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創作雑感 Revised 1  作者: 宮沢弘
4: 設定・考証
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4−2: 設定・考証

 考証や設定の質や量の話です。世界設定も一応含みます。「4−3: 設定・考証(世界の構築)」(予定)では、ちょっと違った方向から見てみるので。


 ところで、元の稿ではこう書いていました(こちらにはその稿はありません):

===BEGIN

    半端な考証はしないほうがいい。

    でっかいヘリが出てくる小説とか映画とかマンガとか。映画とかマン

   ガで絵になってるようなヘリが小説でも描かれていたのかは知らないけ

   ど。

    あのヘリ、飛べません。物理的に。あぁ、竹とんぼみたいにどっかに

   飛んでっちゃうってのはできますけど。制御できません。

    なぜか。簡単な話で、ローターがでかすぎるから。

    これは、半端な考証というより、考証しなかった例なのかもしれませ

   んが。

    それと、誰か乗ってようと、3波くらいのミサイルでばっらばらにす

   ればいいんですよ。そのあたりのお涙頂戴みたいなの、面白いですかね?

===END


 はい。のっけから私のミスです。作中のヘリの大きさを確認したら、「実在するサイズだった気がする」と気付きました。現実にMi−26やCH53Eというヘリがあります。それらの倍程度の大きさと勘違いしていました。

 勘違いでしたが、とりあえず大きすぎると飛べなくなるというのは、回転翼であることによります。おおまかな話、バケツに一杯に水を入れて振り回すと、急には速さを変えられないし、腕も痛くなるのと同じと思ってください。ついでの情報として、これだけだとあまり例にはならないのですが、Mi−26の場合、回転翼の回転数は毎分130回ほどで、普通のものの1/3から1/2くらいです。

 ということで、訂正でした。


 設定も考証も大切。それにはだれも異論はないだろうなとおもいます。

 では、設定とか考証はどういうことなのか。

 まず、設定も考証も、「知っていることから始まる」ということを言っておきます。こう書いただけだと、やはり異論がある人は少ないだろうと思います。ですが、「知っていることから」を甘く考えるのはやめてください。

 設定と考証のおそらく最高の部類のものは、トールキンによるものです。彼は文献学者でもあり、そっちの古文書や伝承に、そもそものはじめから興味をもっており、知っていました。上で「知っていることから始まる」というのは、この段階のことを言います。

 ハードSFの著者で研究分野に関連した作品を書いている人も何人もいます。「知っていることから始まる」というのは、その段階のことを言います。

 この基準に立つ限り、多くの人が、「設定や考証をできる地点には立っていない」ということがわかるでしょう。つまり、そもそも設定も考証も、そんなことをすること自体が不可能な状態です。

 そしてこれが重要なことなのですが、読むほうも設定や考証をするのと同程度の知識があることが前提になります。ですが、その条件が満たされることは、そうはないはずです。だって、基本的には「新しい設定」のはずですから。

 では、それによってどういうことがおきるでしょうか?:

   1. 作中の設定・考証されたことがらを、読み手も理解して読む

   2. 作中の設定・考証されたことがらを、読み手は気にしないで読む

   3. 作中の設定・考証されていないことがらを、読み手が気にして読む

   4. 作中の設定・考証されていないことがらを、読み手も気にしない

      で読む


 1.が理想ですし、4.もある意味では理想的でしょう。あるいは4.でしかできないというジャンルや状況もあるかと思います。2.は、まぁいいとして、3.だと問題になるかもしれません。設定・考証に突っ込みが入ったり。いい方向に向けば、読者がかってに深読みしてくれる場合もあるかもしれませんが。

 それでも、割合として多いだろうものは2.ではないかと思うのですが、どうでしょう? そうだとすると2.にしても作者の側の準備がどの程度なのかということが問題になります。

 以前、ツイッターでこんなことを書いたことがあります:

   SF風味超強め: 読者の知識を引き上げる。

   SF風味強め:  読者には案外理解できない。

   SF風味中程度: 半可通が書き、半可通が突っ込む

   SF風味弱め:  SFの概念にすらひっかからない


 根がSF人なので「SF風味」と書いていましたが、ここではこう書きなおしてみましょう:

   SF風味超強め→ A. 設定がぶっとんでいて、考証もきっちりされて

              いる

   SF風味強め → B. 設定のクセが強く、考証もそれなりにされている

   SF風味中程度→ C. 設定がありがちで、考証もあまい

   SF風味弱め → D. 設定があまく、考証もできていない


 「設定はぶっとんでいるが、考証ができていない」というような場合もありえますが、ここでは設定と考証は組にして考えます。

 個人的にはA.が理想だとは思うのですが、これだと読者を選ぶかもしれません。そうすると、B.が妥当なのかもしれません。A.が、読者が自前で――方法はどうあれ――きっちり確認して、「そういうことか」とわかるものだとすれば、B.は、ちょっとばかり資料なりネットなりで確認すればわかるくらいの設定・考証だとしましょう。

 このA.からD.は書き手側に立った書きかたですが、同時に読み手側にも立って眺めてみましょう。どういうものを求めるかという話として見てください。

 そうすると、実際にはいいとこC.くらいで書き手も読み手も満足しているように思えます。もちろん、それは小説家になろうなどにおいて顕著なのであって、商業だとB.か、B.とC.の間くらいになっているかもしれません。

 あるいは、書き手はC.くらいで――あるいはB.とC.の間くらいで――、読み手はD.くらいのところを求めているかもしれません。これだと先の1.から4.の2.に入ってしまうかもしれません。それは私としては「どうだろう?」と思うわけですが。

 ですが、書き手と読み手の関係としては、2.でC.というのが理想的な関係なのかもしれません。とくに、小説家になろうなどにおいてはという注意書きをつける必要はあるかもしれませんが。

 ついでとして書くと、「SF風味」の話にもどりますが、「SF風味強め」のどこかに、「これはSFっぽい」と思うかどうかの境界があるのだろうと思います。「SF風味中程度」については、「4−1: ジャンル」で触れた、「SFアクション」あるいは「アクションSF」などが該当するのかなと思います。


 トールキンとかの話に戻ります。そんな感じの条件を満たすこと、あるいは近づくことは無理だと思うかもしれません。

 トールキンのような化物級の知識を持ち、そしてその知識から再構成する人ってどれくらいいるでしょうか。

 トールキンみたいに化物級の知識を持っていて、それらが互いに関係しあっていて、そういうのから世界設定などを再構築するのを設定・考証の片方の極とします。

 あるいは、考証や設定というと、「時刻表トリック」というものがありました――今はさすがにないだろうと思いますが。目をつけた人については、「おもしろいことを考えたな」とは思います。ですが、「それでなんなの?」とも思います。こちらを、設定・考証のもう片方の極とします。

 この二つが両極端と言えるのかはわかりませんが、設定や考証をするという条件においては両極端に近いとします。

 時刻表トリックも面倒な考証はしていたわけですが、トールキンの設定・考証とはまったく質が違うということには納得してもらえるかと思います。トールキンの設定・考証をなんと呼んだらいいのかはわかりません。世界構築でしょうか? 世界翻訳でしょうか?

 時刻表トリックは、それに対して、辻褄合わせと言えばいいかもしれません。


 ところで、今年か去年か忘れましたが、「本格ファンタジー(指輪など)を書くのには、北欧神話が役に立つ」というような話もツイッターで流れていたりして、もう鶏と卵のどっちがどっちなんだかわからなくなってるのかと思ったこともありました。

 ホビットも指輪も北欧神話をトールキンが再構築、すくなくともかなり参考にしたもので、「ミドル・アース」も「ミッドガルド」を英語に置き換えたものです。翻訳ではないところに注意が必要ですが。このあたりは面倒な話もあって、設定上はホビットも指輪もあとシルマリルも、「ミドル・アースの言葉で書かれたものの英訳版」だったりします。芸が細かいところがあるので、それについては原著をご覧ください。

 そういうわけで、「本格ファンタジー(指輪など)を書くのには、北欧神話が役に立つ」と言われると、「え〜、あ〜、ん〜……」という感想を持ってしまうわけです。


 まぁ、それはともかく。

 それで、たぶんプロでも小説家になろうでの書き手でも、多数派なのはどっちでもなく、その間にいるのではないかと思います。どっちでもないとは言っても、知識の断片を、Index Card (5x3カード、情報カード)に書いたもののようなものとするなら、そのカードが大量にあり、かつ互いに紐づいているか、それとも束になっているだけなのか、それとも束にするほどの量もないのかという違いはあるでしょう。

 両極端とその間のイメージを書いたところで。

 それで気になるのは、設定や考証というものを思い描いたとき、トールキンふうのものを思い描く人の割合と、時刻表トリックに近いものを思い描く人の割合がどうなんだろうということです。

 「3−4: 構成( キャラクター)」で書いた:

    投稿サイト界隈で見かけるのは、「キャラクターの特徴を書き出して」

   というようなものだろう。投稿サイト界隈だけではなく、もしかしたら

   あちこちの創作論でもそう書かれているのかもしれない。


というようなことと関係しないでもありません。対象がキャラクターではなく世界だったりという違いはありますが。

 「特徴を書き出して」というのが、ここで言う辻褄合わせだとしたら、「キャラクターの機能」に相当するのか、あるいはもっと別のものなのか、ともかくそれとは違う設定のしかたがあり、それに応じた考証もあるだろうことは、トールキンが示しているわけです。

 なので、設定・考証とは言っても、実際にはどういうことが行なわれているのかというあたりが気になるところです。


 これはファンタジーに限った話ではなく、またSFに限った話でもありません。「2−1: わかりやすさ(用語)」に書いたように、現実や現実に近い世界を舞台にしている場合にも言えます:

    そこで言うなら、クラークが言った世界にあなたはすでに住んでいる

   のだと自覚して欲しい。ただ、「科学技術によってそれができている」

   と知っているのみにすぎないのだ。ではそれは、「魔法によってそれが

   できている」と知っているのみというのとどこがどう違うのだろうか?

   結局、世の人々はすでに「魔法の世界」に住んでいるのだ。


 そちらで触れたスマホに限りません。戸建でもアパートでも近くに変圧器があると思いますが、なぜ変圧器があるのでしょう。あ、これは昔はそれがあることが見えやすかったけど、最近は地中化とか、箱に入ってたりして見えにくいかも。それとか、いまどきの家電は普通に「インバータ」という回路がついてます。これはいったいなんで、そしてなぜついているのでしょうか?

 そのあたりはもう当たり前のことだから、わざわざ意識しないし、わざわざ書かないというのは、それはまぁ当たり前です。ですが、その当たり前のことにちょっと手を入れようとするだけで、実は面倒な話になるということもあります。

 もし、送電が直流だったらどういうことが起きたでしょうか、起こりえたでしょうか。考えてみてください。

 ともかく、当たり前のことを当たり前として、当たり前のことを書くだけなら、そもそも設定、あるいは世界の構築は必要ないわけです。キャラクターの設定が重要視されるのかもしれないのは、そういう前提でなのかもしれません。ですが、そこからなにげなくすこし踏み出すだけで、もしかしたら想像もつかないほどの設定が必要になるかもしれません。それは、書き手だけではなく読み手にとっても同じことです。


 雑感ぽい、まとまりのないものになりましたが。設定・考証と言っても、その内容や量や質には、大きな幅があるということを意識してみるのもいいかもしれません。


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