固い遺志 その三
葬儀の締めくくりは出棺であろう。
自分が子供の頃は、土葬の風習が残っている地域があったものだ。また、地域によっては近代的な焼却炉のない土地も多く、共同墓地の片隅にレンガで炉を備えたりしたものだ。
霊柩車を使ったのは大きな都市部だけだったのではないだろうか。
先頭が喪主だったか、それとも露払いだったのかは忘れたが、笹竹にシデのような紙の飾りを結び付けて葬列であることを示していた。
シデとは、注連縄などに挟みこんである紙のことで、仏式では榊を使わないが、似たようなものである。
もっと判り易く説明するなら、七夕飾りを先頭に歩いたと想像してもらいたい。
うっかり話が反れてしまうところだった。
葬儀会館では、会場の入り口まで棺は台車に載せて運ばれる。そして、そこからは人力で霊柩車に載せるのが、このあたりの風習だ。
家族葬で、しかも男手が少ないとなれば、仲の良かった者が棺を抱えることになる。
昨日の葬儀も、まさにそのものズバリだった。
遺族の顔ぶれを見て、手を貸さねばいけないだろうと俺は思っていた。だから、親しい者二人が何気なく霊柩車の近くへ行こうとするのを呼び止めたのだ。
「男手が足りないようだから、抱えてやろうよ」
二人はすぐに俺の考えを汲み取ってくれた。こういうところが気持ちの良い男たちだ。無駄に問い返すこともせず、厭な顔もせず、早く言えとか、格好つけるなと小突くだけだ。
そうして三人が立っているのを怪訝そうに見ながら、参列者はほとんど霊柩車の周りに出て行った。
「どうぞ、皆様も霊柩車の前に」
職員が慇懃に外へ出るよう促した。
「せっかくですが、棺を抱えようと思いまして」
相手が女性だと二人の友人は先輩風を吹かせて率先対応をする。美形であればなおさらだ。
「左様でございますか、それはありがとうございます。さぞ故人もお喜びになると思いますよ」
「いえ、これ以上喜ばせたら復活してしまいますのでね」
お調子者が軽口で応じた。
玄関マットの手前で台車が止まった。その先は人手で運ぶということなのだろう。昔ながらの野辺送りは、簡略化されこそすれ生き残っていた。
俺たち三人と、遺族の中から若手が三人加わった。これだけの人数なら苦もなく抱えることができる。が余程の高齢でないかぎり手を添えるのが会葬者の礼儀ではないだろうか。
仲良しの高齢者は、そんなことを考えていたのかもしれない。
サングラスの男は、最初見物人のように立ちつくしていた。最後の別れで味わった恐怖から立ち直れていなかったのかもしれない。しかし、周囲から何か言われて、不満そうにこちらにやってきた。
同様に遅れて参加した者が棺に手を添えると、空いた場所は俺の前しかない。サングラスの男は、むっつりとしたまま棺に手を添えた。
「では皆様、よろしくお願いします」
職員の号令で力をこめる。百年も生きた骸は、それでも意外に重かった。
そこから霊柩車までは、ほんの十歩ほどの距離だ。といっても、誰が掛け声をかけるでもないので、ヨタヨタと統制がとれない行進だった。
「では、レールに載せて手送りでお願いします」
手送りと案内があったのに、先頭にいた者は横へ退いてしまった。すると、当然のことだが足先を抱える者は順番に前へ詰めていった。
年寄りが一人、霊柩車のドアに手を添えた。そして、サングラスの男を追い込めと目配せしている。
俺は基本的に従順だ。ましてやコーヒーを飲ませてくれる者の言いつけに背くなんてできない性格だ。
先に横へ退いた仲間が急いで俺の横についた。
「あっ、痛たたた……」
膝を痛めたふりをして、サングラスの背中を押してしまった。
「うっ、うわぁぁぁぁぁぁ……」
上半身を霊柩車の中に突っ込んだサングラスは、情けない悲鳴をあげて手をバタバタさせた。
その腰に固いものが押し当てられる。お茶目な年寄りが後ろのドアを閉じたのだ。
「うわぁっ、ああぁぁぁぁぁ……」
尻を押されたサングラスは、弾かれたように身を起こすと、涙と洟水でぐしゃぐしゃになった顔を皆に晒してしまった。
人は、時と場所と場合をわきまえねばならない。面白半分にしたことで、どんな報いを受けるか、よくわきまえねばならないという教訓を学んだ葬儀だった。