みーこのおじちゃん
わたしが小さい頃、親戚のおじちゃんは、でっかい三毛猫をみーこと名づけてかわいがっていた。
「わたしもおじちゃんみたいに猫が飼いたい。」
あれはわたしがいくつの時だったのか?
たしか、幼稚園に通っていた頃だったと思う。
ペットの猫が欲しいとだだをこねるわたしに、母は「しっ。」と自分の口元に人差し指を立ててわたしを黙らせると神妙な顔つきで「これは秘密だよ。誰にも言っちゃダメだよ。」といいつつ、みーこのおじちゃんの秘密を教えてくれた。
昔、日本がまだ戦争をしていた頃、みーこのおじちゃんがお母さんのお腹の中にいる時に、おじちゃんのお父さんは家の台所を荒らした近所の泥棒猫に腹をたてて、銃でその黒い野良猫を撃った。
弾は逃げようとした黒猫の右の前足にあたって、黒猫は前足を失った。
それを見ていたおじちゃんのお母さんは怪我をした黒猫を哀れに思って傷の手当てをして、一生懸命に世話をした。
その時にお母さんのお腹の中にいたのがみーこのおじちゃんで、右手は生まれつきの奇形で、五本の指のすべてがこぶみたいにもりあがっているだけの猫の手を持った赤ん坊として生まれてきた。
「だからね、」 母はいう。
「猫は執念深い生き物なの。悪さをしても、情けをかけてやっても、恨みを持ったら、すぐそばの人間に祟る怖い動物なの。そんな性悪なペットを欲しがってはいけない。」
わたしは、ずいぶんとぼんやりとした子供だったようだ。
母からその話を教えてもらうまで、わたしのおむつも取り替えたこともあるというみーこのおじちゃんの右手の指がないことに気がついていなかったと思う。
次にみーこのおじちゃんと会った時に、おじちゃんの右手をまじまじと見て、それが本当のことだとびっくりしたことをおぼえている。
それ以来、わたしはみーこのおじちゃんと接するたびに、おじちゃんの右手をじっとみつめてしまうくせがついた。
おじちゃんは左利きだった。お箸もペンも左手で使う。
だけど、指のない右手も器用に使っていた。手のひらの部分で挟み込んでコーヒーカップぐらいなら楽々と持ち上げる。
自宅で印刷物の校正の仕事をしていたおじちゃんは左手が疲れると右の手のひらにペンをはさんで苦もなく文字を書くこともできた。
結婚していても子供のいなかったおじちゃんは、子供とおしゃべりするのが苦手で、ほかの兄弟やいとこたちは誰もおじちゃんには近寄らなかったが、わたしはおじちゃんが猫の手で仕事をしたり、趣味の日本画を描いたり、川釣りのためのウキを小刀で削って作っている様子をそばでじっと眺めているのが好きだった。
そんなわたしをおじちゃんはどう受け止めていたのか、親戚の集まりで大人たちの会話の邪魔になる子供はみんなで外に遊びに行くように言われていたのに、わたしだけは、
「この子は本が好きだから、」とおじちゃんの私室で遊ばせてくれていた。
部屋には、本とおじちゃんが描いた日本画がいっぱいあった。
孔雀の羽で作ったペンや色とりどりのウキもきれいに整理されて並べられている。
そこは、おじちゃんの宝物がいっぱい詰まったおじちゃんのお城だったのだろう。
その部屋でおじちゃんがいうところの本が好きな幼稚園児のわたしは読めもしない大人の本を眺めて、自分でも不思議なことに何時間も退屈しないで遊んでいたようだ。