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創作雑感 Revised 1  作者: 宮沢弘
4: 設定・考証
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4−5: モチーフなどの繰り返し

 「繰り返し」というよりも、いわば「輪廻」的ななにかかもしれません。

 10年オーダで見ていると、「これ、昔あったな」と思えるものに出会うことがあります。

 そういう繰り返しだと、著者や制作者を軽く検索してみると、「元になってる作品にベタ惚れしてた」なんていう場合があります。自分から言ってたりもしますし。これを仮にいい意味での繰り返しとします。

 いい意味の繰り返しがあるということは、悪い意味での繰り返しもあります。著者の考えはともかく、世間的にそういう作品があったことが忘れられた頃に、またそういうのが現われるという場合もあります。これを著者が意図してやったなら、かなり悪質です。なので、そこまで悪質なのはないと考えておきます。

 ですが、それでも悪い意味での繰り返しであることには違いありません。著者だけでなく世間的に「忘れてしまった」ことがまず悪いことですし、「あったかもしれない」と調べなかった著者の責任としても悪いことです。


 なんでこんなことを書いているかというと、うん、まぁ、思うところがあるわけです。

 比較的最近、人間とロボットの関わりとかそのあたりを題材にした作品を目にします。そうすると、あるわけです。

 それを、それでもよく解釈すると、「過去にあった作品と同じようなのを思いついた作者すごい」となるかもしれませんし、「結局過去の作品のアイディアなどが凡庸だった」となるかもしれません。でも、ちょっとそこのところをよく考えてみてください。10年オーダと書いておきました。それは、10年という意味ではなく、数十年とかの意味ですし、長めに見れば200年くらいまでは範囲に入るでしょう。でもまぁ数十年としましょう。数十年前と今とでは、人工知能やロボットの身近さがまるっきり違います(産業用ロボットと極限環境用ロボットはどっちにしろ別の扱いとします)。ですから、「同じアイディアを思いついた今の作者がすごい」とか「元のアイディアが凡庸」という評はなりたちません。あ、「いまどきにおいては凡庸」という組み合せ技は、たぶんなりたってしまうんでしょうけど。

 あるいは「それでも、これは私が考えた」という言が出てくることもあるでしょう。


 繰り返しにせよ、同時代の作品の間の類似性にせよ、「パクリ−パクリじゃない」論争とか、「同じ−同じじゃない」論争とかがあります。ですが、話を聞いてみると、どういう水準なり基準で見ているのか、比べているのかの齟齬が、あんがい根っこにあります。「パクリ」については作者の意図も入ってくるので話が面倒になります。なのでそれは除外し、「同じ−同じじゃない」論争のほうを見てみます。

 タイトルに「モチーフ」という言葉を入れておきました。一応「モチーフ(物語)」あたりで検索してみてください。それと“AT Types of Folktales ualberta”とか“The ATU System oaks”あたりで検索してもらうのもいいかも。一応注意として書いておくと、これには問題もあります。ん〜、システマティックに分類されてないとか。

 ここでは、「3−6: 構成( テンプレート)」で触れた「プロップのファンクション」や、その任意の要素も、そして任意の範囲の要素も、“AT Types of Foktales” ( アールネ・トンプソンのタイプ・インデックス)にあるものも含めて、ついでにそれらから類推できるとか、それらに当て嵌められるものも含めて、「神話素」と呼びます。それを神話素と呼ぶのは、そうするのが簡単だからというだけです。

 というわけで神話素を導入しました。そして、同じか違うかを比べる際には、神話素そのものではなくとも、神話素と同程度の抽象化だとか細部の切り捨てを行なって、その上で比べるものとします。

 そうすると、「どういう神話素」が、「どういう順番」で、「どういう関係を持って」並んでいるかを見ることになります。物語の比較や対照は面倒くさいですが、おおまかにこういう感じで行なうと思ってください。

 「同じ−同じじゃない」論争があったとして、それに決定的な決着をつけるには、まだ不充分ではあります。ですが、ひとまずこういうことにしておきます。


 上で、こう書きました:

    比較的最近、人間とロボットの関わりとかそのあたりを題材にした作

   品を目にします。そうすると、あるわけです。


ここで「あるわけです」というところに話を持っていくとか、そのことの説明をするために回り道をしました。

 「この観点からすれば、この作品とあの作品は同じ or 同じじゃない」と、絶対的な結論は出ないにせよ、議論をしやすくはなると思います。

 そして、「それでも、これは私が考えた」という言に対しては、「そこはそもそも問題にしていない」と返せるわけです。実際に問題にしていませんし。

 こういうやりかたには異論もあるかと思います。ですが、こういう見方をすると、歴史的だとか通時的なものが見えやすくはなりますし、そこに面白い発見もあったりします。


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