■第六話■ 《刃》――《火炎化粧》(かえんげしょう)
「――クゥッ!」
時雨の全身を炎が包み込む。
咄嗟、彼女は自身の体に《絡新婦》を巻き付け、纏っていた衣服を切り裂く。
そうする事で炎は吹き散り、火達磨になる事は避けられた。
しかし、直後。
山王の蹴りが時雨の腹部を捉えていた。
「ぐッ」
内臓を圧迫され、激痛と嘔吐感から膝をつく。
肩を蹴られ、そのまま地面に倒される。
「良いザマだなぁ、時雨」
制服は最早原型を留めておらず、布の切れ端を体に纏わりつかせているだけに近い。
下着と素肌を惜しげなく晒している。
そんな姿の彼女を足蹴にし、地面に這いつくばらせ、山王は嗤う。
「貴様……」
甘かった、こういう事か。
山王咢人の《刃》は知っていた。
《火炎化粧》――火炎を生み出し規模や形状を操作するという、火遁術の発展形のようなものだった。
それが今や、自身の肉体を炎に変えられるようになっていたとは。
しかし、それはあくまでも時雨の好意的な解釈でしかなかった。
「実はこの前よぉ、【アサシン】の任務に同行した時に、こんなものを手に入れてな」
「何……」
そう言って、山王が懐から取り出したのは、シルバーのネックレスだった。
鎖の先に繋がった先は小さな容器のようになっており、その内側には赤い液体が揺蕩っている。
それを見て、時雨は驚愕した。
「貴様、それはまさか……【魔道具】か」
学園で優秀な成績を収め、即戦力と認められた生徒には、プロの異能暗殺者に同行し任務をサポートする仕事が与えられる事がある。
任務に参加すれば、相応の報酬がもらえたりもする。
そして、【魔】が絡む事件には、【魔道具】が関連する事が多い。
【魔道具】とは、【魔】が生み出す、人類の知識や科学では解明できない技術のことだ。
魔法と表現しても差し支えないような現象を起こすものも多く、明確な解析ができないものも存在する。
ゆえに時として、その【魔道具】が【アサシン】に新たなる力を与えてくれることも多い。
武器として使用したり、《遁術》や《刃》に影響を与えて強化されたり。
そういった効果が見られる案件があった場合、異能暗殺者上層の判断のもと、その【魔道具】を頂戴し使用する事を許可される事もある。
「……っ」
時雨は歯を食い縛り、理解した。
だから、今日山王は、時雨に喧嘩を売って来たのだ。
今なら間違いなく叩きのめし、無力化できると確信して。
「この【魔道具】は俺の体と相性が良いらしくてな、炎の生成と操作っつぅ俺の能力を、自身の肉体も炎に変える力に進化させてくれたんだよ」
言いながら、山王は容器の蓋を外すと、中の赤い液体……薬品だろうか……それを一口舐める。
山王の持ち上げていた左腕、その肘から先が炎へと変換された。
【アサシン】の神波を強化する力が備わっているのだろう。
特に火遁系……山王の《刃》と最も相性が良かったのだ。
そういうものが生み出されていてもおかしくはない。
【魔】と結託する人間の中には、【アサシン】と同じ神波を生み出す力を持つ者や、堕落した【アサシン】も少なくないのだから。
「それだけ強力な【魔道具】を……貴様のような者が使う事を許されたのか……」
いや、違う、そんなはずがない。
まさか――と、時雨は確信する。
「……任務の最中に発見し、隠し持ってきたのか」
「人聞きの悪ぃ事言うなよ」
山王は哄笑を上げる。
「前の任務――とある犯罪組織の殲滅任務で、俺は殿を務めてたんだがよ、これを持って逃げて来た構成員がいてな」
手にした【魔道具】をくるくると指先で回しながら、山王はその時の事を語る。
「まぁ、そいつ自身も何か金目になりそうなものを盗んで飛び出して来たって感じの雑魚の構成員だった。これをそいつから奪って、使用方法を聞いたんだよ。こいつを口に含めば、火遁系の《遁術》が強化される……そう言われてな」
弄んでいた【魔道具】を手の中に握り締め。
「その構成員はその場で叩きのめしたが、その後こいつを試しに飲んでみた。そうしたらよぉ、俺の才能と最高に相性が良かったらしくてな。俺の《刃》が強化されたってわけだ」
「………」
苦々し気に睨み上げる時雨に対し、山王はぬけぬけと言う。
「ま、未来を担う若き【アサシン】が、今以上の力を手に入れられるんだぜ? 責められるようなことじゃねぇだろ」
そして――。
「さて、おしゃべりはここまでだ」
山王は時雨を見下ろす。
時雨の肩を踏み付ける脚の力は、弱めない。
「勝負は俺の勝ちだ。今から俺はお前を自由にできる。このままひん剥かれて悲惨な目に遭いたくなかったら、素直に俺の配下になれ」
そうしたら、少しは手加減してやるぜ?
軽薄に笑い、そう問い掛ける山王に、時雨は――。
「誰が、従うか」
例え地に伏しても、変わらぬ態度のまま答える。
「おいおい、ハードな路線の方が好みだったか?」
「嬲るなり犯すなり好きにしろ。私だって【アサシン】だ……それくらいの覚悟はある」
ギシッ……と、骨の軋む音がした。
山王の足の力が強まったのだ。
それでも、時雨は続ける。
「だが、私は貴様に心まで屈服する気は無い。助けを求めるつもりも、後で訴えるつもりもない。これは【アサシン】としての矜持の問題だ」
「反抗できるような状況でもないのに、よく吠えるぜ」
顎に手を当て、山王は何か思案するように空を見上げた。
そして――。
「そうだな……じゃあ、まず、お前の世話はこいつらに任せて」
周囲、舌なめずりする手下達を見回して言った後。
「俺は今から、あの落ちこぼれの天見のところにいくとするか」
「なっ……!」
山王の発言に、それまで気丈に振る舞っていた時雨の声が、震えた。
「彼に手を出すな!」
「あいつだけじゃねぇな。そういやぁ、あいつ、確か一つ下の妹がこの学園に通ってたよな?」
時雨の慟哭を無視し、山王はすぐ近くの後輩の配下に問い掛ける。
「ええ、天見睡っつぅ高飛車な態度の奴っすけど、乳はでかいですぜ?」
「そうか、じゃあ、そいつも楽しめそうだ」
山王の言葉に、時雨は瞠目する。
瞳の奥を揺らす彼女に、山王は頭上から言葉を降らせる。
「どうする? 俺に敵わねぇお前に、何ができる? 守ってやれるのか?」
歯を食い縛る時雨の脳裏に、蓮太郎達の姿が浮かぶ。
蓮太郎や睡にまで被害が及ぶ。
「……従えば、彼等には手を出さないか?」
「ああ」
「……わかった」
悔しさを噛み締め、時雨は言う。
だが、そんな彼女の体を瞬間、山王は蹴り上げた。
「だったら頼み方ってもんがあるよなぁ」
「……っ、頼む、彼等に手を出さないでくれ」
地面に頭を擦り付け、時雨は懇願する。
その背中を、山王の足が踏み付けた。
「ハハハハハッ! 最ッ高だぜ! お前のそういう姿が見たかった!」
哄笑を上げる山王。
取り巻き達からも歓声が上がる。
時雨は土に顔を付けながら、涙を浮かべた。
だが、これしかない。
これでいいのだ……そう、心に言い聞かせ。
――山王の足が、急に弾き飛ばされた。
「……あ?」
いきなりの衝撃に足を弾かれ、山王は訝る。
見ると、足元から時雨の姿が消えていた。
「………」
山王は横を見る。
数メートル先……そこに、一人の少年が立っていた。
腕の中抱いていた時雨を、ゆっくりと地面に座らせる。
「あぁ?」
「蓮……太郎」
時雨は見上げた彼の姿を見て、その名を呼んだ。
「ごめん、時雨。もっと早く気付いて、駆け付けるべきだった」
自身が来ている上着を脱ぎ、時雨の肩にかけ。
「……山王」
そして彼は。
天見蓮太郎は、背後の山王を振り返り、鋭い眼光で睨み付けた。