2.見知らぬ街で 前編
前回のあらすじ:キノコ採りに行ったら誘拐されてた。
桃が体を起こすと、薄暗く真っ白な所にいました。緑豊かな山の景色は影も形もなく、暗く湿っている洞窟の中とも違います。高いところにある窓には群青色が映っていて、少しずつ明るくなっているように思えました。ここは一体どこでしょうか? 体をゆっくり起こします。少し背中が痛みますが動けそうです。
背負っていた筈の竹籠がなくなっており、懐の中にしまった細々とした物しか持っていませんでした。
足下には奇妙な絵が大きく描かれています。二重丸の中にびっしりと不思議な模様。所々焦げたように黒くなっている所もあり、一層不気味に感じられました。白く粉っぽい線の上を指でなぞります。岩のような冷たさが指を伝ってきました。
鳥の鳴き声が時折聞こえてくるほかは動物の足音も、葉の擦れる音も、水の流れる音も聞こえてきません。里に下りているのかと一瞬思いましたが、その割には村人の話し声が全く聞こえて来ないのが妙でした。
(静かなところやなあ。あの世に行ってしまったんやろか)
あの世、という言葉が脳裏に浮かんだ時、鼻の奥がつん、としてきました。親よりも先に死んでしまうとは、なんて親不孝な娘なのでしょう。情けなさで胸が一杯になってしまいます。弟を連れて行かずに済んだことだけがせめてもの救いでした。
重い音が聞こえてきたので振り返ります。大きな分厚い木の扉が開かれ部屋の中に人が入ってくるのが見えました。
(壁が四角く切り取られたん? どうなってるんやろ)
桃はこれまで引き戸しか見たことが無かったのです。入ってきた人は足で踏んでしまいそうな程、長い紺色の上着を羽織っていて、頭を布で覆っているため顔が見えません。背が高いのですが、体つきが細く丸みを帯びています。女の人ということが辛うじて推し量れました。
相手の胸元には、銀色のぴかぴかして丸い飾りがついており、その中に小さく緑色の石が埋め込まれていました。
桃は挨拶をしなければと思って立ち上がります。ふらついていましたが、しばらくすると治まってきました。話しかけようと口を開きますが、喉の奥が乾いて声になりません。
「あ、あの」
不気味な風貌の為でしょうか、辛うじて絞り出した声は震えていました。桃がまごついているうちに、長い 上着を羽織った人が、高い音を響かせながら近づいて来ます。
相手は黙ったまま手の甲を床に向け、四本の指をそろえて上に伸ばしたり下ろしたりしました。「来て」と言われているような気がします。桃が駆け寄ると、紺色の人は回れ右をして歩き始めてしまいました。
壁に空いた四角い穴の中をくぐると、目の前に梯子がぶら下がっていました。背後でバタンと大きな音がします。振り返ると壁が元通りになっていました。桃はようやく先ほど穴が空いていた部分の壁だけ色が違うことに気がつきます。しかし、誰も扉を触っていないのに、どうしてひとりでに閉まったのでしょうか?
紺色の服を着た人は、梯子に手を掛けて登っていきます。そして天井にある小さな四角い穴の中に入っていきました。桃も後についていきます。置いて行かれたら最後、薄暗くて狭い部屋に閉じ込められるような気がしたのです。
梯子を登った先にあったのは、温かい雰囲気のある部屋でした。窓から柔らかい朝日が差し込んでいて、壁も床も板でできています。細長い机や大きな机が置かれていて、まるで村長さんの家みたいだと桃は思いました。大きな机が置いてあるのは村長さんの家だけだったのです。紺色の人がまた別の扉を開けると、ひんやりとした風が吹き込んできました。
出入り口を再び抜けると、目に飛び込んだのはびっしりとならんだ細長い家々。朝日に照らされてうす橙色に染まっています。奇妙な格好をした人々がまばらに歩いていて、沢山の荷物を積んだ馬が通り過ぎていきました。
遠くの方に目を向けると収穫を終えた茶色の畑があり、その奥には緑、赤、黄色と色とりどりの木々が集まる森がどこまでも広がって、青空と対をなしていました。
冷たい段差を降りていくと、見上げても上が見えない程高い壁がそびえ立っているのが目に入りました。赤、金色、青、緑、白、極彩色の不思議な模様が一面に描かれています。そんな壁がずっと続いていました。
桃はここが椙ヶ浦村ではないということを確信します。
(変な所。やっぱりあの世なのかなあ)
紺色の人が部屋に戻って行くのが見えました。桃は段差を駆け上がり、扉の前で立ち止まります。中に入るにはどうしたら良いのか分からなかったのです。木の幹の色がそのまま残された扉には、蔓のような曲線が彫られています。丁度腰より少し上の辺りにくすんだ鉄の取っ手がついていました。細長いそれを握ってみます。
引っ張ろうと力を込めた時、扉に桃の体が押されてしまいました。紺色の人が扉を開けて出てきます。自分が来ているのと同じ紺色の布を桃に着せました。胸の辺りで布の端が合わさります。片方には丸い飾りがついており、もう片方には紐で作った輪が縫い付けられていました。飾りに輪を引っかけると一枚の布が羽織のようになりました。
その時ちらりと紺色の人の顔が視界に入ります。茶色い髪の毛に、白い肌、緑色の大きな瞳。母親と同じ位の歳でしょうか。
「――?」
低めの落ち着いた声が聞こえました。おそらく目の前にいる紺色の人が話しかけたのでしょう。しかし桃は何を言っていたのか何一つ分かりません。
「あの、もう一度言って貰えませんか?」
首を傾げながら尋ねると、相手は何も言わずに肩をすくめました。桃の横を通り過ぎて段差を降りると手招きしてきます。桃はついて行ってみることにしました。
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