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非商業作品

【短編】婚約破棄現場に『びしょ濡れオバケ令嬢』がいたのですが!?〜浮気した元婚約者の犯罪を暴いたら、過保護な王子に求婚されました〜

作者: 和泉
掲載日:2026/10/06

「セシル・リアン! おまえとの婚約を破棄する!」

 学園の教室で突然婚約破棄と言い出した婚約者ジョゼフ・マルセル公爵子息と、彼にべったりとくっつくピンクのふりふりドレスのキャシー・メルロー男爵令嬢。

 そして二人の後ろで鬼のような形相をしながらジョゼフを睨んでいる、びしょ濡れオバケ令嬢の姿にセシルは苦笑した。

 

「おまえがキャシーに嫌がらせをしていたことは全部知っている!」

「わたし、何度もやめてって頼んだのに」

 みえみえの嘘泣きをする彼女も彼女だが、それを普通に信じるこの男もどうかしている。

 

「婚約は家同士の約束ですが?」

「うるさい! 今すぐここにサインしろ」

 バーンと突き出された紙はジョゼフのサイン入りの婚約取消願書。

 教会でもらえる正式な書類に、セシルは迷うことなくサインした。

 

「コレってすぐに出してくれるのよね?」

「当然だ! 今すぐ出す!」

「虐めた心当たりはまったくないけれど、婚約破棄はありがとう」

 家に帰ったらお父様には叱られそうだし、お母様は倒れてしまいそうだが、こんな浮気男と結婚しないですんだのはラッキーだ。

 

 それにこの婚約はジョゼフの祖母からどうしてもと頼まれて、しかたなくしただけ。

 もちろんジョゼフに愛情なんてものは一切なく、縋り付く気はさらさらない。

 

「これで私が婚約者になれるのよね、ジョゼフ!」

「あぁ、もちろん。愛しているよ、キャシー」

 もう満面の笑みだなんて、嘘泣きがバレバレじゃないのよ。

 

 キャシーの首元で大きな宝石がきらりと光る。

 なぜかセシルは、二人の茶番よりも、男爵令嬢には手が届きそうにないエメラルドのネックレスに目が行ってしまった。

 

「お幸せに」

 こんな日くらい授業をサボってもいいわよね。

 セシルは二人にお辞儀をしたあと荷物を持って教室を出た。


「……どうしてついてくるのかしら」

 二人の後ろにいたオバケがジョゼフとキャシーに仕返しをして、スッキリした気分で成仏できるといいなと思ったのに、どうやら目的は違うようだ。

 セシルは自分について来てしまったびしょ濡れオバケの姿をチラッと確認しながら、大きな溜息をついた。

 

 あと少しで馬車というところで、会いたくない人にうっかり出くわす。

「セシル? 体調でも悪いのか?」

「ごきげんよう、ジルベール殿下」

 セシルが深々と礼をすると、ジルベールの手がセシルのおでこに伸びた。

 

「熱は……ないな」

「ありませんよ」

「では、こんな時間にどうした? まだ授業はあるだろう?」

「婚約破棄されましたので、お父様に報告に」

「……は?」

 にっこり微笑むセシルにジルベールは目を丸くする。

 

「詳しく話を」

「私は家に……」

「いいから一緒に来るんだ」

 この国の第三王子ジルベールにそう命令されれば、公爵家の娘では拒否できない。

 しかたないなとセシルは王子専用のキラキラな馬車に乗り込んだ。


    ◇

 

「適齢期の女性が婚約破棄されるとは」

「浮気男と結婚してもうまくいきません」

 王宮のキラキラな一室でおいしい薔薇の紅茶をいただきながら冷静に答えたセシルに、ジルベールは額を押さえながら盛大な溜息をついた。

 

 なぜ婚約破棄された私よりもジルベールの方がダメージを受けているのか。

 学園で堂々と浮気するような男と結婚せずにすんで、ラッキーなのに。

 

「ところでジルベール殿下」

「なんだ?」

「びしょ濡れの令嬢のオバケが、ここまでついて来てしまったのですが」

 セシルはティーカップをソーサーに戻しながら、壁側に視線を移す。

 

「最初はジョゼフの後ろにいたんですけど」

「なぜついてきた?」

「さぁ、そこまでは」

 オバケ令嬢は20歳くらいだろうか。襟元をしきりに触っているけれど、どういうことだろう?

 髪も服もベタベタだし、水の中で亡くなったのかもしれない。

 

「今日はココに泊れ」

「……は?」

「婚約破棄されたから問題ないだろう?」

「ありありです」

 幼なじみだし、子どもの頃は泊ったことがあるといっても、さすがにこの年で王宮にお泊りはダメでは?

 これでも婚約破棄されたばかりの傷心の身(仮)ですけど?

 

 本人の気持ちは無視されたまま、あっという間に父の了承まで。

 どうしてこういう日に限って王宮内に父がいるのよ!

 豪華な客室に案内され、本当に王宮にお泊りムードだ。

 

「ではセシル、ゆっくり休んで」

 ジルベールとは幼なじみで子どもの頃からよく遊んでいたし、普段も学園で会えば気さくに話をしてくれていたけれど、右手の甲に口づけなんて今までしたことなんてないじゃない!

 

「な、な、なんでっ」

 真っ赤な顔になってしまったセシルをオバケ令嬢がうらやましそうに眺めている。

 ゾクッと悪寒がしたセシルは、目の前のキラキラ金髪王子に困った顔をした。


 その夜はもちろんうなされた。

 まるでオバケ令嬢が上に乗っているのではないかと思うほど重くて苦しくて。

 そして目を開けたら本当に乗っているというこの悲しみ!

 

「ねぇ、オバケさん。成仏できるようにするから、私の睡眠は邪魔しないで」

 お願いねと一方的にしゃべったセシルは眠りにつく。

 

 うとうとしながら見た夢はきっとこのオバケの夢だ。

 この男性は誰だろう?

 茶髪で緑のタイをしていて、背はそんなに高くなくて。

 顔は見えない。

 あの大きな湖と山は貴族に人気の避暑地だ。

 

『あぁ。もう君無しの人生なんて考えられない』

 夜を共にし、舟の上でネックレスを渡し……?

 ……ネックレス?

 あれ? あのネックレス、どこかで……?

 いや、そんなことよりも。

 

「ちょっと待って。めっちゃくちゃ騙されてるじゃない!」

 布団からガバッと起き上がったセシルは思わず「馬鹿なの?」と呟く。

 

「……解決できるかわからないけれど、私と湖に行ってみる?」

 このまま一生このオバケと過ごすのは絶対に嫌だ。

 早く成仏してもらって、私は快適な眠りを手に入れたい。

 セシルはよし! と気合を入れると早速一番身軽な服に着替えた。

 

 

 もちろん湖には一人で行くつもりだった。

 婚約破棄の傷心旅行(嘘)でちょっと湖へ行ってきますなんて全然ありだと思ったのに。

 

「……どうして朝からここにいるのですか?」

 セシルは扉の前で待ち構えていたキラキラ王子の姿に苦笑した。

 どうして騎士服を奪って着替えてるのよ。

 どうして似合ってるのよ。

 

「どこに行く?」

「湖に……」

 一緒に行こうだなんて誘っていない。

 そもそも王子のくせに気軽に行ってはダメでしょう?

 

「今日は護衛騎士だ。よろしくお嬢様」

 爽やかに馬車までエスコートする騎士がどこにいるのよ。

 騎士が一緒に馬車に乗るなんておかしいでしょ。

 しかもなんで隣同士で座るのよ。

 オバケ令嬢も一緒に馬車の椅子に座っているし。

 王子が一緒のせいで護衛の数もおかしいって気づいている?

 つっこみどころが満載すぎて、もはやツッコむ気にもならない。

 はぁ。と盛大な溜息をつくセシルにジルベールは手を伸ばした。

 

「……クマができている」

 グイッと腕を引っ張られたと思った瞬間、ありえない膝枕という体勢に。

 そのまま目を手で隠され、目の前は真っ暗になった。

 

 馬車のカタンカタンという心地よい揺れとジルベールの温かい手。

 寝不足で文句を言うほど元気もなかったセシルはいつの間にか眠りに落ちてしまった。

 

    ◇

 

 絵画のように美しい湖と山。

 周囲には色とりどりの花が咲き乱れ、陽光を浴びて水面がキラキラと輝いている。

 噂には聞いていたが、本当に綺麗な場所だ。

 

 オバケ令嬢がスッと湖の上を浮いていき、急に倒れるような格好で背中から湖の中に落ちる。

 オバケだから水しぶきがあがるわけでもなく、また湖の上に戻ってくるけれど。

 夢では、湖に浮かぶ小さな舟の上で宝石を渡していたはず。

 

「まさか舟から突き落とされた……?」

 オバケ令嬢は一瞬でセシルの前まで戻ると、ずぶ濡れのまま何度も何度も激しく首を縦に振った。


「セシル、突き落とされたとは?」

「オバケ令嬢が男性と舟に乗って湖へ。そこで宝石を渡したら突き落とされたみたいで……」

「どのあたりだ?」

 ジルベールに聞かれたセシルは困った。

 湖に目印なんてあるわけがない。

 

「あのあたり……」

 って伝わるわけがない!

「舟を向かわせよう。セシル、場所の指示を頼む」

 騎士たちが舟に乗り、湖を進んでいく。

 岸から旗で指示を送り、オバケ令嬢の場所まで誘導した。

 

 水浴びには向いていない季節にもかかわらず、騎士たちは湖の中へ。

 湖の底に沈んだ女性がいるという第一報が来たのは、騎士たちが湖に入ってすぐだった。

 

「セシル、あとは彼らに任せて王宮に帰ろう」

 女性を引き上げるのに時間がかかると言われたセシルは、その場を離れようとしないオバケ令嬢を湖に置いたままジルベールと馬車に乗り王宮へ。

 

「少し眠れ」

 行きと同じように膝枕と温かい手に包まれたセシルは、涙を堪えることができないまま目を閉じた。

 

    ◇

 

 王宮の執務室。

 近衛騎士団長は深々と頭を下げながら、ジルベールに報告した。

 

「湖底にいたのは、ライオネル侯爵令嬢でした」

 父親であるライオネル侯爵が、行方不明だった娘に間違いないと証言。

 お腹の中には子どもがいたこと、娘がいつも付けていたネックレスがないと父親が首をかしげていたことを騎士団長は話した。

 

「お腹の子どもの父親は?」

「わからないそうです。ライオネル侯爵令嬢の婚約者であるスロウ侯爵子息は留学中で、3年ほど戻っていないそうです」 

 ライオネル侯爵令嬢と話したことはおそらくない。

 年齢も違うし、共通の友人もいないので茶会で話すこともなく、大人しそうな印象くらいしかない。

 そんな子が、騙されて突き飛ばされて……、待って。

 

「エメラルドのネックレス」

「どうした? セシル」

「ライオネル侯爵令嬢のエメラルドのネックレス、キャシー・メルロー男爵令嬢がつけているかもしれない」  

 どうしてすぐに思い出せなかったのだろう。

 ジョゼフに婚約破棄された時、キャシーのネックレスが一瞬気になったのに。

 

 でも、その流れでいくと、湖から突き落とした犯人は——。

 

「ジョゼフ……?」

「……という結論になるな」

 あまりの恐ろしさにセシルの背筋が凍りつく。

 

 オバケ令嬢が鬼のような形相をしながらジョゼフを睨んでいたのは、ジョゼフに騙されたから。

 首を触っていたのはネックレスを伝えるため。

 セシルについてきたのは、キャシーが付けていたエメラルドが自分の遺品だったことを知らせたかったから……?

 そう考えればすべて辻褄が合う。

 

「そんな……」

「セシル、少し休め」

 顔色が悪いとジルベールに抱き寄せられる。

 セシルは震える身体を誤魔化すことができなかった。

 

「もし……私が、あのままジョゼフと……」

 婚約破棄されずにそのまま結婚していたら。

 用済みになった途端、自分もあの冷たい湖底に沈められていたのではないか。

 考えただけで恐怖がセシルを支配する。

 

「……そんなこと、絶対にさせない」

 低く重い声が耳元で響いたかと思った瞬間、セシルの身体はふわっと浮き上がった。

 ジルベールはセシルを抱き上げると、膝の上にセシルをすっぽりと抱きかかえ直した。

 

「ジルベール殿下!?」

「ジルと。もう子どもの頃のように呼んではくれないのか?」

 優秀すぎる騎士団長は静かにお辞儀をして退室していく。

 執務室に二人きりにされてしまったセシルは、密着した体温と、至近距離で見つめられる熱い視線に戸惑った。

 さっきまでの恐ろしい震えはいつの間にか消え去り、今度はまったく別の理由で、セシルの鼓動が早くなっていく。

 

「あんな男のことなんて考えなくていい」

「ジ……ジル……?」

 いつもの優しい幼なじみの顔の裏に見え隠れする、怒りと冷徹な執着。

 けれど、セシルを抱きしめる手だけは、優しくて温かい。

 

「俺が守るから。俺と婚約してくれないか?」

 逃げ場をなくすようにセシルの背中と頭を包みながらジルベールは真っすぐにセシルを見つめる。

 

「でも、ジルは王子で」

 ジルベールはこの国の第三王子。

 外交のために他国の王女を娶るのが通例だ。

 

「子どもの頃からセシルがいいと伝えていたのに、国内のパワーバランス上、無理だとずっと言われていた」

「じゃあ、やっぱりダメなんじゃ……」

「今回の件でマルセル公爵派閥は崩壊する。派閥の再編に伴い、王家の力のバランスも大きく変わる」

 ジョゼフ・マルセル公爵子息の犯罪により、父親のマルセル公爵はおそらく失脚。

 今回の件で、ライオネル侯爵もマルセル公爵の派閥から離れるのはもちろん、他の貴族たちも分散するはず。

 ジルベールはセシルの頬にそっと手を添え、親指で唇を愛おしそうになぞった。

 

「セシルがジョゼフと婚約した時、どれだけ俺が絶望したと思う? あの男の元へ行くくらいなら、閉じ込めてしまおうかと何度思ったか……」

 低く滑らかな声が耳元に吹きかけられ、セシルの背筋に甘い痺れが走る。

 

「もう逃がさない。……返事は『はい』でいいな?」

「ズルい……。王子からの申し出を公爵家が拒否できるわけないじゃない……」 

 顔を真っ赤にするセシルに、ジルベールは愛おしそうに目を細めながら熱い唇を寄せた。


   ◇

 

「綺麗だよ、セシル」

 本物の王子、ジルベールに手を差し伸べられたセシルは、照れながら微笑んだ。

 

 今日は学園最大のイベント、 創立記念パーティー。

 ドレスが準備できない平民でも気軽に参加してほしいと学園長が考案した仮装あり・仮面OKの舞踏会だ。


「まさかペアの衣装を準備されるとは思っていなかったわ」

「婚約者にドレスを贈るのは当然だろ?」

 ジルベールは目元を覆う銀の仮面越しに、優しい笑みを浮かべた。

 仮面をしても溢れる気品が隠せていないってどういうこと?

 

「……彼女はエメラルドを付けてくるかしら?」

「一番自慢したいものを身につけてくるはずだ」

 セシルの腰に回された手の温もりが、「大丈夫だ」と無言で告げてくれている。

 エスコートされながら会場の入り口をくぐり、会場内を見渡すと、色とりどりのドレスと仮面に身を包んだ生徒たちが踊っていた。

 

「……いるわ。真ん中よ」

 緑の衣装のジョゼフと、ピンクのふりふりドレスのキャシー。

 そしてジョゼフを睨んでいるびしょ濡れのオバケ令嬢の姿にセシルは苦笑する。

 

「まずはライオネル侯爵にネックレスを確認してもらおう」

「そうね。でも、どうやって?」

「余興を用意したから大丈夫だ」

 ジルベールはセシルを優しくエスコートしながら会場の中央近くへ進むと、パンパンと軽く手を叩いた。

 申し合わせたように音楽がぴたりと止まり、会場の視線が一斉に集まる。

 

「今夜は創立記念の特別な夜だ。一つ余興を用意させてもらった」

 溢れ出る気品と朗らかな声に、生徒たちが「何が始まるんだ?」とざわめく。

 

「今夜、この会場で『最も素晴らしい装飾品』を身につけている淑女に、王家より特別な品を授与しよう」

 宝石の大きさや値段は関係なく、身に着けている理由で評価する。

 もちろんおもちゃの指輪でもかまわないという声に、会場はワッと沸き立った。

 

「審査員は後ほど紹介するが、とても見る目が肥えた貴族だということだけ明かしておこう」

 承認欲求が強く目立つことが大好きなキャシーはもちろん真っ先に壇上へ。

 

「おい、キャシー」

「絶対誰にも負けないわ。だってこれ、ジョゼフがセシルと婚約破棄してまで私を選んでくれた証だもの!」

 やめろよと説得しそうなジョゼフの横をセシルはわざと通り過ぎる。

 ここで逃がすわけにはいかないのよ。

 セシルはキャシーの首にエメラルドのネックレスが付いていることを確認すると、わざと煽るようにキャシーに声をかけた。

 

「……あら、あなたも出るの?」

 セシルの首にはジルベールから贈られた豪華すぎるネックレス。

 これは値段なら間違いなく、この会場で断トツ一番の恐ろしい宝石だ。

 

 キャシー、あなた自慢したくてうずうずしているでしょう?

 そのまま自分から罠に飛び込んできなさい。

 セシルはキャシーのネックレスを見たあと、ふっと笑いながら壇上へあがった。

 

「なによ、負け犬! 婚約破棄されたくせに」

「お、おい、キャシー!」

 キャシーはセシルの挑発に乗り、自信満々な顔でセンターに立つ。

 

「参加者はこの……6人で締め切っていいかい? ではひとりづつ装飾品とエピソードを聞かせてもらおう」

 ジルベールの司会で余興は盛り上がっていく。

 仮面をつけたライオネル侯爵は、一人目の野花で作られた頭飾りを丁寧な手つきで確認すると、「これをつくったのは男の子かな?」と笑った。

 きっとフロアを見上げている真っ赤な顔の男の子が作ったのだろう。

 

 幸せそうな二人を見たセシルはふと、ジルベールもシロツメクサで指輪を作ってくれたことを思い出してしまった。

 確かあの時、結婚の約束もしたわ。

 

「実に素晴らしい作品だ。愛がこもっているね」

 侯爵の言葉に、会場からは温かい拍手と歓声が上がる。

 二人目、三人目と続き、四人目はキャシー。

 

 キャシーのネックレスを見た瞬間、ライオネル侯爵は目を見開いた。

 

「……外してみせてもらえるだろうか?」

「いいわよ。これはね、ジョゼフが私のために取り寄せてくれた貴重な宝石なの」

 好きなだけ見ていいわよとキャシーはネックレスを外し、ライオネル侯爵に手渡す。

 侯爵は震える手で受け取ると、大切そうに握りしめ、ジルベールに合図を送った。

 

「私のエメラルドはそこの負け犬がつけているただの派手なものとは違って、婚約破棄をしてまで私と添い遂げたいと言ってくれたジョゼフの愛の証なのよ!」

 キャシーは待ちきれんとばかりに一歩前へ出ると、誇らしげに語り始める。

 会場は「婚約破棄」の言葉に一瞬ざわついたが、キャシーはセシルを勝ち誇った目で見下しながら語り続けた。

 

「……これは行方不明になった愛娘の誕生日に贈った世界に一つだけの特注品」

「……え? 何か言った?」

 空気を読めないキャシーが能天気に微笑んだその時、侯爵はゆっくりと自らの仮面を外し、怒りと絶望に満ちた目でキャシーを睨みつけた。

 

「なぜ、我が亡き娘の遺品を持っているのだ?」

「え? 何のこと?」 

 きょとんとするキャシーを置き去りに、自分だけ慌てて逃げようとするジョゼフの腕は近衛騎士にがっちりと捕まれる。

 

「は、離せ!」

「ちょっと、何? どういうこと?」

 一緒に捕まった壇上のキャシーは、何が起きているのかわからずただ大きな声で喚き散らした。

 

「キャシー・メルロー男爵令嬢、そのネックレスはジョゼフ・マルセル公爵子息にもらったって言ったわよね?」

「そうよ! 羨ましいからってこんなことしなくてもいいじゃない!」

 セシルは壇上から今度はジョゼフを冷たい目で見下ろした。

 

「ジョゼフ・マルセル公爵子息。あなたライオネル侯爵令嬢から奪ったエメラルドを、キャシー・メルロー男爵令嬢に贈ったの?」

 青ざめた顔のジョゼフは何も言わずに目を背ける。

 

「奪ったってどういうこと?」

 困惑したキャシーは抵抗をやめ、ジョゼフを見つめた。

 

「身籠ったライオネル侯爵令嬢を湖に突き飛ばしたのはジョゼフ、あなたね」

「な! なにを根拠に」

「ネックレスがなによりの証拠よ」

「そ、そんなの拾っただけで……」

 見苦しい言い訳を始めるジョゼフに、オバケ令嬢が近づいていく。

 

「……っ!」

 実体があるはずないのに、オバケ令嬢の濡れた髪がジョゼフの服に触れた瞬間、見る見るうちにジョゼフは濡れ始めた。

 

「な、なんだこれは……! 水?」

 オバケ令嬢の青白い手がジョゼフの首筋をじわじわと締め上げていく。

 その瞬間、見えるはずがないオバケの姿に怯えたジョゼフが悲鳴を上げた。

 

「ひぃあぁぁぁぁっっ! 来るな ! おまえが産むなんて言うから……! た、 助けてくれぇぇぇ!」

 びしょびしょになりながら、誰もいない方向に謝罪を始めるジョゼフの奇行に、周りは「なにがあったの?」「どうしたの?」とざわつく。

 

 身勝手な男の自白を聞き、静かな怒りで全身を震わせているライオネル侯爵に気づいたセシルはジルベールに視線を送った。


「ライオネル侯爵。一度だけ許そう。暴行罪には問わない」

「温情に感謝します、殿下」

 大股でジョゼフへ近づいたライオネル侯爵は、拳をジョゼフに振り上げる。

 鈍い音とともに、ジョゼフの体は派手に吹き飛び、会場の床へ転がった。

 

「……私の娘と、生まれてくるはずだった我が孫の命を……よくも……よくも踏みにじってくれたな、ジョゼフ・マルセル……!」

 父親の慟哭ともいえる叫びに、会場全体が静まり返る。

 事態をようやく理解した生徒たちは、ジョゼフへ非難の視線を一斉に向けた。

 

「連れていけ。その男を殺人罪で投獄しろ! そちらの女は侮辱罪だ」

 ジルベールの冷徹な命令が下り、近衛騎士たちがジョゼフと泣き叫ぶキャシーを引きずっていく。

 

 ジョゼフから離れたオバケ令嬢の身体が、ふっと優しく温かな光を帯び始めた。

 全身を濡らしていた湖の水はすっかり消え、その姿は生前の美しく控えめなライオネル侯爵令嬢そのものへと戻っていく。

 

「あ……」

 そうだ。この子だ。

 やはり大人しくて茶会では隅の方にいたご令嬢。

 彼女は愛する父親の背中を愛おしそうに見つめたあと、セシルの方を振り返った。

 

『……ありがとう、セシル様』

 声にはならない感謝の言葉とともに、ライオネル侯爵令嬢はまるで満開の花がほころぶような、可憐でとびきり眩しい笑顔を浮かべながらキラキラとした光の粒になって消えていく。


「……逝ったのか?」

「はい。ライオネル侯爵の背中を見ながら微笑んでいました」

「……そうか」

 よかったなとジルベールに囁かれたセシルは、泣きそうな顔で頷くのが精いっぱいだった。

 

 中断してしまった余興は再開され、気まずそうに五番目の子がエピソードを話す。

 セシルは棄権し、ジルベールはエピソードを教えてくれたキャシー以外の全員に、それぞれ贈り物をすると約束した。

 騒然とした創立記念パーティーは、王家から宮廷料理の差し入れが届いた途端、明るさを取り戻し、賑やかな音楽とダンスが始まる。

 

「一曲お相手願えますか?」

「喜んで」

 ジルベールはセシルの手を引き、フロアの中央へと連れ出す。

 吸い寄せられるように見つめ合いながら、セシルはダンスを踊った。

 

「セシル。昔の約束、覚えているか?」

「おままごとのような約束だと思っていたわ」

「俺はずっと本気だったよ」

 曲の途中でジルベールはセシルの耳元へ寄り添い、そっと囁く。

 

「俺と結婚してほしい」

 拒否権はないと付け加えるジルベールに、セシルは思わず笑ってしまう。

 ジルベールはダンスの最中にもかかわらず、セシルの手へ誓いのキスを落とした。

 鳴りやまない拍手と祝福の中、セシルはジルベールに微笑む。

 

 ……ん?

 

「どうした? セシル」

「嘘でしょ」

 会場の壁際、完璧な姿勢で控えているジルベールの側近アウグスト。

 いつも冷徹で仕事熱心な彼の背後に、何かがいる気がする。

 長い髪を揺らし、アウグストの首元に両腕を回してぴったりと抱きついている禍々しいオーラを放つ令嬢のオバケ。

 

 めちゃくちゃ執着心の強いオバケ令嬢に憑かれてる……!?

 

「……アウグストがどうかした?」

「あ、えっと、最近何か女性問題でも?」

「……また『視えた』んだね?」 

 ジルベールは大きな手でセシルの視界をそっと覆うと、困るなぁと笑った。

 

「……アウグストのやつ、また妙な令嬢に呪われたのか」

 どうも思い込みが激しい令嬢に好かれるらしいとジルベールは肩をすくめる。

 

「セシルは俺だけ見ていればいい」

「……そうするわ」

 セシルが降参するように微笑むと、ジルベールは満足そうにセシルを強く抱きしめた。

 アウグストの背中のオバケはすごく気になるけれど!

 


 後日、創立記念パーティーで自爆したジョゼフ・マルセルは一族ともども爵位を剥奪され、鉱山送りの終身刑に。キャシー・メルローは共犯の疑いで厳しく取り調べを受けたが本当に何も知らず、セシルへの侮辱罪のみ適用され男爵家ごと社交界から追放されることとなった。

 

 ジルベールとセシルは婚約し、学園卒業後に結婚することが決まったが、側近アウグストのオバケ令嬢の件は未解決だ。

 

 解決してあげた方がいいのかしら……?

 重い肩を気にしながら部屋を出ていくアウグストを見ていたセシルの視界は真っ暗に。

 

「セシル、他の男とオバケのことなんて考えるな」

 セシルに囁きながら、ジルベールは「考えるのは俺のことだけだ」と瞳を細める。

 

「ジルったら」

「俺以外のものに目を奪われるのは、オバケ相手でも許せない」

 どうやら幼なじみ王子の愛は重いようだ。

 セシルはジルベールの温かな胸の中にすっぽりと収まりながら、この腕の中にいられるなら悪くはないかもしれないと、ひとりで納得した。

 平穏な日々は遠そうだけれど……ね。

 

 END

多くの作品の中から見つけてくださってありがとうございます。

リアクション・ブックマーク・評価ありがとうございます。執筆の励みになります。

婚約破棄だと言った元婚約者と、相手のご令嬢と、『おばけ』が書きたくなり、夏前から温めていた作品なのですが、ようやく書けました(/ω\)

夏は微ホラーで。と思ったのに、うっかり秋に……ハロウィンがまだなのでセーフ!?

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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え〜!? 側近氏の問題が非常に気になるんですけど〜!!
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