聖王国にて①
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「はあ。こんな寒空の中、皆さんご苦労様。いったいこの中のどれくらいが私の就任式典のために集まってるのかしら?」
眼下でいも洗いになっている群衆に向かって、アリステアは一人ごちた。
神殿を囲む城壁の上から見る限り、この人の群れは神殿の敷地を越えて市街まで続いている。
「アリステア様、お口が悪うございますよ。」
アリステアを軽くたしなめてコートを差し出したのは、神殿のアリステア付きの女官、ダリアだ。小首を傾げ、はしばみ色の瞳を上目使いにして注意する姿は愛嬌がある。
アリステアはダリアからコートを受けとると、
「あら。口の悪い家庭教師の言葉遣いがうつったみたいね。」
と肩をすくめた。そして、城門で行列になっている信者達を指差すと、
「だって、どう見ても私の就任式のための人じゃないじゃない。そもそも、就任式は3日後よ。」
そう言って頬を少しだけ膨らませる。
確かに、城門の行列を一見すると女性の割合が多く、宗教国家『聖王国』のNO.2の就任式に向けての参拝とは思えない。どちらかと言えば、アイドルのコンサートとか娯楽イベントの行列のようだ。
「あぁ…。『御遣い』めあての信者ですね。」
ダリアはため息をついて、下をのぞきこんだ。
参拝というのに、きらびやかに着飾り、横断幕らしきものを持っているものまでいる。
「今回の式典には各地に散っている『御遣い』が全員そろいますからね。特に人気の高い雫様は公の席に出るのは5年ぶりですし。ひと目でもいいから会いたいと、各地から泊まり込みで来ているんです。」
「何よそれ。『御遣い』の仕事は大教皇への忠誠と奉仕でしょ。見世物じゃないっての。」
アリステアは城壁の縁石の上に登ると、腕組みをして見下ろした。
艶やかな黒髪が風に舞うと、少し怒りを含んだ整った横顔が露になる。
美少女という言葉では、彼女を表現しきれない。
意思の宿る濃紺の瞳やすっと伸びた背筋。
立っているだけで人を引き付ける魅力がある。
さすが世界最大規模の宗教のNO.2になる人物だとダリアは思う。
ただ、ちょっと口が悪いのが玉に瑕なのだが…。
「そうなんですが…。いくら大教皇様直轄の組織といいましても才能に溢れた集団ですし、何より皆様それぞれ見目麗しい方達ばかりですから。」
「それで、勘違いした信者も集まってしまっているというわけよね。」
「式典の前に『御遣い』の皆様がリハーサルなどで神殿に一同に会するという噂が出回ってしまって。立ち入り禁止区域まで入り込む者もいますし、目立ちたい一心で垂れ幕や横断幕のようなものを持ち込む人達もいるらしいんです。神殿の神官達も今までのような対応では対応しきれないとげっそりしています。いったいどこの情報売買組織から漏れたのか…。」
「人の式典で儲けようなんて、ふざけたやつらね。サマルキアの『ラディ』あたりじゃないの?あそこは観光で成り立っている国だからね。式典も観光の1つぐらいに捉えてんのかしら。」
不満を漏らしながらも、アリステアの目は素早く城門前の人の動きを追っている。
確かに、素人ではない動きをしている者が数名見られた。しかし、彼らはフリーの雑魚だ。情報売買組織で正式雇用されているエージェントは、上から見てわかるような間抜けではない。あそこらへんの雑魚は、神官でもなんとか対応できるだろう。
「『ラディ』ならいいのです。あそこのトップのローズマリー様は穏やかな方ですから。しかし、『御遣い』の動きは式典の内容に関わる重要事項です。『リイズ』あたりが動いていないといいのですが…。」
ダリアは、眉根を寄せて辺りを見回した。城壁の上は静まり返っている。
ときおり吹き付ける冷たい風の音が耳をかすめるだけだった。
「『リイズ』ねぇ。あそこのエージェント「高知」は厄介ね。信用率100の化け物だもの。依頼された情報は必ず提供し、誤情報は皆無。世界でも稀なエージェントね。」
「そうですよ。高知が動くとしたら観光情報で儲けるぐらいじゃすみませんよ。それでなくても、今回の式典は150年ぶりといわれている教皇の就任式典ですよ。何があるかわかりません。十分お気をつけくださいね。」
ダリアはアリステアに諭すように言って、そっとアリステアのコートの端をつかんだ。
神殿の女官として教育されている彼女がこのようなことをするのは珍しい。
ここ数日の準備や関係各所への対応で、相当神経をすり減らしているのだとわかる。
「大丈夫よ。ダリア。「高知」は化け物でも、『御遣い』のいる神殿で好き勝手はできないわ。それに、神殿の化け物『紅陽」が見回っているんでしょう?大丈夫よ。」
こんな時だけ、口の悪い家庭教師を持ち上げるつもりもないが、「紅陽」という家庭教師は『御遣い』の教育係として神殿での実力は折り紙つきである。今は、アリステアの家庭教師としてついているが、本来は神殿の奥にある大教皇の間で大教皇づきの相談役をしているような人物だ。
「そうですね。紅陽様ならアリステア様のことも守ってくださりますよね。」
コートの端をつかむダリアの手に力がこもる。
「そうね。私も紅陽に迷惑をかけないようにするわ。」
アリステアも、ダリアの手をそっと握る。ダリアの手はすっかり冷たくなっている。
そろそろここにいるのも潮時だろう。
神殿の部屋に戻ろうとアリステアが縁石から飛び降りたとき、聞きなれた声がした。
「迷惑をかけないとどの口が言ってるんだ?迷惑をかけない人間は、リハーサル前はおとなしく部屋で待っているんじゃないか?なあ。アリステア。」
本当、噂をすれば影とはよく言ったものだ。
不機嫌な顔をした紅陽がいつの間にかアリステアの目の前に立っていた。
ダリアはその脇で申し訳なさそうに肩をすぼめている。
「相変わらず、気配を消すのがお上手で。」
気まずい顔をしたアリステアは、嫌味ったらしく紅陽に顔をのぞきこまれてため息をついた。