5 嘘とまこと
人はときに、守るために口を閉ざす。
それは嘘か、優しさか――
「わかってる。千代ちゃんは、そんな子じゃないわ」
千代は、小さいながらも祖父を助け、日々の家事をこなす健気な子だ。だが、今日の千代には違和感があった。隠し事をしているのではなく、なにかを守ろうとしている……水絵にはそんなふうに見えた。
新吉は目に涙をにじませながら、ぽつりと言った。
「でも……千代、この前、銭を持ってた」
薬だけでなく、銭を見てしまったから、余計に心配になったのだろう。
「なにか……きっと、なにか訳があるのよ。千代ちゃんの様子……いつもと違ってたし」
「千代が苦しんでるなら、助けてやりたい。けど、おいら、どうしたらいいのかわかんないんだ」
つぶやくような言い方だったが、水絵にはそれが、新吉の悲鳴に聞こえた。
「とにかく、千代ちゃんに話を聞こう」
今すぐに……と、水絵は立ち上がる。いつもの水絵なら、祐光師にすぐに相談をしていただろう。それをせずに、まず自分で話を聞こうとしたのは、鏡之介によって再燃されられた岡っ引きへの憧れのせいだったが、水絵自身は、それに気づいていなかった。
長屋に戻ると、水絵は千代と新吉を自分の家に連れてきた。祖父のそばでは、千代は本当のことを言わないと思ったからだ。
母の志津は仕立物を届けに行っていて留守だった。
「ごめんなさい!」
薬のことを問うと、千代はいきなり謝った。そして、泣きながら訴えた。
「あたし、お縄になっちゃうの? それなら、春太さんか、孝之進様に捕まりたい。水絵姉ちゃん、孝之進様に頼んで」
「落ち着いて、千代ちゃん。千代ちゃんは、お縄になるようなことをしたの?」
「……わからない。でも、屋台に置いてあった銭、黙って使っちゃったから……」
千代は、ぽつりぽつりと事情を話し始めた。
ひと月ほど前のこと――。
ひとりの男がやってきて「使ってないなら、屋台を貸してくれないか?」と言ってきた。祖父に確かめると「駄目」と言われそうだったから、千代は内緒で貸すことにした。
千代がその男に会ったのは最初の一回だけだ。だが、男が毎晩屋台を借りているのはわかっていた。
翌朝には、屋台は必ず元の場所に戻っている。そして、銭入れの中には「借り賃」と書いた紙に包まれた銭が入っていた。
「いくらくらい入っているの?」
「日によって違うけど、だいたい六十文から百文くらい」
最初のうちは受け取らずにいたけれど、紙包みは毎日増えていく。そして、ある日。
「おじいちゃん、すごく苦しそうにしていたから」
その銭を持って、薬屋に走ってしまったという。
「あたし、泥棒したのかな? 悪いことかもしれないって思ったんだけど、でも、どうしてもおじいちゃんに薬を飲ませてあげたかったの」
泣きじゃくる千代を、水絵は抱きしめた。
「泥棒じゃないよ。だって、その人は屋台の『借り賃』を支払っているんだから。それは、千代ちゃんとおじいちゃんがもらっていいものなの。何にも悪いことしてないよ」
水絵の言葉に、千代は泣き止んだ。……が、水絵にはひとつ気にかかることがあった。
「その男の人のこと、どうしておじいちゃんに言わなかったの?」
千代はうつむき、黙ってしまう。
「千代。言えよ。水絵姉ちゃんもおいらも、千代の味方だ」
新吉の言葉に励まされたのか、千代はようやく顔を上げた。
「花吉兄ちゃん……かなって、思ったから……。おじいちゃんは、花吉兄ちゃんのことは許さないって思ったから……」
新吉が、問うように水絵の顔を見る。水絵は、千代に気づかれない程度に、そっと首を横に振った。
花吉は千代とは一回り年が違う兄だ。
三年前、十六歳だった花吉は、祖父の弥一と派手な喧嘩をして家を飛び出した。とはいえ、そんなことはしょっちゅうで、ひと月もすれば、食い詰めて帰ってくる。頑固ではあっても、結局のところ孫に甘い弥一は花吉を許し、また三人で暮らし始める。
三年前も、同じことが繰り返されるはずだった……が、その時は違っていた。家を飛び出した直後、花吉はつまらない喧嘩に巻き込まれて、命を落としてしまったのだ。
打ち捨てられた遺体は、誰が見ても花吉だったにもかかわらず、弥一は違うと言い張った。結局、遺体は無縁仏として葬られ、花吉は行方知れずのままという扱いになった。
弥一が何故嘘をついたのか、長屋の連中はなんとなく察していた。弥一自身が認めたくないのが半分、花吉に懐いている千代を泣かせたくない気持ちが半分……そんなところだろう。
その時四歳だった千代は事情を知らない。だから、花吉がどこかで生きていると信じている。
十二歳になっていた水絵は、その時のことを記憶している。そして、長屋の人たちも、みんな知らないふりをしている。千代のために……。
屋台を借りていく男が花吉でないことは明らかだが、兄かもしれないと思っている千代の希望を潰すことなど、水絵にはできない。
祐光先生ならきっといい方策を考えてくれる……。そう思った水絵の脳裏に浮かんだ顔は、何故か、祐光師ではなく鏡之介だった。
「なんで……?」
頭の中から鏡之介の顔を振り払おうと、頭をぶんぶんと振ってみたが、それはなかなか消えてはくれなかった。結局、なんの結論も出せないまま、水絵は新吉と千代を家に帰し、自分は後片付けの続きをするために寺子屋に戻った。
寺子屋の前で所在なげにうろうろしていた春太は、水絵の姿を認めると、にっと笑った。
「誰もいねえから、もう仕舞いかと思っちまったよ」
と、手にした紙の束を差し出す。
「瓦版屋から預かった売れ残りだ」
「助かるわ。残り少なくなってたから、はらはらしてたのよ」
束の厚みを嬉しく思いながら、水絵はそれを受け取る。
半紙は高価なので、寺子屋の手習いには、反古紙を使っている。摺師や瓦版売りが、刷り損ないや売れ残りの紙を持ってきてくれるのだが、今日は春太がそれを預かったのだろう。
今日の手習いで配ったとき、残り少なくなっていることに気づいた。明日にも足りなくなりそうだと心細かった。
そう言うと、春太は懐から一枚の折りたたんだ紙を差し出した。
「これもやるよ。やたら売れてるから買ってみたんだが、俺には用なしのもんだったからな」
受け取った紙を開いてみると、料理番付だった。
「番付は人気があるのは知ってるけど、そんなに売れていたの?」
「ああ。なんか、たった三月で位が大きく変わったとかなんとか……。けど、考えてみたら、番付に載るような料理屋、俺が行けるはずなかったしな」
「ありがとう」
いいってことよ、と言いながら、春太は立ち去ろうとして、不意に立ち止まった。
「暗くならねぇうちに帰れよ。おまえも一応、若い娘なんだからさ」
「一応ってなによ、一応って!」
笑って立ち去る春太に怒って見せる……が、春太の言うことももっともだ、と思い直す。
千代のことで思わぬ時間をとられてしまった。若い娘云々はともかく、あまり遅くなると、母が心配する。
急いで片付けを済まさなければ……と、寺子屋に戻った。
もらった反古紙をしまおうとして、その中に三ヶ月前の料理番付があるのに気づいた。たった三月で順位が大きく変わったという春太の言葉を思い出す。家で待っている母や、千代の泣き顔が頭をよぎるが、目は番付の順位に釘付けになっていく。
「ちょっとだけ……」
水絵は、自分に言い訳をして、最新の番付と三ヶ月前の番付を並べた。そして、反古紙の中にもっと昔の番付はないかと探し始めた。
お読みいただきありがとうございました。
気に入っていただけましたら、ブックマークや感想で応援していただけると励みになります。
次回もよろしくお願いいたします。




