1.村娘、山に迷う
この作品単体で完結しておりますが、以前投稿しました『祓魔師の話』と共通する人物・設定が出てきます。ちょっと長いですが、こちらの作品にも目を通していただけますと、少し分かりやすくなると思います!
干された黄金色の稲が風に揺れています。南に向かって広がる畑や田んぼ、北の方には、ぽつぽつと建てられている家。その中に一つだけ立派な切妻屋根の建物がありました。神様の住まいであるお社です。
その前にある広場には紅白の縄や五色の紙で飾り付けられた櫓があります。そこでは人々が火を焚く薪を用意したり、振る舞う食事の仕込みをしたり、剣や斧、御幣、扇などの道具を作ったりしていました。もうすぐ秋の祭りが行われるのです。毎年秋になると村へ神々を呼び寄せ、共に舞い、村の繁栄と健康を祈ります。
桃はこの日、村の人達と雨龍ノ山へ出かけることになっており、朝から大忙しでした。雨龍ノ山では山菜や茸が沢山採れるからです。秋の祭りのお供え物に、ご馳走に、冬の食料になる、大切な山の恵みとなっています。
桃は朝ご飯を食べ終え、数え二歳の弟を背負いながら、皿を洗っています。木桶に張った水があかぎれに沁みる上に、欠けた茶碗で手を切ってしまい、人差し指に痛みが走りました。しかし、気にしてはいられません。貴重な茶碗を割ったりしたら大変だからです。しっかり握りながらこびりついた麦を落としていきます。
「桃、そろそろ支度せな。今日は山に行くんやろ?」
板の間で藁を編みながら、母親のなつが桃に声をかけます。数え五歳の弟がなつの膝上に座り、じっと手業を見つめていました。弟が母親の頬を触ろうとすると、優しく手を下ろさせます。万が一、柔らかい手に藁が刺さったりしたら大変です。しかも手元が狂うと編み直しになってしまうので手間がかかります。
「大丈夫。もうすぐ終わるから。一緒に豊ちゃん連れて行こうか? おっ母大変やろ。うちがずっとおぶっていれば、どっか行ったりせんやろうし」
「辞めておきなさい。あんた山歩き慣れとらへんのやで。危ないし、他に迷惑かかってまう。おっ母のことは気にせんで」
桃が頷きます。母に負担を強いてしまうことには心が痛みますが、確かに弟を背負って山を歩くのは大変なことです。弟の豊三郎がわんわんと泣き出したので、背中を揺らし、あやしてやりました。体が揺れて楽しくなってきたのか、段々落ち着いて、キャッキャと笑い始める豊三郎。
皿洗いを終えると、豊三郎を背中から下ろして身支度を始めます。嫌がる弟を、高い高いしてどうにかなぐさめ、母親の元に連れて行きました。これでようやく服を着替えることができます。
筒袖(袂のない筒型の袖)で丈の短い上着を纏い、腰巻きを付け、さらにその上に前掛けを巻いて、帯のような紐で止めました。量の多い髪をなんとかまとめ、布で覆います。途中でほどけてしまわないか触って確かめていると、妹の松が腕いっぱいに手ぬぐいやら着替えやら、瓢箪やらを抱えて近寄ってきました。眉を寄せています。
「姉ちゃん、ちゃんと着替え持った? 食べ物や水も多めに持っていかな。あ、あと手ぬぐいも。一応羽織や火打ち石も入れてって……。姉ちゃんは山の中でも一日くらい凌げるようにせんとね。去年は大変やったんよ」
床に持っていた物を次々並べていきます。そして、部屋の隅に置いてあった竹籠を持って来て、詰め込みはじめました。
「松ありがとう。でも、そんな沢山籠に入らんよ」
「籠に入らんなら風呂敷に入れれば良いやん」
「確かにそうやな……。あれ、なんか違う気がするんやけど。だって、竹籠と風呂敷って重いやん」
「そうやなあ。布は一枚で良いかも」
と言って松は竹籠の中身を出したり入れたりし始めました。
桃は実のところ、山に入るのはあまり気が進んでいません。茸を採ったり、木の実を拾ったりするのは楽しいのですが、何故か村の皆とはぐれて迷い込んでしまうのです。
特に去年は自分で帰れなくなってしまいました。幼なじみの話によると、迷った次の日に西ノ山の麓で倒れていたそう。「おーい」と声を出して、周りの様子を見ながら進んでいるつもりではあるのですが、どこかで道を外れてしまうのです。
行き慣れない街に出た時も、なかなか目的地にたどり着けず苦労するので、元々迷いやすい性分ではあるのでしょう。家族もそんな彼女をとても心配していました。
妹が持ってきてくれたものを選び直して、山に持って行く荷物を整理し終えた頃でした。
「そうや、姉ちゃん髪結ってよ」
松が何かを思い出したかのような口ぶりで、桃に赤い紐を渡し、肩にかかるくらいまで伸びている後ろ髪を彼女に向けました。
「松はおませさんやね。栗ちゃんにでも見せたいの?」
「ち、違うもん。皆、着飾るもんやろ、普通。姉ちゃんが子どもなだけやて」
桃がからかうと、松が顔を真っ赤にして返します。桃はクスクスと笑い声を立てながら、慣れた手つきで髪をまとめていきました。松は幼なじみの栗ちゃんが好きなのです。だからとびっきりおめかしした姿を見てもらいたいと思っているのでしょう。
「姉ちゃん。やっぱり栗木の兄ちゃんと結婚するん? 大人になった今、そういうことも考えないかんって、おっ父とおっ母いつも言ってるやん」
松が、まだ垂れている髪をいじりながら訊ねます。桃は返答に困ってしまいました。決して栗ちゃんが嫌いな訳ではないのです。しかし、結婚したいかと聞かれてすぐにはい、と答えられるような仲でも無いような気がします。
かといって近所の「ねえや」達から、祭りの日の夜に隣村の男の子がいきなり家にやってきて、その人と結婚することになったというような話を聞く度にぞっと寒気がして、絶対そんなことになる前に自分で相手を探さなきゃと焦ってはいるのでした。
桃が口を開く前に、玄関からすぐ下の弟、与一の声が聞こえてきます。
「あんたら早うしやぁて。もう、おっ父と先に行っとるわ」
「すぐ行くで。先、行っといて」
桃が束ねた松の髪を紐で括り、綺麗に結び目を作りながら答えます。
「女はまわしに時間かかるんや。そんな短気やとお嫁さん来おへんよ」
と、松が嫌味を込めて叫びました。
「よいちゃんは大丈夫やろ。跡継ぐんやもん。親戚だって早ぉ結婚して欲しいと思っとるやろうし」
のんびりとした口ぶりで呟く桃。結んだ紐を引っ張ると綺麗に花のような模様が浮かび上がりました。髪を結っただけで妹が三歳くらい一気に成長して見えます。
「呑気やなあ。姉ちゃんの方が先なんやよ」
桃は今年で十四歳。もう二、三年で結婚する人が多くなるのですが、まだ誰かの家に嫁ぐという実感が沸かないでいます。
「そうやなあ。まあ、お互いの親しだいやない?」
はあー。と大きなため息。大げさに肩を落とす妹の顔は、不思議とほっとしているようにも見えました。
草鞋を履いて外に出ると、すでに幼なじみの栗ちゃんこと栗木が家の前にいました。
「おはよう栗ちゃん。待っててくれたん?」
「丁度来たところ」
「そうやったんや。今日は良い天気やね、お空もきれい」
「確かに。雨が降らなくて良かったな。そうだ、ほれ」
早速懐をがさごそと探り、小さな革袋を三つ取り出します。桃が手を差し出すと、手の平の上に落ちてきました。
「迷ったときの為に一応薬持ってきた。数珠玉がついてるのが怪我したとき、白い紐でくくってあるのが、熱が出たとき、藍の紐でくくってあるのが腹痛いとき。間違っても数珠玉の奴飲むなよ。それ塗り薬だから」
「そんな一度に言われて覚えられる訳ないやろ。今年は迷ったりしないから大丈夫です」
むすっとした顔で言い返します。自分より背の低いこの男に世話を焼かれるのは少々座りが悪い様子。尤も背の高さはさほど関係ありません。いつか自分を追い越してしまうことがちょっぴり寂しく、悔しいだけなのです。とりあえず薬は貰って竹籠の中に入れました。入りきらなかった一つだけ懐に忍ばせておきました。
「栗兄ちゃんお早う。なあ、髪の毛結ってきたんよ。どう?」
身支度を終えた松が栗ちゃんに駆け寄り、目をきらきらさせながら、結った髪を見せました。松がくるくると回る度に赤い紐が空を舞う蝶のように揺れています。
「お松ちゃんは大人っぽいなあ。桃も見習って欲しいわ」
と言いながら、そっと松の頭を撫でようとすると、松は手を払いのけました。
「あ、ちょっと、崩れちゃうやないか。触らんといて」
「ごめんごめん」
怒った口調の割に、頬が緩んでいました。本当の気持ちを隠し切れなかったようです。部屋の中から母親が顔を出しています。豊三郎を背中に負い、後ろに隠れている築次郎の背中を撫でています。桃は大きく母親と兄弟に手を振り、明るく声を掛けます。
「おっ母行ってくるね」
「いってらっしゃい。気を付けやあね」
幼い子どもらの面倒を見る為、留守を任された母親に見送られながら、桃達は山の麓へと向かいました。刈り終えた麦が、柔らかい朝日に照らされ黄金色に輝いています。近所のおばあちゃんが鍋を持って桃の家に入っていくのがちらりと見えました。時折お裾分けをしに来てくれるのです。うららかな朝の風景でした。
***
雨龍ノ山の麓に着くと、村の人が続々と集まっています。山に入る時は、経験豊富な年寄りを先頭に、若者衆、女、子どもと続くことになっていました。桃は列を眺めながらできるだけ後ろの方へ行こうとします。ちなみに、与一以外の弟となつのような小さい子ども達とその母親は村で留守番をすることになっていました。
「栗ちゃんは、若者衆のとこ行かんでいいの?」
村の長が皆の前で挨拶をしている間、桃の隣から離れようとしない栗ちゃんに小声で話しかけます。
「目、離したらまたどっかいくやろ」
「大丈夫やって」
「全然大丈夫やない」
(心配してくれてるのは分かるけど、なんだかなあ)
桃はそう思いながら、栗木に続いて山を登りはじめるのでした。
昔から村人が使ってきた山道は、安定した足場を作りだしていました。しかし、雨に濡れた落ち葉で彩られた道に、足を滑らせる村人も何人か。桃と栗木は子ども達に混じって、ゆっくり歩いています。昨日雨が降っていたので気をつける必要がありました。山は天気が変わりやすいので尚更です。
「あんまり、茸生えとらんね」
木の根元に目を向けながら、栗ちゃんに話しかけます。
「大方、先頭集団が摘んでいくもんな。けど、道から逸れてまで茸探す訳にもいかんし」
「あ、栗ちゃん。あそこ、茸生えとらへん?」
桃が指さしたのは、少し道から外れた木の根元。ぼんやりと白いのがいくつも浮かび上がっています。
「採っても良いと思わん?」
「だから、下手に逸れたらあかんって。特にお前は危ないやろ」
「そんな離れとらんし、今日は栗ちゃんも一緒やん。何も採れずに帰るのも嫌やし。でも、あの茸食べられるのかなあ?」
「それは後で長老に見て貰えばいいやん」
二人は、茸の生えた木の根元に向かいます。山道から一歩外れた途端に足場が悪くなってしまいました。それでも茸のところへ行き、顔を近づけます。
「シロスギダケや。多分食べられるよ」
栗ちゃんが小刀を取り出して、茸の根元を切り取っていきました。無我夢中で採っている中、桃が疲れた膝を伸ばそうと立ち上がります。
その時、彼女の目は、奥の方にいる人影を捉えました。およそ、村人の物ではありません。あまりにも珍妙な格好をしているからです。鮮やかな赤い線で描かれた目玉が、丸に囲われて木々の間から浮かび上がってきます。おそらく黒っぽい羽織の模様か何かでしょう。不気味なのに目が離せません。夢に出てきそうで寒気がします。
「ねえねえ、栗ちゃん。あの人……」
と、呟きながら隣を向きますが、なんと茸を切りとっていた筈の栗ちゃんがいなくなっています。辺りを見渡しても、やはり見当たりません。ほんの少しの間呆然と立ち尽くす桃。
用心深い栗木に限って、まさか声を掛けることなく行ってしまうことはないでしょう。きっと近くにいるはずです。桃はそう信じて探してみることにしました。
ここから離れる前に、木の枝三本を拾い、上が交わる様に立てておきます。今いる場所の目印、道が分からない時にこれを見れば自分が木からどれだけ離れているのか分かるはずです。
草や小枝がちくちくと刺してくるのをかき分けていると、ぬかるみにはまり、景色がぐるぐると回ってしまいました。すべってどこかへ落ちたみたいです。手甲当てとすね当てをしていなければ、酷く擦りむいているところでした。笠には枝が刺さって穴があいています。
打ち付けた体をさすりながら登れそうな場所を探すと、丁度ごつごつした岩が横たわっていました。どこまで落ちてしまったのでしょうか。滑らないよう気を付けて登り、先程の目印を探します。木からさほど離れていないところで落ちたので、ずっと登って行けば見えてくる筈です。
しかし、道のあるところまで出ても組んだ枝が見つかりません。倒れて他の枝と混ざってしまったのでしょうか?
桃は受け入れるしかありませんでした。再び迷ってしまったという事実に。
さてどうしたものかと考え始める桃。葉や、小枝の割れる音が規則的に聞こえて来ます。気がつくと、驚くことに大きな動物が後ろから迫っていました。狼か、それとも熊か。慌ててその場を離れて身を隠します。
ガサゴソ、パキパキパキン
正体は茶色の熊。何をしに行くつもりなのか、熊は息を潜める桃にかまうことなく通り過ぎていきます。
恐ろしい熊の影を見送り、胸をなで下ろします。栗ちゃんや村の人を探すため、もう一度歩き出そうとしたその時背後から腕が伸びてきて、桃の口がふさがれてしまいました。抵抗しようともがくものの、口元を抑える力がますます強くなるばかりで全然離れません。
煙たく、甘い匂いが漂ってきます。そのせいだったのでしょうか。
桃の意識は段々と遠のいて――。
***
実は桃を眠らせた男は、修行者と呼ばれる人でした。
修行者とは、人知を超える力を得る為に、神々の住まう山で修行を行う人々のことを指します。雨龍ノ山は、修行者にとって聖域として名高い場所なのです。
聖域での修行は生易しいものではありません。
過酷な修行は、時に多くの脱落者を生みます。
彼も又、山での修行に絶望と限界を感じた一人でした。
彼は笠を被り直すと、彼女を荷物ごと担ぎ上げて、野を駆けるような早さで獣道を登っていきます。下山を決めたとはいえ、明らかに山を知っている者の足取り。やがて男は、異国風の格好をした人と落ち合いました。彼らが洞窟の仲に入ると、いくつもの明かりが灯されます。
やがて、洞窟とは思えない程明るくなりました。彼らはいくつもの分かれ道を、迷うことなく歩いて行いきます。五回くらい道を曲がってしばらく歩くと大きな部屋に出ました。そこには、異国風の格好をした人が二人。部屋の床にあたる場所には、中心に不思議な模様のある円が描かれていました。
「これで良いんだな」
修行者、否、元修行者の男が口を開きます。
異国風の格好をした三人は、揃って首を縦に振りました。
円の中に横たえられる桃。
不思議な格好をした三人組の一人が、何やらぶつぶつと唱え始めます。その間、別の一人が元修行者の男に袋を渡していました。重い音からして、金品の類いです。男が袋を受け取るのを見届けると、彼を連れて部屋を出て行きました。
不思議な円が白い光を放ち始めます。辺りがまばゆい光に包まれ、眠らされていた桃も、あまりの眩しさに驚いたのか、うっすらと目を開きました。
寝ぼけた目に光る模様が映った時には、もう手遅れでした。洞窟に少女の姿はなく、荷物の詰め込まれた竹籠だけが残されていました。
はじめまして。そしてお久しぶりです、かめさんです。
ようやく新作を出すことができました。できるだけこまめに更新していけるよう、頑張りますので、よろしくお願いいたします。
新作と申しますが、前書きにもあるように前作とほぼ舞台は同じです。(多少設定が変わってしまいました)なのであまり新作感はないかもしれません。
全く違うジャンルにも挑戦したいところではあるのですが、大まかな人物設定などを含めると小学生くらいの頃から温めていたこともあり、どうしても思い入れが強くなってしまいます。
少しでも面白いと思っていただけましたら、死んだ卵を温め続けたなれの果てを見届けていただけますと幸いです。