6−7: わかりやすさ?言葉の破壊?
「1−5: 夢、あるいは言葉の限界」では「言葉の破壊」とか書き、「2: わかりやすさ」では「わかりやすさ」とか書いています。さて、本音はどうなんでしょう?
本音は簡単で、両方です。
その点において確認しておいて欲しいのが、「1−5: 夢、あるいは言葉の限界」です。それはある単語の話だけではなく、「私にはこのようにしか書けない」ということがらがあります。文であれ文章であれ。思弁・思索がからむと、なおさらです。
「このようにしか書けない」というところにいたって、わかりやすさと言葉の破壊は、その両方が必要になります。
一つには、効果の面からの話です。「このようにしか書けない」という箇所を際立たせるという効果です。
そしてもう一つには、「このようにしか書けない」にしても、どこまで書けるのかという話です。たとえばの話、専門的な話を専門の人に話すのは、まぁ簡単な部類です。では、専門的な話を専門でない人に話すには、どうすればいいでしょうか。どうにかするしかありません。それはまた、「このようにしか書けない」と思っていることがらは、本当に「そのようにしか書けないのか?」という問題でもあります。
そして、ここが問題です。「どうあがいてもこのようにしか書きようがない」というところにいたったなら、おそらくは「そのようにしか書けない」のです。そこに至れば、おそらく「言語の破壊」に至っているでしょう。「そのようにしか書けない」にもかかわらず、「言語の破壊」に至っていないなら、それは凡庸なものなのでしょう。
簡単にまとめましょう。読み手に馴染みのない思想を語るからこそ、「わかりやすさ」を追求するしかありません。そして、その行き着いたところでは、どうしても「そのようにしか書けない」という「言葉の破壊」をせざるをえないでしょう。