最終話 それぞれの花
ひとつの番付から始まった騒ぎも、どうやら決着のようです。
けれど、水絵にとっては、それだけでは終わりません。
今回は「蕎麦の花」最終話です。
水絵が慌ただしく準備をしていると、庭から声をかける者があった。同心の宇多川孝之進だった。
「この前はお手柄だったな」
と言ったのは、水絵を襲った巾着切りの仲間のことだろう。
無事宇多川に引き渡し、取調中だと春太は言っていた。冬三の捕り縄を返しに来てくれたときに聞いたのだ。
「あいつを捕らえられたおかげで、ほかの仲間もお縄にできるかもしれない」
「仲間がいたんですか?」
「ああ……」
宇多川は、少し表情を曇らせた。
「あいつと、飛鳥山で捕らえた巾着切りは、下っ端の中のさらに下っ端だ。そういう奴らには、巾着切りなんかをやらせてるが、親玉は……」
「どんなやつなんですか、親玉って。悪党一味って、全部で何人くらいいるんですか? 根城はどのあたりに?」
矢継ぎ早に問い詰める水絵に、宇多川は苦笑した。
「今日は、一応、水絵に礼を言いにきたのだが……」
その表情に、説教の匂いを感じた水絵は、慌てて言った。
「いいですよ、そんな、べつに」
怪しい雲行きに、逃げ出そうとしたが、宇多川は甘くはなかった。
「礼は礼として! ずいぶん危なかったそうではないか。だから、岡っ引きのまねごとはやめろとあれほど」
「……すみません」
頭を下げても、説教は続く。
いったいいつまで続くんだろうと、水絵が不安になりかけた時、
「おはようございまーす!」
と言う寺子たちの声が聞こえた。
水絵には、天からの救いに思える声だった。
「あ、みんなおはよう! 宇多川様。それじゃ、わたしは仕事がありますんで!」
これ幸いにと、寺子たちの世話を始めた水絵に、宇多川は説教の続きをあきらめた。
「しっかりやれよ、水絵師匠」
「はい、がんばります!」
立ち去り際にかけられた声に、水絵も元気よく返事をした。
子どもたちがそれぞれの席に着いた時、少し遅れて千代が飛び込んできた。
「水絵姉ちゃん! 花吉兄ちゃんが帰ってきたの!」
千代は息を切らしながらも、満面の笑みを浮かべている。
「目が覚めたら、兄ちゃんがいたの! 昨日夜遅くに帰ってきたんだって!」
新吉がなにか言おうとするのを、礼次が止めた。
「よかったじゃないか」
そう言うと、礼次は新吉になにか耳打ちした。おそらく、礼次は祐光師の話を聞いていて、新吉はまだだったのだろう。
「あのね、屋台を借りていたのは、やっぱり兄ちゃんだったの。あの銭も、兄ちゃんが置いていってくれたんだよ」
「そんなら、じいちゃんの薬は兄ちゃんが買ったってことになるな」
という新吉の言葉に、どうやら納得したらしいと水絵はほっとする。
「うん! それでねそれでね、兄ちゃん、これからずーっと家にいるんだって。じいちゃんがよくなったら、ふたりで屋台をやるんだって!」
「花吉さんが帰ってきたなら、弥一さんの具合も、きっとすぐよくなるわね」
「うん! ありがとう、水絵姉ちゃん」
「じゃあ、手習いはじめましょうか。鏡之介先生がいないからって、怠けちゃだめですからね」
「はあい」
寺子たちの元気な返事に、水絵は初めての一人師匠への不安が消えていくのを感じていた。
夕刻――。
戻ってきた祐光師は、長屋のみんながわかってくれたと水絵に伝えてくれた。長屋だけでなく、町名主や大家にも話をつけてきてくれたという。
これでもう、千代が悲しむことはない、と水絵は安心した。
「水絵も、大変だったろう」
祐光師のいたわりの言葉に、
「いいえ、みんないい子にしてましたから」
と、ちょっと見栄をはった返事をする。実際は、まさにてんてこ舞いだったのだが……。
庫裏に去る祐光師を見送ると、鏡之介も、
「今日はご苦労さん。じゃあな」
と立ち去ろうとする。その袖をつかんで引き留めた。
「ご苦労さんじゃないですよ。今日はひとりで、大変だったんですからね」
「ああん? さっき、祐光先生には、みんないい子にしていたって言ってたじゃねえか」
さては、嘘か? と問いかける鏡之介にふくれてみせる。
「先生にはああ言うしかないじゃないですか。まだ、仕事は残ってます」
と、紙の束を鏡之介に手渡す。
「なんだこれは? 料理屋の見立番付か? また謎解きをしようってのか?」
裏に手習いの文字があることを承知の上で、そんなことを言う。
「今日の分の手習いです。朱入れしなきゃいけないのがこんなに残ってるんですから、手伝ってください!」
そう答えながら、また謎解きができるんだったら、どんなに楽しいだろう……と思ってしまう水絵がいた。
予測していた鏡之介からの断りの台詞はなく、気づけば、鏡之介は朱墨を取り出し朱を入れ始めている。あまりにあっさりと引き受けられて水絵は拍子抜けし、次の言葉が出ない。
「もたもたしてると日が暮れちまうぜ」
水絵は、あわてて鏡之介の隣に座った。朱を入れながら、訊いてみる。
「なんで、文句もいわずに手伝ってくれるんですか?」
「水絵と俺は、師匠仲間じゃねぇか」
鏡之介は、朱を入れる手を止めずに言った。
その言葉に、水絵は胸の中が春の日だまりのように暖かくなるのを感じた。
寺子屋の中に、優しい風が吹き込んでくる。名残の桜の花びらが一枚、どこからか舞い込み、水絵の髪を飾った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
花吉の“花”と、桜の“花”。
そして、水絵の中にも、小さな花がひとつ咲いた回でした。
まだ満開ではありませんが、きっとこれからも咲いていくことでしょう。
本日より続編となる
『鏡花水月謎解帖② 謎解き地蔵』
の連載を開始しております。
引き続き、水絵たちの江戸の小さな謎をお楽しみいただければ嬉しいです。




