■第一話■ 異能暗殺者(アサシン)の落ちこぼれ
――異能暗殺者
この世とは別の次元――異界に住む、人とは別の文化、文明を築く種族――【魔】と呼ばれる者達がいる。
これら【魔】を呼び寄せ、協力関係を結ぶ方法を手にした人間達により、魑魅魍魎が蔓延る闇の世界が生まれた。
結託した人と【魔】は増長し、犯罪や暗躍等、表の世界にまで影響を及ぼす事も増えた。
この世は混沌に満たされるしかないのか……。
否――それに抗う者達がいた。
闇の世界に生きながら、これら悪に対抗するために生み出された組織。
今から数百年前に結成され、歴史の裏に潜み、影の中に隠れ、人知れず悪鬼を切る者達。
《刃》と呼ばれる、【魔】に対抗しうる特殊な異能を持つ暗殺者集団。
それが、異能暗殺者である。
◆◇◆◇◆◇◆◇
現代――。
ここは、東郷学園。
異能暗殺者……通称【アサシン】を育成する学園である。
ここには、何百人もの由緒正しきアサシンの血族達が通い、学び、そしてアサシンの未来を築く人材を育成している。
そんな学校の敷地内に点在する、中庭の一つ。
木陰に腰を下ろし、本を読んでいる少年がいる。
歳は10代後半くらい。
中肉中背の体格に、黒髪の下には精悍な顔付きの容貌が見える。
正統派の大和男といった感じだ。
「……ふぅ」
彼は読んでいた本――かなり古い本なのか、表紙がくすんでいる――をパタンと閉じると、目を閉じて両腕を天へと突き出す。
凝り固まった体をほぐす為に、伸びをしているようだ。
彼の名は、天見蓮太郎。
この学園の生徒である。
「よぉ、天見」
するとそこで、彼の下に近付いてくる人影があった。
一人や二人ではない……ぞろぞろと、数名連れだって現れた彼等の中、先頭に立つ男が蓮太郎のすぐ間近に立つ。
背が高い。立てられた白髪に、鋭い目付き。
上から蓮太郎を見下ろしている。
「今日も日がな、だらだら読書か? 〝薄血頭領〟様よぉ」
「山王……」
蓮太郎は彼を見上げて、その名を呟く。
彼の名は、山王咢人という。
「今日の実戦訓練、出席してねぇと思ったらこんなところでサボってたのか?」
「サボってたわけじゃないよ。こうして、自習をしてたんだ」
蓮太郎は言いながら、手にした本を持ち上げる。
それを見て、山王はハっと鼻を鳴らした。心底見下しているような態度だ。
「そうかそうか、確かに、お前じゃ出ても意味が無ぇからなぁ。まともに《刃》も《遁術》も使えねぇお前じゃ、公衆の面前で恥かくだけだもんなぁ」
そう言って、嘲笑する山王。
「困ったな……」
蓮太郎ははぐらかすように頭を掻く。
山王の周りには、同級生や先輩後輩を問わず、数名の取り巻き達がおり、彼等も蓮太郎を嘲笑っている。
山王は【アサシン】の中でも位の高い家で、この山王咢人はその家の次期頭領。
実力も折り紙付きだ。
笑い声の渦の中で、蓮太郎は追従するように苦笑を浮かべていた。
そこで――。
「邪魔だ。どいてもらいたい」
凛とした声がその場に響いた。
その声に山王が振り返る。彼等の輪の中を、一人の女子生徒が歩み進んで来る。
「よぉ、時雨じゃねぇか」
現れたのは、背の高い女子生徒だった。
纏っているのはこの学校の制服……即ち、学生服姿なのだが、スカートからすらりと伸びた足や、艶やかな菫色の髪、カッターシャツに収まりきらない程の巨乳、その全てが色気に満ちており、嫌でも目を引いてしまう。
顔立ちもまたかなり整っており、意思の強そうな目元が特徴的だ。
彼女の名は空蝉時雨。
山王家同様、【アサシン】の中でも位の高い名家――空蝉家の後継ぎである。
「なんだ? 俺に何の用だよ?」
「お前に用があるわけじゃない」
浮薄で馴れ馴れしい口調の山王に、時雨は切り捨てるような強い口調で言う。
「それと、お前に馴れ馴れしく名前を呼ばれたくはない。失せるがいい」
「おい、お前! 咢人さんに何失礼な事言って――」
時雨の物言いに、数人の取り巻きが声を荒げ彼女へと詰め寄ろうとする。
だが、その瞬間――気付く。
「お、おい……」
「……な!?」
何か、キラリと輝くものが、彼等の体に巻き付いている。
目を凝らさなくては見えない……否、この日中の屋外では、光を反射してやっと存在が認識できた。
それは、〝糸〟だ。
その場にいる者達全員の周囲に、気付けば蜘蛛の巣の如く――糸が張り巡らされている。
「おいおい……こんなところで《刃》を使うとは、どういうつもりだ?」
山王が時雨に向かって嘆息しながら問う。
「どういうつもりも無い。ただ単純に、お前達にここから立ち去って欲しいだけだ」
時雨が指を動かすと、糸が軋みながら締め上がる気配がした。
山王の取り巻き達が、慌てている。
「……ハッ、なんでこいつを庇うんだ」
そこで山王が、以前座ったまま事の成り行きを見守っていた蓮太郎を指差す。
「薄汚ねぇ、裏切り者の……天見家の人間をよぉ」
「………」
その言葉に、蓮太郎は表情を落とす。
「こいつの父親……先代の天見家頭領は、異能暗殺者を裏切り【魔】共と手を組みやがった。先代はその騒動の中で死亡したが、そのせいでこちら側の陣営にもどれだけの被害が出たか……知らねぇわけじゃねぇだろ」
「………」
時雨は、黙ったまま蓮太郎の方を一瞥する。
山王の口は止まらない。
「その裏切り者の血族……何よりこいつら天見家は、大本家龍堂家から連なっちゃいるが、分家も分家、分家の末端――八等分家だ。本家からの血が薄く、【アサシン】としての才能も薄い、名前だけ残してもらっている薄血の一族」
山王は足を振るう。
その蹴りが、蓮太郎の顔の真横を掠めた。
蓮太郎は動じてはいないが、その表情は曇ったままだ。
「一家取り潰しになりゃあよかったのによぉ、こいつが無様に後継ぎになる道を選びやがって――」
「……話はまだ終わらないか?」
言葉を連ねる山王を阻み、時雨が言った。
「私は彼に用があるのだ。早々に立ち去って欲しい」
「……ハッ」
吐き捨て、山王は蓮太郎に背を向けると、時雨の横を通過する。
「あまり、図に乗るなよ」
そう言って、彼は立ち去る。いつの間にか糸は消え去っており、取り巻き達も山王に続いて行った。
一方、時雨はそんな山王達には目もくれず、蓮太郎を見下ろしていた。
冷たい目だ。
「ありが……」
「先に言っておくが、別に君を助けようとか、庇ったわけではない」
ありがとう、と言おうとした蓮太郎の言葉が遮られる。
「私とて、君に対しては奴等と同じ印象だ」
オブラートに包むでもなくストレートにそう言われ、蓮太郎は困ったように笑う。
「私がここに来たのは、君を呼んでくるよう、校長先生に言われたからだ」
時雨は振り返ると、蓮太郎を急かす。
「行くぞ、獅子原校長がお待ちだ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
校長室――。
「よく来てくれたわね」
毛足の高い絨毯が敷かれ、高級そうな調度の揃えられた、厳粛な空気漂う室内。
椅子に腰掛けた女性が、目前に立つ時雨と蓮太郎に、そう威厳のある声音で言った。
彼女の名は、獅子原季子。
異能暗殺者の中でも最上位に立つ、十二の『本家』。
その内の一つ、獅子原家の現当主であり、この学園の校長である。
クセのある長い髪に、大人の妖艶さが伺える顔立ち。
かなりの年上だと思われるが、その年齢を感じさせない美貌と体格である。
中でも、その豊満な胸は、纏った背広の前のボタンが留まらない程で、ワイシャツも窮屈そうだ。
時雨以上である。
「校長、では私はこれで……」
言われた通り蓮太郎を連れて来た時雨は、自分の仕事は終わったと、その場から立ち去ろうとする。
「待ちなさい、空蝉さん」
そんな時雨を、獅子原校長は呼び止めた。
「これは、貴方にも関係ある事なの」
「え?」
「天見君」
校長は続けて、蓮太郎を見遣る。
「貴方の事はよく知っているわ。天見家現頭領……あの事件で、天見家の名前は落ちたのも事実だけど、それでも我等、異能暗殺者に名を連ねる者の一人」
「は、はい」
真剣な眼差しを向け、校長は蓮太郎に話す。
蓮太郎としては、正直気圧される気分だ。
「薄血と揶揄されている事も、どこか諦観しているようだけど、受け入れてしまっては成長もしないわ」
「別に、諦観しているわけではありません」
蓮太郎は、素直に言う。
本心からの言葉だ。
「……ただ、人から謗られても仕方が無い身ですので」
「つまり、成長するつもりはある、と受け取っていいのね」
その言葉を聞くと同時、校長は時雨の方へと水を向けた。
「空蝉さん。貴方には今日から、彼の専属師範になってもらいます」
「は……はい!?」
その発言に、驚く時雨。
無論、蓮太郎も驚いていた。
時雨が……自分の、師範?
「こ、校長、一体何を……」
「同世代……いえ、この学園の中でも貴方の成績はトップクラス。資格は十分にあるわ」
動揺を隠し切れない様子の時雨に、淡々と校長は言う。
「あの悪名高い天見家とて、【アサシン】の端くれ。そして彼はその家の現頭領。このザマではまずいでしょう」
「し、しかし……」
「貴方の〝夢〟の事を考えれば、こういう経験も無駄ではないのでは?」
校長のその言葉に、時雨は押し黙った。
そして数瞬、何か考えるように黙り込んだ後――。
「……承知、致しました」
不承不承といった感じで、彼女は頷く。
「ありがとう、空蝉さん。ほら、天見君。彼女が今日から、貴方を一人前の【アサシン】に成長させてくれるわ」
「え? あ、はい……よろしく?」
判然としないまま手を差し出すと、時雨にキッと睨まれてしまった。
仕方が無いので、蓮太郎はそのまま自身の頭を掻く。
なんだか……大変な事になってしまった。