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ただ文を綴るだけのなろう作家にテーマは理解に値するのか?

作者: 秋野三郭

よく、友達と小説の話をすると出てくるの言葉の一つが『テーマ』。今更何を、という話ではある。国語の時間で一度や二度どころでは済まされないほど聞いた言葉。あれは最近の多くのなろう系やライトノベル作品で失われたのではないのかという素朴な疑問が僕の中にはある。


そもそも、テーマとは何なのかおさらいしたい。テーマとは主題だ。では主題とは何か? 自分で解説すると大変めんどくさいのでコトバンクの言葉をそのまま持ってくる。


『文学作品あるいは芸術作品では表現しようとする中心的内容,本題をさし,テーマとも呼ばれる。作者や作品における根本的意図,支配的態度,本質的概念と結びついて,作品の統一的効果を確保する機能をもつ。』


これを小学生の言葉で言うと「作者は何を思ったのでしょうか?」になる。つまりは作者が読者に対して表現したかったこと、メッセージなのだ。そのメッセージは本がある数だけあるし、日常の喜びから人生を考えさせられる哲学的なものまで様々だ。僕は森鴎外の『高瀬舟』が大好きなので例に取るが、あの作品は病気で苦しむ弟を兄が善意で殺す、安楽死とは何か、それは正しい行為のかということをテーマにした内容だと、僕は読み取っている。これを読んでいる君たちも何か古めの小説を思い浮かべて何を伝えたかったのか考えてほしい。そう、何かしらは出てくると思う。芥川龍之介くらいの短さだって何かしらメッセージ性が込められているだろう。


だが、ここでなろう系の小説を開いてみてもらいたい。果たしてテーマがあるのかという話である。僕が読んできた限り、二通りのパターンが多い。一つ、テーマがない。二つ、テーマ(もしくはそれと思しきもの)が多すぎてよくわからない。このどちらかになることが多いと思う。もちろん例外はあると思うが、とりあえず僕はそういう風に感じたことは理解してほしい。話を戻すが、なぜそうなったのか考えてみると、なろう系作家はみんなその場の勢いで書いているのではないかと僕は結論づけた。


なろう系の作品を見ているとあふれる世界観の設定やすごい能力のアイデア、独創的な魔法の概念など、作者だっていろいろ考えていることは見て取れる。だけど、僕からすると、彼らは非常にそういう設定などを考えた結果、肝心の何を伝えたいのかということがあやふやになってしまったと思う。すると、書き出したはいいが、テーマがない状態でずるずるとストーリーだけが進んでいく。時々思い出したかのようにテーマらしきものが入ってきたりするが、テーマが作品と矛盾しているように感じたり、結局何が言いたかったのかわからなかったりする。絵本みたいな稚拙な教訓はよく見かけるが、それが果たしてテーマと呼んでいいのか甚だ怪しい。そうやってテーマ(ぽいの)が増えていく。


テーマがないのはどういうことなのか? と思う人もいるはずだ。それもそのはず作品としては成立するからだ。だが、そこには主人公の苦悩や葛藤はないということだ。主人公がテーマに直接関わっていないこともあるかもしれないが、大体の小説では苦悩や葛藤は見えると思う。夏目漱石の『こころ』を例に挙げるならば、主人公である「先生」が親友の「K」が自殺したことに対する苦悩を、自分の遺書の中で書き連ねていることがはっきりと表現されている。そこから読者は「友情とは何か」とか「恋愛とは何か」のように自分の中で再整理して考える機会が与えられる。それでは、なろう系はどうなのか? 残念だが、僕はこれらの作品は読者に考える余地を与えるのは難しいと思う。もちろん成し遂げた作品はいくつかある。が、多くはそこに至っていないと思う。


そもそも、ニーズが違うと考えることもできるかもしれない。よく、ストイックな小説をメインカルチャーと呼んで、ライトノベルやなろう系をサブカルチャーと呼ぶ。このサブカルチャーの層には若い人たちやオタク文化の人たちが多くいて、彼らが求める需要が高かったのがライトノベルだったり、なろう系の異世界転生モノだったりするのだと思う。特にティーンエージャーだと、部活や勉強、友達や家族といった様々な不安要素から、考えることよりも非日常的な戦闘や遠く離れたどこかでのんびりとすることを求めてしまっているから、なろう系の作品が楽しく思えるのだと思う。


本当に失礼だが、僕はそう思わない。いや、思えない。作者の人たちはそれぞれ頑張っていると思うし、苦労してそれらを書いているのはわかっている。僕だって自分の小説をひぃひぃ言いながら書いているのだからわかる。だけど、僕はそれでも、小説の在り方が壊されているのではないかと思ってしまう部分がある。時代の変遷という風に考えることもできるが、深く考える機会も失われているのではないかと思ってしまう。バイアスをあんまり入れないようにいろんななろう系を読んでみるが、どうしてもあんまり好きになれないのが本音だ。サブカルの文化体系的には、受け入れられない僕の方が異端ではあるのだが、こればかりは相性のようなものなので容赦してほしい。なんにせよ、主題の在り方がなろうの中では変わってきているのは明らかで、本質的なものよりもひたすら読むことへのエンターテインメントが重視される傾向であると思っている。文学がエンターテインメントそのものだから言い方はあまり正しくないが、とにかく僕としては、なろうやライトノベルは文学というカテゴリーにしていいのかという疑問がある。


そう、今のなろう系やライトノベルは「大人の妄想日記帳」状態になっている。フィクションそのものが妄想の塊だから、いやらしい意味は全くない。でも、多くのなろう作品を見る限り「日記帳」を逸脱していないのがほとんどだと感じる。起きたことをそのまま伝え、何を思ったのか素直に書く。言っていることは大人っぽいし、思考の仕方も大人っぽい。だけど、なぜか「今日は野菜の収穫が上手くいきました。おいしかったです」のような幼稚な印象を受ける。生きることの感動が幼すぎるように感じる。僕の中ではこんなイメージが払拭できない。もっと生への感謝や非日常の楽しさがあってもいいのではないか? 主人公が精神的にリアリティから出きれないまま、物語が進んでいるに僕は感じてしまう。単に、僕が感情移入ができていないからそう思ってしまうだけなのかもしれないが、君はどうだろうか?


少し話が脱線するが、なろうやライトノベルが読むことのエンターテインメントを重視しているのであれば、ある意味成功ではある。実際多くの人がなろうの作品を読んで楽しんでいるのは間違いないし、OECDのデータの結果で問題になっている子供の文字離れを汲み取ってくれる救済者にもなりうるかもしれない。サブカルチャーからメインカルチャーを目指す人も増えるかもしれない。僕が不満に思っていることは実はいいことかもしれない。本当に何が正しい(正しかった)のかなんて最終的には時代と歴史が決めるから、今なろうで書いている人は今まで通りに書いてくれればいい。需要がある時点で供給も必要からだ。今のなろうやライトノベル界ではガチンガチンのお堅い文章の小説はあまり求められてはいないと思う。


それでも、小説家として活動するならば、いつの日かテーマを真摯に考えてほしいというのが僕の意見である。伝えたいことがあれば、言葉にするだけの能力と知識が小説家にはあるからだ。僕は今のところエッセイという形でダイレクトに自分の考えを伝えているが、小説にすると途端に難しくなる。言葉の意味やニュアンス、感情といったいろんな考える要素が増えるうえに、それをストーリーに乗せて伝えないといけない。実際、今書いている小説(非公開)もいろいろ考えが煮詰まってあんまり進んでいない。そう考えると、なろうの手軽さはすごくいいと思う。でも、一回自分の中の「小説」は一体何なのか再確認してほしい。


「僕のメッセージはこうだ!」そんな文章を書けているだろうか? 自分に聞いてみてほしい。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] テーマは、あると思います。 例えば、「不意に異世界に飛ばされてしまった主人公が、元の世界に戻るために苦労する」とか、「引き籠りだった主人公が、異世界に召喚されて色々な人と出会ったことで…
[一言] そこら辺何も詳しくない人間として戯言を吐いてみる そんな純文学的なものでなろうを殴ってもなぁ… ってかなろう以前に娯楽小説家が文学作家面をするのって文学畑にいる人間にとってあまり愉快なもの…
[気になる点] 僕も、割と同意見です。 特になろうでは、一大ジャンルである異世界転生を良く読むのですが、大体のランキングに上がっている作品は読み始めは面白いように思うんです。主人公が全く新しい世界で、…
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