が身支度をしている間に桃は寝床を元通りにします。今度こそ部屋を出て行くつもりでした。これ以上迷惑をかけられないからです。青年が出かけるのと同じ時間に出られるよう、大急ぎで身支度をします。
(お礼だけでも言いたかったなあ。お話ができれば良かったのに)
量の多い髪の毛を左右に分けて結び、前掛けを取って帯を結び直しました。
一足先に玄関を出る桃。言葉が通じないならせめて態度だけでも示そうと、階段を降りる前に深々と頭を下げます。青年は部屋を片付けながら、横目でその様子を見ただけでした。
この場所に迷い込んで初めて食べたミルクがゆの味は、きっと一生忘れられないでしょう。寝床を作ってくれて、ご飯を食べさせてくれて、毛布を掛けてくれた優しさも。ただ、いつも不機嫌そうな顔をしていたので、一度くらいこの人の笑うところを見てみたかったなあ、と思いました。