7−1: 読むとはどういうことか
「3−8: 書くか書かないか解」とも関連する話です。
私なんかが書く必要はこれっぽっちもないことなのですが。
読むという行為は、受動的な行為ではありません。それは「読もうとする気持ち」というような話でもありません。
読むという行為は、作者やその背後にいる人々との対話であり、議論です。
これはさんざん言われていることです。何回も何回も言われていることです。
読むとは、その対話や議論を楽しむことです。
書かれていることに、「いや、違うだろう」とツッこみ、あとで「おっと、そう来たか」と聞き、「だけどな」とさらにツッこむ。
読むとはそういう行為です。
その根底にあるのは、受け入れるという精神ではなく、批判的精神です。読む対象が小説であろうとも。
書き手であろうと読み手であろうと、そういう「読む」という行為を否定するなら、ただ流れていくものと考えるなら、なにも残らないでしょう。
なにも残らないことこそが娯楽だという考えかたもあるでしょう。それはそれで立派な考えだと思います。あなたが死の床につくとき、あなたにはなにも残っていないことを受け入れているのですから。