白線歩き
一歩外に足を踏みだしただけで、汗が吹き出る程に暑かった日だと思う。
蝉は騒音並みの大音量で鳴き叫び、太陽は一片の曇りもなく殺人的に強い光線で地上のものすべてを焼き焦がしていた。草木はあまりの暑さに力をなくし、土はからっからに渇き、ボンネットは目玉焼きが焼けそうなくらい熱されていた。日向に生き物はおらず、みな何処かに隠れてしまった。
町のどこをとっても、夏の光景しかなかった。
窓辺に吊してある風鈴がぴくりともしない静かな熱の中、僕は一列になって歩いていた。まだ濡れた水着の入った鞄を斜めにさげて、長くはない髪を湿らせたまま。僕の後ろには、当時の僕が歩いて3分のところに住むかっちゃんがいる。僕たちは、道路の端っこに書かれている真っ白な線の上を一列になって歩いていた。
その時僕たちの間で流行っていたのは、白線の上を歩くことだった。
濃い灰色のアスファルトの上に描かれた、真っ白な線。あの頃の僕たちには、それがとても特別な存在に見えた。
白線は、唯一歩ける道。アスファルトは、底の見えない深い深い奈落。白線の上は歩けれるけれど、それ以外のところを歩いてはいけない。白線から足を踏み外したら奈落に落ちていくので、ゲームオーバー。跳び移れる範囲に白線がない場合、そこで仕切りなおし。僕たちはそんなルールを決めて、そのルールを破らないことを目標に遊んでいた。
刺激の少ない毎日に、ほんの少し想像力を混ぜ込んで、刺激をつくる。僕たちは平和な世界に飽きていて、刺激や冒険をしたかったんだ。わくわくするような出来事や、ドキドキするようなことをしたかっただけだったんだ。
「なー、ゆーうー」
暑い空気の向こうから、かっちゃんが声をかけてきた。
僕は両手を広げてバランスをとり、平均台を歩く要領で白線の上を歩く。かっちゃんもきっと同じことをしているだろう。
「なにー? かっちゃん」
足元の影を見る。
僕のまねっこをして、腕を広げて歩いていた。太陽が真上にいるから足も体も短くて、腕だけが異様に長く見えた。
「今からあそびに行っていーい?」
僕は足を止めることなく考える。
今日、お母さんは家にいるはずだ。早く帰ってきなさいよ、とは言われたけど、友達を連れてきてはいけません、とは言われてない。
いいよね?
僕は僕の中の僕に確認して、首を縦に振った。
「やった! サバファンしような!」
「うんっ」
跳ねるようなかっちゃんの声が、後ろから聞こえてきた。僕も楽しくなって、蝉に負けないくらい大きく返事をした。
広げた腕が、じりじりと焼かれる。顎の先から汗が落ちていくのを感じ、それが地面にしみを作った。僕はそれを踏み越え、かっちゃんも踏み越えた。
「サバファン、次はマオーだっけ?」
「ううん、次はマオーの手下のコノエヘーのタイチョーさん」
「えぇー、あとだれたおしたらマオーに会えるんだ?」
「あとは……マホーツカイとチーターだったよ、たぶん」
僕たちはまだ、漢字を沢山知らなかった。
攻略本には漢字で出ていても、全部上にルビが振ってある。魔王、なんて難しい漢字、読めなかったし書けなかった。
サバファン、なんていうのも、ゲームのタイトルの『サバイバル・ファンタジー』の略語で、知らない大人が聞いたら鯖が大好きな小学生に見えただろう。その時の僕たちの中では、白線歩きと同じくらい流行っていたのだけれど。
「あ~っ、楽しみだなっ」
「かっちゃん、ゲームうまいもんね」
「ゆーはヘタだよな」
「かっちゃんはゲーマーだもん。かてるわけないよ」
僕はぷぅ、と頬を膨らまし、足を早くした。
「あっ、まてよ!」
と、かっちゃんが止める声が聞こえたけれど、僕は止まらなかった。白線歩きはかっちゃんよりも僕の方が得意だったから、差を開けるのなんて簡単だった。
汗が、どんどん流れる。服の下を、背中を珠のように丸まって流れていく汗たちが気持ち悪くて、僕はそれを振り切るように歩を進めた。
かっちゃんの声と汗の不快感を背に、僕はびっくりするくらい速く進んでいった。
僕はかっちゃんといつも別れる四つ角まで来ると、足を止めた。交差点だから白線は途切れていて、僕は進むべき道を失ったような気分に陥った。
かっちゃん、早く来ないかな。
振り向くと、かっちゃんはまだ二十メートルくらい後ろにいた。一生懸命、かっちゃんの中では最高のスピードで白線の上を歩いていた。
「かっちゃーん、はーやくー」
口の横に手を当てて、かっちゃんに声が届くように叫んだ。
「ゆーがはやすぎるんだよー」
かっちゃんは足を止めることなく、でも、負けじと叫び返してきた。
蝉が、声を邪魔するように鳴き叫んだ。アスファルトが出す熱気が下から、太陽が照りつける陽光が上から、僕たちを苛めるように暑くさせる。
あと、十五メートル。
頑張れ、かっちゃん。
あと、十メートル。
ほら、蝉もかっちゃんを応援してるよ。
あと五メートルというところで、僕は前を向いた。
「白線おーわりっ」
白線歩きで白線がなかったときの決まり文句を言って、僕はぴょんと白線から飛び降りた。
切れ目の先の、奈落の上。そこが奈落ではなくアスファルトだということはわかりきっているから、安心して足を下ろすことが出来た。所詮、平和で危険や刺激のない世界の、他愛もないごっこ遊びなのだ。
僕は、勢い良く振り向いた。かっちゃんは、もうすぐそばまで来ているはずだ。
瞬間、一陣の風が僕たちを襲った。
振り向いた僕は真っ正面から、かっちゃんは真後ろから風を受けた。台風の時のような、ビル風のような、とても強い突風。
「っ……!」
声が、出せなかった。
あまりの強さに、息も出来なくなった。
目を、閉じる一瞬。かっちゃんが、バランスを崩して斜めに倒れるのが見えた。
「うわぁ……っ!」
かっちゃんの声を攫うような強い風に負け、腕で顔を隠し、目をぎゅっとつぶった。
風はとても強力だった。
けれど、それは刹那のことだった。
風はすぐに止み、耳元で唸るような風音のかわりに、蝉が再び喧しく鳴き叫びだす。目蓋の闇の奥、夏が戻った。
「すごい風だったね、かっちゃん……」
腕を下ろし、目を開ける。夏の日差しが、闇に一度入った目には眩しすぎた。
目を細めて見た道路の上に、かっちゃんはいなかった。
この先、エンディングが分岐いたします。
αとβとございますので、お好きな方をご覧ください。
傾向的にはαがジャパニーズホラー、βがアメリカンホラーになっています。