4−4: 引用と用語の借用
とくに聖書や古典からの引用や用語についてです。それらに限らなくてもいいか。ともかく古い伝承や、ついでに宗教まわりの伝承からの引用や、用語の借用。章や各話の冒頭での引用もありますし、その中でのものもあります。
引用であれば、うまくやれば効果的ではあります。うまくやればです。うまくやるというのには、次のような条件があるかと思います:
1. 引用の内容以前に、本文との分量のバランスの問題
2. 適切な内容の引用
2.1. 適切な引用を知っているか
2.2. 適切に引用できるか
1.は、一つの章の2/3が引用だったりしたら、それはそもそも引用なのかという話もあります。ですが、そういう例はないと思うので、おおまかには長くて5行が基本的には上限と考えてもらうことにしましょう。改行が入っていたとしてもです。場合によってはそれより長い引用が必要な場合もあります。聖書や古典からは外れますが、手紙を引用のような形で書く場合です。長い引用はそういう特殊な場合にとどめましょう。分量とは別に重さのようなものもあるのですが、それは2.2.に含めるということで。
2.1.は、知識の量の問題です。頑張ってください。ただし、これは読み手側の問題でもあります。引用のしかた、あるいは用語の場合もありますが、読み手がそれを引用とかどういう用語なのかがわからなければ、引用や用語としての意味を失なうからです。
2.2.が本題になるでしょうか。小説の場合、「誰々はこう言った」という形での引用よりも、「効果を狙った」引用のほうが多いだろうと思います。ですので、そちらの話として。では、その「効果」とはどういうものでしょうか。基本的には、「内容の予告」か「結末の暗示」か、「内容の補足」です。
というあたりのことを前提にして、聖書や古典などなどからの引用や用語の借用ですが…… やめといたほうがいいです。私が言うのもなんですけど。
というのも、2.2.の意味で、うまく使えているのを見たことが「なろう」ではないからです。プロ作家でも、うまい人、へたな人がいます。うまく使えていない場合というのは、「くどい」、「うざい」、「あざとい」が、私がその手の引用を見たときに感じることの多くです。「くどい」、「うざい」は我慢できるとしても、「あざとい」と感じるとちょっと読むのに無理を感じます。どう書けばいいのかはよくわかりませんが、「手抜き」か「権威付け」のように感じるというところでしょうか。場合によっては、その両方を感じます。
ですが、もしかしたらそういうのはまだマシな場合かもしれません。「なぜ引用や借用をしているのかが、さっぱりわからない」という場合もあるので。
さらには、「いまさらそれを引用したり、その用語を使うかぁ」という、たんに興醒めするだけという場合もあります。これについては、それらがどれくらい人口に膾炙しているのかが、「使わないほうがいい」ことについての基準になるかと思います。この点、検索してみるという方法を簡単に使えるのが、「くどい」、「うざい」、「あざとい」、「なぜ?」とは違うでしょう。検索で引っかかるのがあまりにすくないと、その引用や借用は通じないかもしれませんが、あまりに多いと、「またそのネタかぁ」となります。
冒頭での引用からは外れますが、文章の中とかセリフとして引用や用語の借用をするという方法もあります。それは、キャラククターの特徴付けにはなるのかもしれませんけど、「権威に頼らないとなにも言えない」っていうキャラクターになってしまうかもしれません。「誰々はこう言ってたもん。それって正しいと思うもん。だって誰々が言ってたんだもん」みたいな。どれほど重要そうな会話をしていても、そういうふうに見えちゃうと、ちょっとね。このあたりは、「2−1: わかりやすさ(用語)」に書いたのと似た問題もあるのかもしれません。「4−6: オリジナリティ」(予定)で簡単に触れることとも関係するかもしれません。
ところで、創作された引用というものもあります。実際の原典などなく、作中での架空の原典からの引用です。使いかたは上記と同じですが、狙って作れるので2.に関してはクリアしやすいという利点があります。もし、「権威付け」あたりを意図しての引用でないなら、むしろこっちのほうが利点しかないと言っていいでしょう。
用語の借用に限定しての話となりますが。これも効果的に使えるかどうかという問題があります。
効果的でない借用というのは「スシ」、「テンプラ」、「ゲイシャ」、「フジヤマ」みたいなものです。要は、自分の文化圏から見ての「エキゾチックさ」の演出なので。簡単に言えば、安っぽさしか演出できないということです。
エキゾチックさが必要だとか、使いたい場合もあるかと思います。それならそれでかまわないのですが、安っぽさとのバランスを考える必要はあるかと思います。
借用とは違うのですが、ニューロマンサーだったかで、カプセルホテル(の個室?)を棺桶と呼んでいたのは、上等の部類かも。エキゾチックさと、狙った安っぽさを出せていると思います。
ではどういう場合の借用なら効果があるのかと言えば、その用語がまさにそれが指し示すものを表わしているという場合です。
とはいえ、引用の「あざとさ」などや、用語の「安っぽさ」を格好いいと感じる年代や人もいるでしょう。そういうののある面については中二という便利な言葉が定着してますが。書き手としては、そこからもう一歩進んでもいいんじゃないでしょうか。