その2
隣国の姫が来たときは盛大な晩餐会が催された。でも、ヒナギクはこっそりと裏口から入った。門番は幼馴染だ。にやりと笑ってヒナギクを通してくれた。
「何よ?」
「いや、王子もやるなあ、と思ってさ」
わけがわからない。
裏の大きな勝手口から台所に入ると、女中たちがヒナギクを出迎えてくれた。町から奉公に来ている娘ばかりだ。彼女達も門番と同じく心得たような表情を浮かべている。
「どうして笑ってるの?」
「いいから、早くしなさいよ」
そう言ったのはシラユリだ。心なしか不機嫌そうに見える。夜伽の相手の座を奪われるのを心配しているのかも。
娘たちはヒナギクの着てきた一張羅をひっぺがすと、彼女を風呂に放り込んだ。香油の入ったお湯でごしごしと洗った後、なんとも柔らかな肌触りのドレスを着せられた。
「へえ、こうやって見るとあなた、綺麗じゃないの」
女中頭が驚いたように言う。
ヒナギクは自分でも鏡をのぞいてみた。ほんとうだ。悪くない。これなら妾の座も夢ではないかもしれない。
支度を終えたヒナギクが王子の私室の扉を開けると、目の前に王子が突っ立っていた。
「ええと、こんばんは」
ドレスをつまみ上げて挨拶する。貴婦人らしく見えたかどうかはわからないが、王子は粘土にまみれた普段の彼女を知っている。気にしてもしかたない。
「来たのか」
「来いって言ったのは王子ですよ」
「そうだな。早速で悪いが……」
「はい」
「私と床に入ってくれ」
まずはテーブルを挟んでワインとブドウとチーズでも楽しみながら語り合うものだと思っていたヒナギクは驚いた。雰囲気が盛り上がってきたところでさりげなく誘うのだろうと想像していたのだ。なるほど、夜伽の相手は彼の欲求さえ満たせばそれでよいわけか。
ヒナギクの考えていることがわかったのか王子が恥ずかしそうな顔になった。
「すまない。だがとても重要なことなのだ。これがうまくいかなければすべてはうまくいかないのだから」
なんだか重いなあとヒナギクは思ったが、淑女らしくうなずいて見せる。
「わかりました。どうすればいいのですか?」
ヒナギクはドレスを見下ろした。せっかく着たのにすぐに脱ぐのはもったいない気がしたのだ。
「そのままでいい」
そういえば服を着たままのほうが興奮する男もいると聞いた。王子はまたヒナギクの心を読んだようだ。
「案ずるな。その時になれば脱いでもらう。そこまでたどり着けるかどうかが問題なのだ」
突然に王子に対する不信感が頭をもたげてきた。荒縄で女をぶつというのは本当なのかもしれない。
「ベッドに横たわって目をつぶってくれ」
美しい顔に不安そうな表情。何かがおかしいと、さすがに暢気なヒナギクも感じた。
「あの」
「どうした?」
「気分でも悪いのですか?」
「いや」
王子の表情がさらに曇る。
「おかしいですよ。どうしたのですか?」
やはり何かあるのだ。怯えた様子の王子が急にかわいそうになったヒナギクは、両腕を伸ばし王子の肩をつかむと彼にキスした。驚いた顔の王子をぎゅっと抱きしめる。床入りの作法からは外れているだろうが、どうせうまく行っても自分は妾の身だ。構いはしない。
抱きしめたまま彼の耳にささやいた。
「大丈夫です」
「本当に?」
「ええ、大丈夫ですから」
そう言うとヒナギクは腕を緩めて王子の顔を覗きこんだ。
そして、仰天した。
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「お、お、お、王子?」
王子の顔のあったところにはカエルの顔がついていた。正確に言えば本物のカエルではないが、カエルのごとく扁平につぶれた醜男の顔がこちらを見つめている。
「それはどういう冗談ですか?」
「じょ、じょうだん?」
カエルが口をぱくぱくさせる。めったに怒ることのないヒナギクも、この時ばかりは怒りを感じた。
「私はねえ、あなたに純潔を捧げるつもりで来たんですよ。いくらなんでも酷すぎる悪戯だとは思いませんか?」
目を剥いているカエルを睨み付けるとヒナギクは部屋を飛び出した。階段を駆け下り台所を走り抜けて外に出る。女中達も門番も振り返って彼女を見たが、誰も話しかけようとはしなかった。
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三日後、ろくろを回しているヒナギクのところにアキームが現れた。
「おい、元気か」
「何の用?」
「そう邪険にするなよ」
「みんなして、私を笑いものにしてるんでしょ?」
「笑いもの? 何の事だ?」
「カエルのお面なんかかぶっちゃってさ。酷すぎるとは思わない?」
「お前にはあれがお面に見えたのか?」
ヒナギクはあの時の王子の顔を思い返した。確かにお面には見えなかった。
「魔法を使ったんじゃないの? 金持ちはああいう悪戯の魔法を魔法使いから買うんだって聞いたよ」
「なんの恨みがあってキリアンがそんな事をするんだ?」
「それはそうだけど」
ヒナギクは何かがおかしいと感じ始めた。
「あの、王子は?」
「部屋にこもりっきりだ」
「もうあれから三日よ?」
「だから三日間こもりっきりなんだよ。何人お姫様が逃げ帰ろうと、けろりとしていたのにな」
「どうして?」
「お前だからだろ?」
「私?」
「いい加減鈍いな」
「はあ?」
「お前にフラれて立ち直れないんだよ」
「私に?」
「キリアンは昔っからお前のことしか見てなかったんだよ。わからなかったのか?」
自分がヒナギクに手を出そうとしたことは棚に上げて、アキームが責めるように言った。
たしかに王子はいつも自分の事を見ていた。だけどそれが普通になり過ぎて、王子がどうして見ているかなんて疑問に思った事もなかったのだ。
「ちょっと、馬かして」
「お、おい」
前掛けで泥だらけの両手をぬぐうとヒナギクはアキームの馬に飛び乗った。子供の頃から王子の馬に乗せてもらっていたので乗馬はお手の物だ。ヒナギクは城までの一本道を駆け抜けた。
城の前の広場まで来ると、裏口に回るのがまどろっこしく感じられた。そのまま正面の城門に向かう。
「開けて」
門番は裏門の門番の父親だった。親子で門番をしているのだ。
「おう、来たか」
彼はにこにこ顔で大きく門を開いた。
本来ならここで馬を下りるのが礼儀なのだが、門からお城の扉までは果てしなく遠い。ヒナギクは馬を乗り入れると、思い切り腹を蹴った。
通路の両側に規則正しく並んだ衛兵達が構えていた槍を次々と下げた。駆け抜けていくヒナギクに口笛を吹いた奴がいたので振り返れば粉屋の息子だ。よく見れば全員、顔見知りだ。
城の正面扉は大きく開いていた。ヒナギクは馬に乗ったまま勢いよく飛び込んだ。 さすがに城内で馬に乗ってはいけないと思い躊躇していると、後ろから声がした。
「いいからそのまま行きなさい」
女中頭だった。
「部屋はわかっているでしょ?」
毎年掃除に来ている勝手知ったる人の城だ。ヒナギクはうなずくと馬を右側の廊下へと進ませた。廊下の幅は広いので馬で走っても豪華な調度を蹴っ飛ばす心配はない。
突き当たりの別の大広間にある階段を駆け上がり、王子の部屋の前で馬から飛び降りると、ノックもせずにドアを勢いよく開く。
椅子に座った王子が驚いた顔でヒナギクと後ろの馬を見つめていた。いつもの美しい顔立ちだ。
「ありがとう」
馬に礼を言うとヒナギクは部屋に入ってドアを閉めた。
「王子」
「何の用だ?」
「この間はすみませんでした。からかわれたと思ったもので」
「からかってなどおらぬ」
「ええ、知ってます。だから戻ってきました。あの、王子はカエルなのですか?」
「あれは我が身にかけられた呪いなのだ」
「呪いといいますと」
「女性と床を共にしようとするとあの姿に変わってしまう」
「どうしてそのような呪いが?」
「私が生まれたとき、魔法使いたちが私を祝福に来たのだ。その時一人の男が私に呪いをかけた」
「祝福を与えに来たのに?」
「私を幸せにするまじないだと言ったそうだ」
「へえ」
「へえ?」
「それなら、きっとそうなのではないですか?」
「そんなはずはないだろう? お陰で私は女を抱くこともできん」
「そうですよね。お若いのに大変ですよねえ」
「人事だと思って気安く言ってくれる」
「これからは私を抱けばいいですよ」
王子は目を丸くしてヒナギクを見た。
「私の姿を見たのだろう?」
「ええ、でもあれは王子なのでしょう? 醜いって言ったって本物のカエルではないんですから、部屋を暗くしてもらえれば問題ありません」
「その呪いなのだが……」
「もしかして誰かと結ばれると解けるとか?」
「反対だ。もし私が誰かと結ばれたら、私は永遠にあの姿になるのだ」
「永遠に?」
「永遠にだ」
「それを早く言ってください」
「だからこの間はお前にすべての事情を話すつもりだったのに、怒って出て行ってしまったではないか」
「話してどうするつもりだったんですか?」
「もしかしたら、私でもかまわないと言うかもしれぬと期待したのだ。お前は変わっておるからな」
「でも、この綺麗な顔がカエルみたいになっちゃうんですよ。私といるよりは独り身でいたほうがいいのでは?」
王子の顔がゆがんだ。
「醜くなってもかまわん。一人でいるのはもう嫌だ」
「鏡、見ました? 醜いなんてもんじゃないですよ」
温厚な王子の顔に怒りが浮かんだ。
「お前には思いやりというものはないのか」
「いえ、王子さえ納得しているのならいいんです。私が王子といてあげます」
王子は唖然としてヒナギクを見ている。表情の一つ一つが芸術作品のようだ。この顔がカエルになってしまうのはつくづく勿体ない。でも、王子が一人がいやだというのだから仕方あるまい。
「本気なのか?」
「カエルは嫌いじゃないんです。ほら、愛嬌があるでしょう」
王子は目をぱちくりさせた。
「でも、一つだけ約束してください。王子が后を迎えられるときには……」
平民の娘が王族と結婚することは出来ない。いくらカエル顔でも彼は一国の王子だ。いつかは后にふさわしい女性を見つけて結婚するだろう。ヒナギクは急に悲しくなった。
「あれ」
ヒナギクの表情の変化を王子が訝しむ。
「どうした?」
「私、王子のことが好きみたいです」
「……今気づいたような物言いだな」
「今気づいたんです」
「好きでもないカエル男に身をささげるつもりだったのか?」
「おかしいですね」
「お前は本当にわけがわからんな。で、私が后を迎えるときにはどうすればよいのだ?」
「お仕事も減ると思いますので、実家より通わせてください」
「何を言っておる?」
「だから、やっぱり本物のお姫様との同居は辛いでしょう?」
「お前が私の后となるのだぞ。実家になど戻られてたまるか」
「私がですか? でも平民の娘ですよ」
「お前の父に貴族の位を与えればすむことだ。両親もお前ならよいと申しておる」
急に話が大きくなって、ヒナギクの頭は混乱した。
「で、でも」
「もう黙れ。私はお前を妻に迎えると決めておったのだ」
「それはいつからですか?」
王子ははにかむように自分の手元を見た。
「もう十五年ほど前になるかな」
これにはさすがのヒナギクも呆れた。
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王子の遊び仲間だった城下の男達は、幼い頃から王子がヒナギクに夢中なのに気付いていた。かわいい顔をしているのにもかかわらず、彼女が恐ろしくモテなかったのはそういうわけだ。
けれども、王子という身分では平民の娘を妃に迎えるのは難しい。そこでなんらかの悪戯を考え出し、求婚してくる姫君を次々を追い払ったのだと思っていたのだ。 だから、本命のヒナギクまで逃げ帰ったと聞いた時、初めて何かがおかしいと気付いたのだった。
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その日、ヒナギクはそのまま王子と結ばれた。彼女の肩を抱いて満足げに部屋から出てきた王子は見事なカエル顔だった。
王子の変貌ぶりに国民はひどく驚いた。だが、一番欲しいものを手に入れた王子は気にも留めなかった。それはそれでよかったのかも知れない。城下の娘たちもさすがにヒナギクを妬もうとはしなかったからだ。どんなものにも美を見出す才能に恵まれたヒナギクは、王子の顔にもその日のうちに慣れてしまった。
せっかく捕まえた嫁を逃がしてはならないと思ったのか、王は二人の結婚式を慌てて執り行った。小国の妃にはたいした公務もないので、結婚後もヒナギクは陶芸家のじいさんの所に通い修行を続けた。口癖のように早く引退したいと言っていた彼女の父も、実のところパン屋という職業を愛していたのだろう、貴族の身分となっても同じ場所で息子たちとパンを焼き続けたのだった。
そうして数年が幸せに過ぎた。二人目の子供が生まれる頃には呪いも薄れてきたのか、王子の顔もほぼ元通りに戻っていたが、ヒナギクと王子にとってはどうでもいいことなのだった。
-おわり-