3−3: 話を主導するもの
構成というか、構築というか。
話の中心になにを置くかをちょっと考えてみましょう。
この場合、キャラクター主導、ガジェットやトリック、ギミック主導、共感主導、状況主導あたりがあるのかなと思います。プロットを書くかどうかという話でもなく、プロットを書くにしても、これら4つのものがあるかと思います。
キャラクター主導は、あるキャラクターを設定し、そのキャラクターの特徴で話を構成するものとします。
ガジェットやトリック、ギミック主導は、たとえばミステリにおいてあるトリックを思いついたりとか、あるいはあるガジェットを思いついたりとか、そのガジェットやトリックの特徴で話を構成するものとします。
共感主導は、話に読み手が共感するだろうというところでドライブされていきます。では、どうやって共感、あるいは安心などを読者にもってもらうか。それは、「わかるなぁ」と思わせる、「あぁ、よかった」と思わせるなどなどによります。
実の所、キャラクター主導とガジェットやトリック、ギミック主導、共感主導は一つにまとめてもかまいません。というのも、キャラクターも共感や安心もガジェットやトリック、ギミックの一つだからです。そう書くと、キャラクターには個性がなどなどの話も出てくるかもしません。いや、それガジェットの性能とかとどう違うのか。キャタクターは人間らしい反応を云々という話もあるかもしれません。いや、それもガジェットの性能や特徴と同じでしょう。共感はどうでしょうか。書き手と読み手の性能が近いという条件下において、共感や安心をもたらす言ってしまえばトリックやギミックを用います。
ただ、この3つには違いもあります。キャラクター主導は、あるキャラクターの特徴なんかを基礎にして構成するので、エンドレスも可能ということです。当然ある程度ごとに区切りはできるでしょう。それぞれの区切りの中でいろいろなジャンルやフレーバーの話を書けるかもしれません。それは構成そのものには縛りやカセがなく、そのキャラクターという縛りやカセがあるのみだからです。もし延々と書きたいのであれば、第一に勧める方法です。ただ、エンドレスも可能ということは、「では、その話はなんなのか?」という点において、ボヤケる可能性があることに注意が必要でしょう。
ガジェットやトリック、ギミック主導の場合ですが、ここでガジェット主導の場合はキャラクター主導に近い面があります。キャラクター主導よりも、「なにについての話なのか?」は見えやすいかもしれません。ですが、そのガジェットにまつわる話ならなんでも可能なので、キャラクター主導と同じく、延々と書き続けることは可能でしょう。その結果、「なにについての話なのか?」は、キャラクター主導よりもわかりやすかったとしても、「では、その話はなんなのか?」は、依然わかりにくいままになるかもしれません。
トリック、ギミック主導の場合、トリックが明かされたり、ギミックを読み手が理解するという点で、話が終わることが前提となります。ここはすこし特殊で、読み終わるのとはちょっと違う場合があります。「そういうことね」と読み手が感じることでの完結と思ってください。あとは、トリックやギミックの質の問題でしょうか。
共感主導の場合、まぁ長々とは書きにくいということがあるだろうと思います。長々と書けば、どこかで読み手とズレが生じる、あるいはただ読むのが面倒になる。そういうことがおきます。それを避けるには、共感主導であってもキャラクター主導や、ガジェットやトリック、ギミック主導を多少なりとも取り入れる必要があるでしょう。また、共感主導は、トリック、ギミック主導と重なる部分もあります。これを単純に説明すると、推理小説でいったいどういうことだったのかがわからないまま終わったとしましょう。なにか特別な要素がないかぎり、「なんだったんだこれは?」とかなると思います。トリックが明かされることにより共感や安心、それも共感主導にそれなりに入っています。
これら3つ、あるいは4つは、共通の弱点を持っています。「では、その話はなんなのか?」と聞かれた場合、ぼんやりとしか、あるいは安っぽくしか答えられないという点です。どういうことかというと、その話からキャラクターや共感、ガジェットやトリックを取り除いた場合、なにが残るのかを考えてみてください。なにかをするキャラクターがいなくなれば、その話はなくなります。なら、最初から書く理由がありません――そのキャラクターを書きたいという理由を除いて。求める共感がなくなれば、少なくともその作品ではなくなります。なら、最初から書く理由がありません――その共感を書きたいという理由を除いて。ガジェットやトリックはどうでしょうか。それらを取り除けば、同じくその話はなくなるか、その作品ではなくなるかでしょう。なら、最初から書く理由がありません――それらのガジェットやトリック、ギミックを書きたいという理由を除いて。つまり、「それじゃなくてもいいよね?」と言われれば作品の全否定になるかもしれません。
キャラクター主導、共感主導、ガジェットやトリック、ギミック主導は、そういう弱点があります。言うなら、「では、その話はなんなのか?」に答えられる要素を持っていません。
では状況主導はどうでしょうか。ある状況を描くのですから、その状況が終わることで話は終わります。あるいは状況は終わらずとも、書く必要がある状況を書いた時点で終わります。どっちにしろ終わることが前提です。状況主導にもキャラクターは出るでしょうし、共感も作り出そうとするかもしれませんし、ガジェットやトリック、ギミックもあらわれるかもしれません。ただ、この点において状況主導とほかのものとは異なるという点があります。ある状況こそを書くので、キャラクターも共感もガジェットもトリック、ギミックも取り替え可能かもしれないという点です。言うなら「では、その話はなんなのか?」そのものが、作品をドライブします。取り替え可能と書くと、いい印象をもたれないかもしれません。では、こう言い換えましょう。状況をより効果的にするように、それらを選び、作れるわけです。
ただし、弱点もあります。というのも「5−3: メッセージをどう書くか」(予定)に書くメッセージに引きずられるかもしれないという点です。しかもメッセージを直接書いてしまうという最悪手にいたるかもしれません。
また、状況主導とトリック、ギミック主導との違いはなにかという話もあるでしょう。それは、単純に言ってしまえば規模の話です。一つ、二つ、三つ、四つ、五つのトリックで状況が終わるとしましょう。それはトリック主導です。ですが、百のトリックで状況が終わる、変わるとしたら状況主導と言っていいでしょう。それはそのまま、舞台の大きさにもなります。山荘が舞台か、それとも国や地球や太陽系や銀河系が舞台か。百のトリックがからみ合っていれば、それは舞台ではなく、社会や世界などということになるでしょう。百のトリックと書きましたが、そういう質的な違いがあります。
書き手によって、これが得意というのはあるかと思います。また小説家になろうや他のサイトにしても読み手の興味を惹くためにはこれがいいという選択もあるかもしれません。
ですが、ちょっとこういうことを意識してみるのもいいんじゃないかと思います。