■第三話■ 蓮太郎の努力
「天見、君は、《遁術》は何が得意だ」
「え?」
時雨が蓮太郎の師範に任命され、二日目。
軽いウォーミングアップ(と言っても、今日も霊珠の森の中を、昨日ほどの速度ではないが駆け抜けるというものだが)を終えた二人は、獅子原校長に許可を取って実践訓練場の一つを貸し切らせてもらっていた。
ちなみに、今日は休日で、学園の授業は行われていない。
他の生徒達は勿論、教員等、周囲には人影ひとつ見当たらない。
「《遁術》だ。君も【アサシン】の端くれなら、最低一つくらいは得意な《遁術》があるだろう」
【アサシン】は、普通の人間には存在しない特殊な臓器――丹田を体の中に持つ。
この丹田から生成される神波と呼ばれる力を、感覚の鍛錬により放出・操作・変換する。
そうして神波を操る事により、超自然現象化して体外に発現する事――それを、《遁術》と呼ぶ。
長きに渡る歴史上の研究と研鑽により、この神波は、主に四種類の現象に変化させることができる事がわかった。
かつての四大元素思想――個体、液体、気体、エネルギー――この四種類のイメージで神波を操作し、発露する。
これが土遁、水遁、風遁、火遁――忍の操る、四大遁術である。
ここで重要なのは、【アサシン】の神波にはそれぞれ、その個人特有の個性というか特色があり、それによって得意な《遁術》や苦手な《遁術》が現れるという点である。
例えば、火遁が得意なら、土遁、風遁、水遁は使えない者がほとんどだ。
二種類以上の遁術を発現できる、希少な神波の特性を持つ忍もいたりはするが。
「えーと、それは……」
時雨からの質問に、蓮太郎は言葉を濁す。
「まぁいい、実際に《遁術》を使ってみろ」
身体の強化だけではなく、技術の強化も当然、鍛錬の内に入る。
時雨は蓮太郎の《遁術》を鍛えるつもりで、この話を始めたのだ。
「じゃあ……」
時雨に指示され、蓮太郎は渋々といった感じで集中を始める。
体内の丹田を意識し、そこから発生する神波を体……主に腕、手先に集めるイメージ。
そして突き出した指先から、自然現象に準えた姿で、神波を放出する。
「ふっ!」
蓮太郎が放ったのは、火遁。
翳した手の平から、炎が放射されるイメージ。
……が。
「………?」
蓮太郎の手の平の前で生み出されたのは、まるでライターの炎程度の微かな火の塊。
生み出された発火は数秒ほど燃え盛ると、すぐに消えてしまった。
「あちっ!」
「………」
「あ……これは、その」
無言で見詰める時雨に、蓮太郎はバツが悪そうに言葉を詰まらせる。
「……あ、間違えた、水遁だった」
空気を切り替えるように言った蓮太郎だが、続いて彼が行った水遁も、お世辞にも攻撃とは呼べない……水鉄砲くらいの代物だった。
ばしゃり、と、夏場の打ち水のように地面に水の跡が広がる。
「………」
「……ふ、風遁! 風遁なら大丈夫だから!」
無論、風遁も……少し強風がその場に吹いた程度。
流石に、ここまでくれば時雨も感付く。
「……えーっと、これは、その……」
「まさか、とは思うが」
改めて理解する。
彼は薄血頭領。
血の薄い、才能の薄い、暗殺者。
薄血ゆえに、どの遁の才能も見られない。
「そういうこと、か……」
時雨は、落胆の混じった声で呟く。
大抵の【アサシン】であれば、どれかの《遁術》を使えば何かしら適性が見られるものだ。
しかし、彼は、何をやっても半端な力しか……。
「………ん?」
いや、待て……。
そこで、時雨は気付く。
彼女の目前で、続いて蓮太郎は土遁を披露している。
足元の地面に手を置き、盛り上がった土を円錐や棘状に変化させているが……範囲は狭いし何より小さい。
到底、攻撃にも罠にもならない……が。
しかし、問題はそこではない。
威力は確かに弱いものの、それでも蓮太郎は、四種類の《遁術》をある程度の形で発現させている。
大抵の忍は、一つの属性に特化しているものだ。
他の《遁術》は、そもそもまともに発現できない者も多い。
「……一応、四種類とも発現ができるのか」
「ちょっと、勉強したからね」
と、蓮太郎は苦笑交じりに言う。
その発言に、時雨は、以前と同じような違和感を彼に覚えずにはいられなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「……よし、今日はここまでだよね」
時刻は昼過ぎ。
予定していた今日の訓練の時間が終わるや否や、蓮太郎はいそいそと帰り支度を始める。
時雨はそんな蓮太郎を呼び止めようとする。
「少しいいか? いくつか聞きたい事が……」
しかし、そう問おうとした時には、既にそこに蓮太郎の姿は無かった。
「なっ!? いつの間に……」
急ぎ実践訓練場の外に出れば、遥か先に駆けて行く蓮太郎の姿を発見する。
「……何をそんなに急いでいるんだ?」
疑問を抱きながら、時雨は蓮太郎の後を追う。
彼には色々と聞きたい事があるのだが、今は、こうまでして急いで向かう先が気になる。
時雨は物陰に潜みながら、秘かに彼を追跡する。
すると――。
「……ここは」
蓮太郎が訪れたのは、休日も開いている、学園内の図書館だった。
「図書館?」
入り口を潜ると、蓮太郎は顔馴染みなのか、司書に軽く挨拶をしている。
そして何やら鍵を受け取ると、図書館の奥へと向かって行く。
時雨はその後を追う。
気配を殺しながら完全に尾行を行えているのは、流石は【アサシン】といったところか。
(……どこに向かっているんだ?)
やがて、彼が辿り着いたのは――閉架書庫という、古い書物や希少な書物を保管してある書庫だった。
鍵を開け、中へと入る蓮太郎と、少し遅れてその後に続く時雨。
閉架書庫の中は、古い紙と埃の臭いでむせ返りそうになる。
蓮太郎は書庫の中からいくつかの本を抜き出すと、机に腰掛け、黙々とそれらを読み込み始めた。
そして時折、気になった内容を見付けると、持ってきたノートにそれを写している。
(……勉強をしている、のか?)
よく見れば、そこに有るのは、異能暗殺者に関する歴史や、数多くの術理の本。
時雨は思い出す。
先程、《遁術》を披露した際、彼が「勉強した」と言っていたのを。
(まさか……学習で、《遁術》を習得したのか?)
薄血で才能が薄いが、神波はある。
彼が持つのは特色の無い、無色の神波。
それを、学習による技術の習得で、発現する術を手に入れたのか。
才能が無いなりに、懸命に努力して。
(………)
才有る者達にとって容易くできる事を必死に技量で補って、彼なりに、それでも一端になろうとしていたのか?
蓮太郎の図書館での学習時間は、数時間に及んだ。
その間、飲まず食わずで、ただ黙々と机に座し、そして知識の習得に努めていた。
頭の中で文面を繰り返し、それを肉体で再現する方法を何度もイメージし、刷り込ませている。
やがて、図書館が閉館する事を告げる放送がかかった。
「……っと、もう時間か」
蓮太郎は閉架図書館の本を棚へと戻し、鍵を司書へ返すと、そのまま図書館を後にした。
(……帰るのか?)
その後を、時雨は追う。
しかし、蓮太郎が向かう先は、彼が暮らす生徒用の宿舎とは逆の方向だ。
蓮太郎が向かった先――そこは、学園の敷地内に存在する、人気の無い……廃屋に近い修練場だった。
いや、実際にもう使用されていないので、廃屋といって差し支えないだろう。
ボロボロのその修練場の中は、ある程度整理されていた。
おそらく、蓮太郎が自分で掃除をしたのかもしれない。
「……よし」
物陰に隠れ、時雨は修練場の中央に立つ蓮太郎の姿を見る。
すると彼は小さく呟くと、彼は右手を突き出す。
そして集中するように、目を閉じる。
《遁術》を発動するのか?
いや、違う、同じ【アサシン】として、彼が何をしようとしているのか、時雨にはわかった。
――気付けば、彼の右手には、一振りの刀が握られていた。
(……あれが……彼の《刃》……)
見たところ、ただの刀に見える。
柄があり、柄があり、そして刀身がある……刃渡り三尺(90㎝)足らず程の、単なる日本刀。
(……〝噂〟は本当だったのか……)
――《刃》とは、異能暗殺者の名に由来する、彼等が持つ異能の力。
かつての昔より受け継がれる、異能暗殺者が【魔】に対抗するために振るう心の刃。
自身の神波を、その【アサシン】固有の力にして顕現するというもの。
《遁術》よりも歴史が古く、《遁術》を才能に基づく技術とするなら、刃は才能に基づく超能力と呼べる。
そして、薄血頭領、天見蓮太郎の《刃》は、『特性の無いただの刀を生み出す』というもの。
その噂は聞いた事があった。
蓮太郎は刀を振るっている。
《刃》自体、顕現し続けるには神波を使う……彼の《刃》がどういう特性を持っているかは知らないが、長時間使用するのはそれだけで体力を消耗するはずだ。
その状態で彼は、剣術の鍛錬を行っているのだ。
剣術の教本を片手に、型を演じている。
自身を過酷な状況に追いやって、懸命に。
「………」
枝から落ちそうになった蓮太郎の手を掴んだ際、その手があまりにも、マメが潰れ、皮が厚く、ごつごつしていた理由が分かった。
時雨は、しばし顔を伏せる。
親は裏切り者。
才能は薄く。
学園に通いながらも授業をサボる落ちこぼれ。
……その影での姿を、自分は知らなかった。
「何故、黙って鍛錬をしているんだ?」
「うわ!」
急にその場に姿を現した時雨に、蓮太郎は声を上げて驚いた。
「……な、なんだ、時雨か。よくここにいるってわかったな。もしかして、後を付けてたとか?」
「先に質問に答えろ」
蓮太郎の言葉を誤魔化す様に、時雨はごほんと咳払いしながらそう言った。
「いや……なんていうか、俺なんかにつき合わせるのは悪いと思って」
「私は君の師範だ。君を強くさせる事が役目なのだぞ? それこそ失礼だとは思わないのか? 蓮太郎」
時雨は、修練場のボロボロの壁に掛けられた木刀を一振り手に取る。
「え?」
「剣術なら私だって手に覚えはある。相手くらいにはなれるぞ」
「いや、今、蓮太郎って、俺のこと名前で……」
「な、名前を呼んではいけない理由でもあるのか!? 不便だろう!」
時雨はまるで、年相応の少女のように慌て、顔を赤らめ、そう言う。
蓮太郎は苦笑し、彼女へと「よろしくお願いします」と、頭を下げた。
この日、時雨は少なくとも、本心から純粋に、蓮太郎を鍛えてやろうと、そう思ったのだった。