表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

氷食症

作者: 石衣くもん


 ガリッという、砕く音が、聞こえた。

 その鈍くて派手な音に、思わず肩をびくつかせて振り返れば、彼女が既に飲み干したアイスコーヒーのグラスを傾けて、残った氷を口に含んでいるところだった。そういえば、前もジュースを飲み干した後に、彼女はこんな風に氷を食べていたっけ。

 

 再び彼女の口内での砕氷によって、鈍い音がガリゴリと響く。氷を食べる。それは無邪気な子どものような癖だが、残酷な響きをともなった。


「味もしないのによく食べられるね」

「美味しいと思って食べてるわけじゃないのよ、つい無意識に口寂しくって食べちゃうの」

 

 お行儀悪かったわね、ごめんなさい。


 そう、少し恥ずかしそうに彼女は言った。僕はそんな彼女が可愛くて、思わずその薄い唇に口付けた。さっきまで氷を食んでいた彼女の唇は、ひんやりと冷たくて気持ちが良い。


「いいよ、君の部屋なんだし、ここには君と僕、二人しかいないんだ。気にすることなんかないさ。でも、氷を無意識に食べたくなるのは、もしかしたら、氷食症なのかもしれないね」

「なあに、それ」

 

 不思議そうに尋ねた彼女の、いつもながら低体温な身体を抱き締めながら、


「無性に氷を食べたくなるんだって。原因は不明らしいんだけど」


などと、つい最近聞きかじった情報を披露する。

 氷食症、それは異食症の一つで、とにかく氷が食べたくなる症状のことだそうだ。氷を食べずにいられないという病気だから、けして彼女が氷食症でないことはわかっていた。けれど、敢えてこの名称を出した。

 もちろん、僕自身がそういった症状に見舞われたこともないのだが、何故そんなことを知っているかというと、僕が氷雪マニアだからだ。

 

 僕は一度、学校行事で行ったスキー場で遭難してしまったことがある。それ以来、雪だとか氷だとかに惹かれるようになった。


 あの日、眩しいくらいに白い雪や鋭い氷柱に囲まれ、独りぼっちで寒さに耐えながら、助けを待っていた時、激しい恐怖と共に感じたのは、雪や氷への美しいという感情だった。この美しさに囲まれて死ぬなら、本望だと。そんなことを思っていた矢先、無事救助隊に発見された。

 助かったとはいえ、強烈に死を意識した所為なのだろうか、そのまま、雪や氷の魅力に憑かれたのだった。今までこの話を聞いて、納得してくれたのは彼女だけだったのだけれど。

 

 そして氷食症も、つい最近仕入れた氷に関する新しい知識で、僕は彼女に披露したくて仕方なかったのだ。


「無性に食べたくなるっていうのは少し違うかもしれないけど、私、氷を食べるのが好きなの」

「ふふ、まるで雪女みたいだね」


 雪女が氷を食べるのが好きなのかなんて、知らないけどさ。冗談めかしてそんなことを言えば、彼女は急におし黙ってしまった。


「どうしたの?」

「私、雪女なの」

 

 唐突な彼女の発言に、面食らったが、すぐに無理して冗談を言ったのだと思った。なんとか僕の雪の話に合わせようとしてくれたのかと。


「ふふふ、そうなの? なら、僕のこと凍らせて殺しちゃうの?」

「ううん、そんなことしないわ」


 だって、私、あなたのこと愛しているんだもの。


 そんなまっすぐな愛の言葉に、ますます彼女への愛おしさは募るばかりで、照れ隠しに 


「おとぎ話の雪女も、惚れた若い男は殺さなかったし、結婚して子どもまで作ったんだもんね」

 

なんて、彼女に言った。

 

 すると、彼女も照れてしまったのか黙ったまま俯いて、僕はてっきり、そういう雰囲気になったのだと思ったわけだ。


「……あなたは本当に好きになった人とずっと一緒にいるためには、どうしたら良いと思う?」

 

 彼女にもう一度口付けようと顔を寄せた時に、ぽつりと呟かれた言葉で思わず固まった。急に何の話なのだろう。

 これは、すなわちそういうお誘いなのか? それとも、すぐにそういう風に考えるなという牽制なのか?


 前者であれば、このまま予定通り彼女にキスして


「今から教えてあげるよ」


と、気障な台詞を吐けばいい。しかし、後者であれば、そんなことをした瞬間に、彼女に嫌われる可能性がある。それは避けたい。


 結局、ひより見な僕は


「君はどうしたら良いと思うの?」


なんて、質問に質問で返してしまった。

 

 今度は聞かれる立場になった彼女は、ゆっくりと顔を上げ、こう言った。


「食べるのよ」

 

と。

 

 あまりに彼女が真剣な目で、口調でそう言ったから、一瞬、僕は呼吸の仕方を忘れた。クーラーを効かせた部屋なのに汗が首筋を伝って、冷気の所為じゃない寒気に襲われる。


「あ、はは、それはまた、猟奇的だね」

「猟奇的というより、合理的だと思わない? だって、そうすれば、ずっと一緒にいられるのよ」


 彼女は、さっき「氷を食べるのが好き」だと言った時と同じくらい軽やかに、僕を圧倒する言葉を紡ぐ。

 

 なんだか怖くなった僕は、彼女の部屋から逃げ出そうと、抱き締めていた彼女から手を離し、立ち上がろうとした。


「逃がさない」

 

 そんな、獲物を狩る捕食者のような台詞と同時に、彼女が僕の足元に、ふぅ、と息を吹き掛けた。すると、僕の足はその場に縫い付けられたように動かなくなって、信じられないことに床ごと凍らされていたのだった。


「待って、え、いや、意味がわかんない、君が雪女? いやいや、あり得ない、そんなわけないよ。いや、仮に、そう、仮に君が雪女だとして、なんでこんな手のこんだ殺し方をする必要があるんだ。いや、そもそも、僕のこと愛してるって、凍らせて殺すなんてしないって、雪女は、惚れた男は殺さないって言ったじゃないか。さっき、言ってたじゃないか!」


 恐怖と寒さでもつれる舌を動かして、彼女への説得を試みようとするが、混乱した頭は断片的な言葉しか吐き出せない。

 

 そんな僕に、今度は彼女から抱き着いてきて、耳許に冷たい唇を寄せられる。今はその、低体温な身体が密着するだけで、身震いするほどに冷たく感じた。

      

「あなたが言っていた通り、好きな人は、結局殺せなかったのがおとぎ話の雪女。でも、私思うの。本当に好きになったなら、いっそ、その人と一つになりたいって、今の私みたいに思うのが普通の妖なんだって。

 彼女は妖でも、女でもなくなって、母になってしまったから、あんな風に決断したのかもしれないわね。

 

 でも、私は違う。あなたと一つになりたい。だって、あなたを愛しているんだもの。その為には、あなたを食べてしまうしかないのよ。私は、ずっとずっと、あなたと一緒にいたいの。

 

 それに、あなた、いつも言ってたじゃない。僕は氷や雪が好きなんだって。

 だから、決めてたの。あなたと、私が、好きなことを最期にしようって。私も、さっき言ったでしょう?」


 氷を食べるのが、好きなんだって。

  

 まだ、彼女に凍らされたのは足元だけなのに、段々と全身がかじかんできて思うように動けなくなり、ガチガチと歯の根が合わなくなる。まるでスキー場で遭難してしまったあの日みたいに、血の気がひいてきた。

 それは、ひとえに恐怖からだった。あの日とは違って、美しさなど感じる間もなく、恐怖に身体が支配されていた。

 

 不意に、彼女が僕の指先を口に含んだ。すると、指先はみるみる氷に包まれ、骨ごと凍ってしまったように冷たくなった。

 

「お願い、やめて……」


 譫言うわごとのように制止を懇願しても、もう遅い。

 微笑みを携えた彼女の唇が、奥歯が、ゆっくりと力を込めていく。もうすぐ、あのアイスコーヒーの氷を食べていた時みたいに、鈍くて残酷な音が響いてしまうに違いなかった。

ご覧くださりありがとうございました。


ベッタベタの王道展開で、下手したらタイトルでオチまでわかりそうなもんですが、なんとか一作は投稿できて良かったね私!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
●その他の読み物●

#中編(連載中)

#中編(完結済)

#短編

#詩

※いずれも薔薇、百合、ノーマル入り雑じってますのでご注意を。
(中編は薔薇率高めです)

゜●。お品書き。●゜
― 新着の感想 ―
[一言] 読みました。面白かったです。 人間を愛してしまった雪女。無条件に惹きつけられるものがあります。 王道、といわれるだけあって、展開は容易に想像がつきましたが、それでも楽しめるお話になっている…
[良い点]  企画ページからお邪魔しました。  行頭のスペースの使い方が面白いですね。  地の文の最初の一行目は浮かせず、二行目から浮かせる。  自分が書くときには検討したことがない組み方で、興味深く…
[良い点] 主人公に、氷雪マニアだったらそこは喜んで受け入れとけよと突っ込みたくなりました。その方が生死の境目に踏み入れて目覚めた、強烈なマニアっぽさが出るでしょうし。 [気になる点] 主人公が氷雪マ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ