肉狼 - 前
「狼が……喋っているのか?」
その悍ましい光景に光景に戦慄する。肉狼はその、筋肉と血管が浮き出た体を動かし、こちらに近づいてくる。俺は、その光景を見て、なんとか立ち上がろうとするが、ダメージが大きすぎて立ち上がれない。
ここで、死ぬのかと考えた時、ルリと姉ちゃんの姿を思い出した。
「俺は、まだ死ねない……。父さんと母さんが死んでしまってた今……。家族を守るのは男の俺の役目なんだ! 」
己に気合を入れるために叫びながら立とうとする。叫ぶと少しだけ体に力が戻ったのか、なんとか立ち上がることができた。しかし、立っているだけで、体中に激痛が走り、走ることはできそうにない。歩いて逃げても確実に殺されるだろう。
それでも、心だけは闘士を燃やして睨みつけると、何故か肉狼が立ち止まっていた。
「家族……。家族、家族、家族家族、家族、家族家族家族家族家族家族家族かぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞく」
肉狼は頭がおかしくなったのか、家族という言葉を繰り返し呟いている。その目は、どこか虚ろとしているようでこちらを見ていない。
「なんなんだ……。いや、今がチャンスだ……! 」
肉狼がフリーズしているこの期を逃す意味はないはずだ、とゆっくりにだが、肉狼から逃げ出す。
「かぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞく」
肉狼のいた所から五十メートルは離れただろうか、背後からは念仏のように、かぞくとつぶやく声が聞こえる。その不気味さに思わず振り返ると、そこには。
――こちらを凝視する肉狼がいた――
「え……」
呆然とそう呟いてしまうほど、近い距離に肉狼は立っていた。
赤く、毛など全く生えていない、筋肉と血管でできたような巨体、血走った赤い瞳でこちらを凝視し、ひたすら『かぞく』とつぶやき続ける肉狼の姿は、死の象徴のようであり、俺はまな板の上の鯉のように動けなくなった。
「かぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞくかぞ」
ひたすら『かぞく』と呟き続けていた声が不意に止まる。あまりの恐怖に小便を漏らしてしまう。
動けずに肉狼の様子を伺っていると、
――肉狼が嗤った――
人間の俺にはわからないはずの、獣の表情がわかる。わかってしまう。それは、この化物が元々人間だったという証拠かもしれない。
肉狼は嗤いながら口を開ける。その口の大きさは俺の頭程度なら、一口で含んでしまうだろう。その口が迫ってきても、俺はもう動くことができなかった。
「姉ちゃん……。ルリのことは任せたぞ」
そう呟くと、目を閉じた。
―――――
私は、弟を見捨ててしまった……。いくら、化物がいたとしても、みんなで一斉にかかれば、倒せたかもしれない。でも、あの時の『行け』という大地の目と、ルリを守らないといけないという気持ちから、そんなことはできなかった……。
いや、これは言い訳だ……。大地は残りたかったわけじゃない。私たちを逃がすために、残ったんだ。
最低だ。
私は今、後悔している。父さんと母さんを失って、兄弟を守るのは年長者である私の役目だったはずだ……。それなのに、今まで弟にばかり危険な役目を任せてしまって……。
最低だ。最低だ、最低だ最低だ最低だ…………。
私が、嫌な思考のループに陥っていると、ルリが私に言った。
「お姉ちゃん……。お兄ちゃんを助けに行こうよ……」
「ルリ何言ってるの? 危ないわ……」
ルリを……。大地が命を張って助けた命だからこそ、私は簡単に危ない目には合わせることができない、だからできるだけ、冷たい声を作り突き放すように言う。
後ろからも、何か言いたげにこちらを見ている気配がする。それに、どうしようもない怒りを感じる。お前たちを助けに来たから! こんなことになったんだろう! と怒鳴り散らしたい気持ちになる。
「それは、お兄ちゃんだよ……。お兄ちゃんが一番危ないんだよ……!! 」
私にそう語りかけるルリは、いつものような純粋な子供の顔ではなく、大人のような顔でこっちを見ていた。小学一年生になったばかりの妹に、私は気圧されている。何でこんなことになったんだろ……。私は、もっと家族を愛していたはずだ……。本当だったら大地だって見捨てるなんてことしなかった……。
なんで? いや、わかってる。私は怖かったのだ……。こんな世界に連れてこられて、父さんと母さんが死に……。私は、自分の判断で家族が死ぬこの状況が怖かった……。だから、大地に従うことで、自分から逃げてたんだ……。
でも、私は姉なんだ。弟と妹を助けられない姉なんて、普段何のために年上ぶってるのかわからない。
そう考えていると、いつの間にか、私の足はアクセルを離していた。
「私は! ……私は、お兄ちゃんと離れたくない!! 」
その大きな黒い瞳には大粒の涙が溜まり、小さな体は小刻みに震えている。父さんと母さんが死んでも、意外と普通にしていると思っていたけど……。やっぱり辛かったのだ。妹は小学一年生になったばかりなんだから当然だ。
私は考え始める。あの人型の化物に勝つには、どうすればいいかを。あの化物は、見た目人型だから、近づいて全員で襲いかかれば勝てると思う。でも、化物が出す赤い光をなんとかしないと、絶対に勝てないだろう。
奇襲……。奇襲なら、赤い光を出される前に襲いかかり倒せるかもしれない。ダイチも化物を奇襲して倒していたし可能性はあるだろう。だけど、車は大きな音を出すから置いていかないといけない……。それじゃ、大地の救出が間に合わないかもしれない……。やっぱり、車は乗って行くべきね……。
そう言えば、あの赤い光は、木を貫通することも、質量あるものが当たった時のような衝撃音も聞こえなく、木そのものを消し去ったという感じだった。ということは、あの光は、進行経路に何か物があれば、防ぐことができるということだ……。
こんな事を考えても、大地はもう死んでるかもしれない。でも、やっぱり私は大事な弟と妹と一緒に生きていきたい!
「お姉ちゃん!! お願い! 助けに行こ? 」
無言で考え事をしていた私に、ルリは不安になってきたのか、もう一度語りかけてくる。
「……わかったわ。助けに行きましょう! 」
「ホント!? 」
ルリは、私の言葉を聞いて丸い大きな黒目を輝かせると、大粒の涙が残った顔で微笑んだ。
私も、小学生の妹に諭されるなんて、ダメだな~と思いつつ、後ろを振り向き、双子にも確認を取る。
「私たちは、大地を助けに行くことになったけど、アナタ達はどうする? ここなら、森からすぐ出られる距離だし、ここで降りる? 」
「……僕たちは出させ 「行きます! 」 ええ!? ミミ! 何考えてるんだよ! せっかく助かったんだよ!? それに、ミミは今も震えてるじゃないか! 」
「でも……私たちは、ダイチさんに助けてもらったんだよ? 」
「それは感謝してるよ……。でも今回は僕に従ってもらうよ。それに、僕らが死んだら母さん達はどうするんだ! 」
カイのそこ言葉にミミは折れ、二人は先に出ることになった。終始申し訳なさそうにはしていたが、しょうがないだろう。あの子達にも、あの子達の事情があるのだ。
「じゃあ、ルリ、行きましょうか! 」
「うん! れっつらごー! 」
そうして、私たちは元来た道を戻る。
―――――
俺は目を閉じ、次に来るだろう、痛みに備える。すると、微かに車のエンジン音が聞こえてきた。まさか!? と思い目を開けると、眼前の肉狼も聞きなれない音に辺りを見回している。
それに、俺は死期が少し伸びたと安堵する気持ちと、せっかく逃げられたのに何故来たんだ! という気持ちが合わさった、複雑な気持ちになる。
肉狼がキョロキョロしているのを観察していると、さっき俺が人型の化物と戦っていた方向から、車が走ってきた。
ちょうど、肉狼の後ろからやってくる形となっているので、肉狼は気づかず、しきりに筋肉でできたような耳を動かしている。
俺は、車の接近と同時に右にジャンプすると、肉狼は車に撥ねられ、数メートル飛んだ。
肉狼と衝突してフロントの部分が凹んでいるが、まだ動くようで、車は俺の脇まで、バックして戻ってくると、僕とは反対側に位置する助手席からルリが出てきて、回り込み俺に抱きついてくる。肋骨が折れているため、激痛が走るがなんとか受け止める。
車を運転していた姉ちゃんも、窓をから顔を出す。
そうして、二人同時に俺に向かってこう言った。
―――大地!! 助けに来たわよ! ―――
―――お兄ちゃん!! 助けに来たよ! ―――
と。




