■第五話■ 山王咢人からの因縁
蓮太郎と時雨の関係は、順風に継続されて行っていた。
そんなある日の事だった。
東郷学園での日程が終わり、時は放課後。
時雨は蓮太郎の待つ廃屋の修練場に向かうため、校舎の中を歩いていた。
そこで、時雨の前に数人の男達が立ちはだかる。
先頭に立つ男の顔を見て、時雨は怪訝そうに顔を顰めた。
「よう、時雨」
取り巻き達と共に偉そうな態度を取るのは、山王咢人だった。
「何の用だ、私は急いでいるんだが」
「聞いてるぜ、お前、あの落ちこぼれの家庭教師になったんだろ」
時雨より頭一つ分背の高い山王は、上から見下ろすように立つ。
「これから、あの落ちこぼれのところに行くのか?」
「……だったら、何だ」
「いや、同情してるんだぜ? 異能暗殺者の未来を支える優等生が、あの無能の子守りで無駄に時間を費やしてるんだと思うとな」
「……校長の命令なのでな」
彼の煽るような発言も、いつもの時雨なら軽く流していた。
しかし今回に限っては、時雨は強く山王を睨み上げる。
「それと、さっきから彼の事を落ちこぼれだの、無能だの、わかったような口で語るな」
「ん? なんだ、随分と庇うじゃねぇか。何日か一緒にいて、生徒に情でも移ったか?」
へらへらと笑いながら、山王が浮薄な笑みを浮かべる。
「出来の悪い教え子ほど、愛着が沸くって言うもんなぁ?」
「―――ッ」
瞬間、苛立ちがピークに達した時雨の手が、山王の頬を横薙ぎに叩いた。
「痛ぇなぁ」
ピリ付く取り巻き達の一方で、しかし、山王は飄々とした態度を崩さない。
謎の余裕に、時雨は眉間を顰める。
「何が目的だ。事あるごとに私に絡んで、そんなに私が気に入らないか」
「ああ、気に入らねぇ、ずっとな」
白い歯を見せ、山王は憎々し気に言う。
山王家と空蝉家は、高位の家同士親交があった。
山王咢人と空蝉時雨は、いわゆる昔馴染みだ。
時雨も、山王の事を幼少から知っている。
お山の大将。
気に入らないものがあれば、捻じ伏せなくては気が済まない気性の持ち主。
「成長すれば、その性格も少しはマシになるかと思っていたが……子供の頃から変わらないな」
「ああ、変わらねぇよ……」
山王の顔に、下卑た笑みが浮かぶ。
彼の右手が、真っ直ぐ伸ばされる。
猛禽の爪の様に折り曲げられた指先が、時雨の、そのスイカのような乳房を掴もうとする。
しかし寸前、時雨は後方に身を引いて躱すと、返す一手で再び山王の頬を張った。
甲高い音が響く……無論、再三の打撃にも山王は表情を変えない。
むしろその反抗の数々が、彼の加虐心を高めているかのようだった。
「昔っから言ってたよなぁ………絶対に、お前を屈服させるってな」
刹那、山王の手に小刀が握られていた。
忍は常時、武器を隠し持っているもの。
彼はその切っ先を、時雨へと向ける。
「お前のその偉そうな物言い、ずっと気に入らなかったんだよ。どっちが上か、はっきりしてぇ」
山王の目は、煌々と輝いている。
本気の……肉食獣が獲物を前にして、欲求を押さえきれなくなっている時のような目だ。
我慢が限界に達したのか? 長年に渡り抱いていた欲を開放したくなったのか?
わからないが。
「……いいだろう」
時雨は言う。
真っ向から山王を見据え、はっきりとした口ぶりで。
「今後、もう二度と私の前に現れたいとも思わないよう、徹底的に体に教えてやる」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「……遅いなぁ」
一方その頃、修練場。
既に準備のためのストレッチも終えていた蓮太郎は、壁掛けの時計を見ながら呟く。
時雨を待ちながら時間を潰していたが、彼女は一向に訪れる気配が無い。
約束の時間は過ぎている。
「何かあったのか? ……いや、まさか、心配し過ぎか」
自分にも厳しい彼女は、当然時間に対してもルーズなどという事はない。
今まで、待ち合わせ時間を破った事など無かった。
しかし……それでも数分遅れているだけだ。
何より、自分なんかが心配しても、彼女に失礼だろう。
そう結論付け、蓮太郎は自身の《刃》――一振りの日本刀を生み出すと、教本に書かれた型の稽古を始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
場所は移り、校舎裏の人気の無い場所。
山王の取り巻き達が周囲を囲い、その中で山王と時雨は向かい合っていた。
二人とも、姿は東郷学院の制服のまま。
しかし、醸す雰囲気は既に一端の【アサシン】のものとなっていた。
「ルールは簡単、先に降参した方の負けだ」
山王が、手にした小刀の切っ先を向けながら言う。
「その後は……何をされたって文句は言えねぇぜ? お前も【アサシン】なら、命の遣り取りする覚悟はできてるだろ」
「承知の上だ」
相対する時雨は、特に武器も出していない。
腕を組み、構えもせぬまま立っている。
「しかも、お互い同意の上での決闘だ。後で誰に泣き入れようが、誰も庇っちゃくれねぇぞ。完全に自己責任だぜ」
「時間が惜しい、とっとと始めろ」
時雨の言葉に、周囲が湧き立つ。
時雨の敗北を望む者達による罵詈雑言が迸り始めた。
山王は口元に歪んだ笑みを浮かべる。
「はっ、そんなにあの落ちこぼれのところに早く行きてぇか」
レフェリー役に出された取り巻きの一人が、開始の合図を告げる。
山王が小刀を振り被り、地面を蹴る。
真っ直ぐ、時雨に向かって飛び掛かろうと――した、瞬間だった。
「終わりだ」
――山王の体が、糸で雁字搦めにされていた。
ざわり、と観衆がざわめく。
山王の全身を拘束するのは、細く鋭い糸である。
先日、取り巻き達の身を捕らえたものと同じだ。
これこそ、時雨の《刃》――《絡新婦》。
指先から鋭利な糸を生み出し、それを自在に操る事が出来る。
彼女は戦いが始まる前、このリングに立った瞬間から、既に糸を生み出して地表に張り巡らせていたのだ。
圧巻――山王は一瞬にして、彼女の糸で身動きを封じられた。
「負けを認めろ。でなければ、全身が輪切りになるぞ」
時雨が腕を引くと、糸が更に深く肉に食い込む。
彼女の《絡新婦》の糸は、丸太程度なら容易く切り裂く程の靭性を持つ。
ハッタリではなく、警告だ。
だが。
「はっ……やっぱりお前、俺を舐めてるな?」
その状況にありながら、山王の顔には依然、余裕の笑みが浮かんでいる。
時雨は訝る。
なんだ……この男の、先刻からのこの余裕は。
一体何を考えて――。
「俺の《刃》が、昔から変わらねぇと思ってんだろ」
その時だった。
――山王の全身を、炎が包み込んだ。
「なッ」
まるで火柱。
火炎の柱が燃え上がり、山王の姿を掻き消す。
瞬間、時雨の指先――糸を伝わって感じ取っていたはずの、山王の肉体を拘束している感覚が、消えた。
糸が焼き切られた? ……否、時雨の《絡新婦》は、生半可な熱では破壊できない。
ならば――脱出された?
「こっちだ」
声は背後から。
時雨はすぐさま振り返ろうとしたが――遅かった。
そこに立つ山王の拳が、時雨の脇腹に叩き込まれていた。
「が、は」
単なる当身――とは言え、山王咢人の放った一撃である。
腹の中を衝撃が貫き、時雨は体を曲げながら後ずさりする。
「貴、様……」
「言っただろ? 俺の《刃》が昔と変わらねぇと思ってる、それがテメェの思い上がりだ」
改めて相対した瞬間、時雨の目の前で、山王の体が再び燃え上がる。
否、気付く。
山王の体が燃え上がっているのではない。
山王の体が――炎に〝変わっている〟のだ。
燃え上がる焔でありながら、その炎はどこか山王の姿を形作っている。
「さぁて、お前等、待たせたな」
取り巻き達に言いながら、ひゅん――と、山王の右腕……炎でできた右腕が動いた。
その腕はまるで鞭のように伸び、時雨の右肩を掠める。
「ぁぐ!」
じゅっ――と音がした。
制服の一部が焼き切られ、その下の皮膚まで燻られる。
苦痛に顔を歪めた時雨を見て、山王は凶暴な哄笑を上げた。
「空蝉時雨の火だるまダンスだ」
――放たれた火炎の波が、時雨の体を包み込んだ。