φ−2: いわゆるテンプレものについて
「4−6: オリジナリティ」にてすこしだけ触れていますが。また、「4−1: ジャンル」も関係しないわけではありません。
誰の言葉だったのか忘れてしまっており、検索しても出てこなかったのですが。「ジャンルがどうやって形成されるかというと、読者が『同じだけと違うもの』を求める結果だ」というような言葉があります。
たとえば、これは推理小説にはよくあてはまる言葉かと思います。
より正確な言葉を使うとすれば、「昔はパルプ系の雑誌での小説やコミック」にそういうものが求められ、パルプ系の雑誌で推理もの、というか細かくは探偵ものとSF (らしきもの)は生き延びました(その2つだけではありませんが)。
このパルプ系雑誌の時代、「読者が『同じだけと違うもの』を求める結果」というのは、わかると言ってもいいかもしれません。
それに対して、「SFってなんなんだろう? ――感動とSF――」に書いたことですが:
| ヒューゴーもキャンベルも「それってどうなの?」と言ってしまった。
ヒューゴーとキャンベルは、同時にそう言ったのではなく、1930年代を通して、たまたま似たようなことを言ったのでしょう。より明確にSFへの影響を語られているのはキャンベルの方かもしれないと思いますが。
ヒューゴーもキャンベルも、パルプ系雑誌という形はそのままだったとしても、そこで「SFとは」みたいなことは言っていたわけです。キャンベルは、長く編集に携わったぶん、その影響も無視できないでしょう。キャンベルは1939年後半、そして1940年代にも作家を発掘し、内容としてのパルプ系雑誌には決別しました。すくなくとも、別の流れを作りました。
ともかく、SFでは編集者がそう言ったという歴史があります。では、と気になるのは、おなじくパルプ系雑誌で活躍していた、推理ものや探偵ものはどうだったのかです(ほかのジャンルもありますが、とりあえずSFと探偵もので)。
調査が不充分なのですが、どうもそういう編集者はいなかったようです。その代わり(?)、作者自身による煩悶があったようです。
この違いは結果として大きなものになっているように思います。
SFは、「不思議技術や不思議物質で冒険する話」ではなくなっています。パルプ系雑誌の頃のものを、そうまとめてしまってよければですが。
対して、推理小説や探偵小説はどうでしょう? 「事件が起こり、有能な探偵が解決する」。その基本線は今も変わらないのではないでしょうか? 探偵の属性にいろいろくっついたりはしています。
言うなら、SFでは、「読者が『同じだけと違うもの』を求めなくなった」のかもしれません。
対して推理小説や探偵小説では、今も「読者が『同じだけと違うもの』を求めている」のかもしれません。
あくまで仮にですが、SFでは「読者が『同じだけと違うもの』を求めなくなった」とし、推理小説では今も「読者が『同じだけと違うもの』を求めている」とします。
この「読者が『同じだけと違うもの』を求めている」というのは読者にとっても作者にとっても、強い要請なのではないかと思います。
なろうのテンプレは、それがどういうものであるにせよ、「読者が『同じだけと違うもの』を求めている」ということを具現しているのかもしれません。
では「同じだけと違うもの」とはどういうことでしょうか。
「4−3: 設定・考証(世界の構築)」や「4−5: モチーフなどの繰り返し」で、「神話素」というものを導入しました。これを簡単にして考えてみます。
| A1, A2, A3, ......, Ai, ...... An
このような神話素の並びからなる話があったとします。
これを、
| B1, B2, B3, ......, Bj, ...... Bm
としてしまったら、「同じだけと違うもの」ではなくなるでしょう。
では、「同じだけと違うもの」は、どういうものでしょうか。
| A1, A2, A3, ......, Bj, ...... An
と、一部を変えるようなものと、とりあえず考えてみます。
とくに
| A1, A2, A3, ......, −Ai(=Bj), ...... An
というように、要素の一部の内容なり属性なりを反転させるものが、わかり易いかもしれません。
「反転」というのは、たとえば元の作品(という言いかたはあまりよくありませんが)では、「金持ち」だったのを、「貧乏」に変えるなどのようなものと思ってください。「強い」→「弱い」、「美形」→「美形ではない」などなど、いろいろと考えられます。
もちろん、この変更により、話の全体に影響が出る場合もあるでしょう。では、そうなると「同じだけと違うもの」ではなくなるのでしょうか? 言うまでもなく、そうはなりません。読者は、「Ai が、Bj に置き換えられ、その結果が全体にも反映しているが、やはり同じものである」と読むでしょう。ですから、やはり「同じだけと違うもの」の範疇であり、受け入れられ易さを保っていると言えるかと思います。
ところで、この「一部を逆にする方法」というのは、創作方法の本にも載っていたりする方法です。現実に対しても、読んだ著作についても、「もしこうだったら」という発想のしかたとかで触れられたりします。
ですが、個人的には薦められる方法ではないように思います。ですが、「ジャンルがどうやって形成されるかというと、読者が『同じだけと違うもの』を求める結果だ」という言葉が真だとするなら、有効な手法でしょう。ですが、それは手法であって、技術でも技法でも技巧でもないという意識は持つ必要があるかと思います。
また、反転ではなく、「なにかの要素を付け加える」とかもありますし、「別の要素に入れ替える」とかもあります。
テンプレは、いくらでも有り得ます。テンプレはいくらでもあるというより、「なんであれテンプレになりうる」と言った方が正確かもしれませんが。そして「同じだけと違うもの」も、いくらでも有り得ます。
なろうテンプレもジャンルの一種だとするなら、「ジャンルがどうやって形成されるかというと、読者が『同じだけと違うもの』を求める結果だ」というのは、「そうなのかも」と思える言葉かもしれません。
ところで備考としてですが。
雑誌としては、最初にミステリ雑誌として独り立ち(?)したのは、1941年の「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」のようです。イサク・アジモフの「黒後家蜘蛛の会」の最初の話が、それに掲載されたのが1972年です。30年ほどという奇妙な時間差があります。
アジモフは、1939年にはすでに何作かSFを発表していました(40年代は、戦時下とかなんとか、ほかにもなんかあり、こちらはすこし休業気味だったようす)。50年代になり、再開というような感じです。50年代からは、継続的に科学エッセイなどを書いていました。
40年代は、そういう理由でアジモフはあまり書いていなかったとしても、50年代、あるいは60年代という20年か10年かが過ぎてからの「黒後家蜘蛛の会」ということです。なお、1958年に別の推理ものを著していますので、「黒後家蜘蛛の会」で突如としてミステリ界にデビューというわけではありません。それでも、60年代が空白であるのはなぜかという疑問は残りますが。
アジモフが200冊を刊行した時点での自伝に、なにか書いてあったように気もするのですが、忘れました。ただ「私のSFのファンはミステリを読んでくれず、ミステリのファンはSFを読んでくれない」とボヤいていたのは覚えていますが。