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■第四話■ 蓮太郎の妹



「434、435……どうした! 動きが遅れているぞ!」

「あ、ああ! わかってる!」



 修練場の中に、木刀が空を割く音と、時雨の喝の入った声が響く。

 それから数日、時雨による蓮太郎の鍛錬は続いていた。

 その間に、時雨は蓮太郎という人間を、徐々にだが理解できてきた。

 蓮太郎は努力を怠らない。

 自身に諦観せず、才無き身でありながら少しでも一人前の【アサシン】になろうと学び、自身を磨いている。



「498、499、500! よし、その意気だ!」

「おう!」



 自分との鍛錬にも本気で向き合っている。

 その事を理解してからは、不思議と時雨も嬉しい気持ちになった。

 蓮太郎は神波に特色が無く、何の《遁術》にも特化していない。

 それでも、学習と反復練習を用い、使えるようになろうとしている。

 才能を持つ【アサシン】の何倍も努力をしないといけない……それはきっと、本人も承知の上だろう。


 加えて、蓮太郎の《刃》は、ただの刀。

 何の変哲も無い刀だからこそ、せめて剣術を修めて戦えるようになろうと……こうして泥臭い素振りで鍛えている。



「よし、今日はここまでにするか」



 日も暮れ、修練場の中も暗さを増してきた。

 切り上げの頃合いであると、時雨が告げる。



「……っ」

「ん?」



 そこで時雨は、蓮太郎の手のマメが潰れ、血が流れているのを見付ける。



「大丈夫か?」

「ああ、いつもの事だから……宿舎に戻って治療しないと」



 手早く帰り支度を行うと、荷物の入った鞄を持ち、蓮太郎はその場を後にしようとする。



「私もついていこう」



 そこで時雨が、蓮太郎の持ち上げた鞄を手に取った。

 豆の潰れた手で持っては、痛みが増すだけだと判断したからだ。



「一人では治療も難しいだろう、手伝わせてくれ」

「大丈夫だよ」



 そこで蓮太郎は、苦笑しながら言う。



「うちには、家族もいるから」

「……家族?」




 ◆◇◆◇◆◇◆◇




 この東郷学園には、生徒が暮らす宿舎が複数存在する。

 そして兄弟がいる場合、一緒の宿舎や一緒の部屋で暮らすのも珍しくはない。



「蓮太郎には兄弟がいたのか」



 時雨と蓮太郎は、蓮太郎の宿舎に向かっていた。

 蓮太郎は、「だから別に心配ないって」と言っているのだが、時雨は頑なに蓮太郎に荷物を返そうとしなかった。



「そう言うな、私にも師範としての責任がある」

「本当に大丈夫なのになぁ……」



 そして二人は、宿舎に辿り着いた。

 木造の平屋で、かなり古い見た目の宿舎――ここが、蓮太郎の住まいのようだ。



「綺麗な所とは言い難いけど、まぁ、中はそれなりに整えてるから」

「趣があるじゃないか」



 蓮太郎と共に、時雨は玄関を上がり、居間へと向かう。

 時雨が暮らしている最新の宿舎のように個別の部屋ではなく、一軒家を間借りするタイプのようである。

 と言っても、現在住んでいるのは蓮太郎とその家族だけのようだが。



「あ、(すい)。ただいま」



 居間の扉を開けると、そこに一人の少女がいた。

 ショートカットの銀色の髪、前髪の隙間から覗く赤い目が、蓮太郎へと向けられる。

 華奢で小柄な体格ながら、不釣り合いに育った胸の主張が激しく、装着したエプロンを押し上げている程だ。



「おかえりなさいませ、兄さま」



 彼女――蓮太郎の妹、天見睡(あまみ・すい)は、抑揚の薄い声音を蓮太郎に返す。



「今日も随分絞られたようですね。着替えはいつものように用意していますから、早く服を脱いでください。洗濯をしたいので」



 喋りながらテキパキと夕食の準備をしている彼女は、そこで蓮太郎の背後に立つ時雨の存在に気付いた。



「あら? こちらの方は」

「ああ、時雨だ。空蝉時雨、前に話した、俺の師範」

「………左様ですか」

「じゃ、俺はちょっと傷を治療してくるよ。ついでに着替えもしてくるから、時雨はここでくつろいでて」



 睡に「お茶を出して」と言い残し、蓮太郎は治療のために自室に向かう。

 居間に、時雨と睡が残された。



「お話は伺っております」



 ぺこり、と、睡が頭を下げる。



「兄が、いつもお世話に」

「あ、ああ、いやこちらこそ」



 睡の仰々しい態度に、時雨も慌てて挨拶を返す。



「しかし、知らなかった、蓮太郎に妹君がいたのだな」

「……蓮太郎?」



 ぴくり、と、睡の目尻が上がる。



「失礼ですが、兄を下の名前で呼んでいるのですか?」

「そ、そうだが」

「……そうですか」



 なんだか、睡から向けられる視線が鋭くなった気がする時雨。



「……お話の腰を折り申し訳ございません。知らなくても当然です。兄さまは、あまり外で睡の事を喋りませんから」

「そうか……」

「よろしければ、お夕食を一緒にどうでしょう。空蝉家の次期頭領様のお口に合うようなものは、ご用意できませんが」



 なんだか棘のある言い方である。



「いや、大丈夫だ」



 あまり歓迎されていない気がしたので、時雨は素直に断る事にした。



「ふむ……」



 そこで時雨は、睡の姿を見ながら、小さく呟く。



「何でしょう?」

「つかぬことを聞くが、君は、蓮太郎の血の繋がった妹なのか?」

「……おっしゃりたい事はわかります」



 率直な疑問だった。

 銀色の髪、赤い目。

 睡のそれらは、蓮太郎のものとは全く違う。



「睡は天見家と、血の繋がった正しい親族ではありません。睡はかつて、大上(おおがみ)家に生まれました」

「大上……異能暗殺者(アサシン)の中でも、上位に名を連ねる名家じゃないか」

「諸事情がありまして、睡は大上家から放逐されたのです」

「放逐……」

「捨てられたのです。それを養子として受け入れたのが天見家……先代天見家頭領……父さまでした」



 事情は知らないが、彼女が大上家からあまり良い扱いを受けていなかっただろうことはわかる。

 厄介者として、位の低い天見家に無理矢理押し付けた……といったところか。



「そうか……」

「でも、辛くはありませんでした」



 そこで、睡は微笑を浮かべた。

 年頃の少女に相応しい、花の零れるような笑顔だった。



「父さまも、兄さまは、睡を本当の家族の様に迎え入れてくれましたから」

「………」

「兄さまは、父さまが裏切り者と断罪された後、それでも睡を守ろうとしてくださいました」



 ぎゅっ……と、睡は自身の胸を抱き締めるようにする。

 辛い記憶を、かけがえの無い記憶を、大切なもののように抱き締めて、語る。



「家そのものが無くなっても不思議ではありませんでしたし、その方が自然なことだったろうと思います。それでも兄さまは、自分が頭領となると言って天見家を継ぎました」

「………」

「きっと、睡を孤独にしないため……本来血の繋がった家からも捨てられ、そしてまた家族を喪う羽目になった睡を……守るため」



 そこで睡は、ハッと我に返ったように表情を変える。



「べ、別に、私の事など見捨ててくれてよかったのに、おかげで無才の妹という目で見られ迷惑しているのはこちらです」

「……そうか」



 睡の口から語られた経緯を聞き、時雨は表情を落とす。

 裏切り者の息子、薄血頭領……流言の裏にあった、蓮太郎の覚悟を知り、今までの自分の態度を恥じた。



「睡も兄さまも、絶対に、【アサシン】としてこの世界で認められ、天見家の汚名を返上したいと考えております」



 それに、と、睡は続ける。



「きっと、父さま裏切ってなどいません。その真相も、究明してみせます」



 赤い目で真っ直ぐ、蓮太郎の消えていった扉の方を見詰め。



「父さまは、心優しく高潔な方でした。汚い裏切り者などではありません……絶対に」




 ◆◇◆◇◆◇◆◇




 その後、手の怪我を治療し終わった蓮太郎は、帰る時雨を送って行く事になった。



「そういえば……」



 帰り道の、道すがら。

 ふと、蓮太郎が口を開いた。



「この前、ほら、時雨が俺の師範を任された、獅子原校長に呼び出された時」

「ああ」

「校長が言ってた、時雨の『夢』って、何の事だったんだ?」

「………」



 ――貴方の〝夢〟の事を考えれば、こういう経験も無駄ではないのでは? ――


 あの日、校長室で獅子原校長が言った言葉。

 つい思い出し、蓮太郎が雑談混じりで問い掛けた。



「そ、それは……その……」



 すると、それに対し、時雨はもじもじと目線を泳がせながら言い淀んでいた。



「もしかして、言い辛い事だった?」

「いや、そういうわけではないのだが……だ、誰にも言わないと約束するか?」



 その強い物言いに、蓮太郎は少々動揺しながらも「約束するよ」と返す。



「私は将来……東郷学園の教師になりたいと考えているんだ」



 時雨の口から語られたのは、そんな彼女の『夢』だった。



「教師……」

「若き【アサシン】達を導くような存在に成りたい……そう思っているのだ。校長にも話した事があった」



 少し頬を朱に染めながら、時雨は語る。

 しかし、そこで目線を落とす。



「だが、私は何というか……性格上、他人に対して厳しくなりすぎる部分がある」

「うん、なんとなくわかる」

「そんな厳しい自分では、上手く人に教えられるだろうか……」



 不安を吐露する時雨。

 そんな彼女をしばし見詰めて、蓮太郎は。



「じゃ、俺がその証明になるよ」

「え?」

「時雨が、優秀な教師の素質を持ってるっていう証明に」



 立ち止まった時雨の少し先に歩み出て。

 蓮太郎は振り返り、時雨に微笑みかける。



「俺が一端の【アサシン】になれれば、それが証明になるだろ?」

「………蓮太郎」



 目の前に立つ彼の姿が、不思議なくらい大きく見えて。

 時雨は自然と、表情を緩ませていた。




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