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(3)


 それは僕と先輩の登校&出勤前だった。

 示し合わせた訳でもなく、玄関先で鉢合わせた久貫君に先輩がぶちかました。


 協力してくれるのではなかったのか。

 はくはくと陸に打ち上げられた魚のように口を開閉する僕に、戸惑う久貫君。


「せせせ、先輩!?」


 慌ててスーツの裾を引っ張るが、先輩は素知らぬ顔で彼と会話を続ける。


「あぁ、俺は楠寿暁人です。ナツから聞きましたが、昔の幼馴染だそうですね」

「え、えぇ、まぁ」

「そうだ。良ければ駅までご一緒しても」

「構いませんが」


 僕は構う。

 抗議を込めて強く裾を引っ張るが、振り返った先輩は、幼子を撫でるように僕の頭を撫でる。まるで大丈夫だというかのような優しい手つき。

 それに少し安堵して口角を緩めると、ふと前からの視線に気付く。久貫君だ。


「あの、どうかしましたか?」

「いや、うん。仲良いんだね」

「ナツとは長い付き合いですね。何なら尻の黒子の数まで把握してますよ」

「先輩ぃいいい!」


 なんて事を暴露しているんだ。

 皺にならない範囲で、ベシベシと攻撃する僕の手を取った先輩はそのまま営業用の笑みを浮かべたまま、廊下を歩き出す。

 因みに隊列は俺、先輩、久貫君の横一列。

 取り敢えず真ん中に挟まれなくて良かったとほっとして、以降は二人の会話に耳を傾け、時折相槌を打つ作業に没頭する。

 十分ほどして目的の駅に辿り着くと、そこは僕達と同じく通勤客がひしめき合い、初詣のような混雑を見せていた。

 車両の方も案の定で、どうにか乗車するも、僕と先輩だけ何故か恋愛漫画に良くある胸キュン的体勢となっていた。


「ナツ、大丈夫か?」

「はい。先輩の方こそ大丈夫ですか?」

「問題なし。もう少しくっついてもいいからな」


 にかっと笑う先輩は相変わらずイケメンだ。相手役が僕でなければ間違いなく恋が始まるのだろうが、今生まれるのは感謝と真横からの視線による気まずさのみだ。


「久貫君は大丈夫かい?」

「なんとか」


 なるたけ久貫君を見ないように俯く僕の為か、先輩の顎が頭頂部に乗せられる。


「先輩、それ止めてください」

「悪い。丁度いいあご置きだったからつい」

「なんですかそれ」


 ほどなくして僕達の降りる駅に到着する。


「じゃあ、先輩」

「おう、弁当サンキューな。久貫君も気をつけてな」

「はい、失礼します。ナツ、こっち」


 扉が開いた刹那、バランスを崩しかけた僕の手を掴んだ久貫君は、そのまま足早に出口へと進んでいく。

 多分きっと他意はなく、純粋な親切心なのだろうが、僕には心臓に悪い。

 きゅう、となる胸を止めるように胸の前を握っていると、不意に景色が変わる。

 屋外に出たようだ。

 人の波が少なくなったところで、久貫君が足を止めて振り返る。


「大丈夫か、ナツ」

「う、うん。ありがとう。あの、手……」

「あ。悪い」


 解放された事で少しだけ息がしやすい。

 

「――じゃ、行こうか」

「あ、はい」


 僅かに苦笑した久貫君の申し出に、僕はぎこちなく頷く。しかしそれ以外の話題は振らない。ただ黙々と歩くのみで、隣の久貫君からも居心地悪そうな気配を感じる。

 僕達の間に流れる空気は非常に重い。

 ちらちらと此方を窺っているのが分かるのだが、何を話していいか分からない。

 僕には会話の引き出しが驚くほど少ないのだ。正直、先輩の悪ふざけを謝るのも悪くない選択だが、そこから話を膨らませる自信は砂粒より無い。

 大学生にもなってこれかという思いはあるものの、初恋の相手を前にして失敗、というか嫌われる行動は取りたくなかった。

 結果、黙々と歩き続け、僕達はかなりのハイペースで大学の近くまで到着する。


「な、なぁ。ナツ、さっきの楠寿さんとはその、そういう関係なの?」

「! い、いえ。先輩とはそういう関係じゃありません。ただの先輩後輩です」


 顔を上げて力いっぱい否定する僕に、久貫君は多少たじろぎながらも納得したように首肯した。


「驚かせてすみません。先輩は昔からあぁで。あ、でも凄く良い人なんですよ。中高の時から色々お世話になっていて、世界一頼りになる人です!」

「そう、なんだ」


 久貫君が何処か戸惑ったように言う。それにハッとした僕は慌てて頭を下げた。


「す、すみません」

「いや大丈夫。最初、凄く距離が近かったから恋人かなって俺が勝手に勘違いしただけだから」

「あはは……」


 また直ぐに会話が途切れる。

 なんというか異性慣れしていない男女が一生懸命コミュニケーションを取ろうとしているみたいだ。

 昔、それで失敗したのを思い出して凄く悲しくというか虚しくなる。とはいえ、一度おしゃべりした事で電車を降りて直ぐの頃より空気は悪くない……と思いたい。


「あの」

「あの」

「! あ、久貫君からどうぞ」

「じゃあ。ナツは今彼女とか」

「いえ。久貫君はいらっしゃいますか」

「ううん、俺も居ないよ」


 こんなに格好良いのに?

 そう顔に出し過ぎたのか、久貫君は苦く笑った。


「というか当分彼女はいいかな」


 そこに色々ありそうな気がして、僕は少しだけ気になりつつも相槌にとどめる。

 そこで急に久貫君の視線が何かに気づいたように前方の一点に向いた。それは5mほど先。三人の男性グループだ。


「あの、もしかしてお友達ですか?」

「うん、そう。ちょうどいいからナツにも紹介するね。おーい、木村~」

「ん? お、凌じゃん」


 真ん中の一人が久貫君の声に足を止めて振り返り、次いで残りの二人もそれに続く。


「はよっ……って、ソイツ誰?」

「俺の幼馴染。ナツ、コイツ等は俺の友達だよ」

「あ、えと、初めまして。十都棗です」


 陽キャ三人衆の視線に、びくびくとしながらも軽く会釈する。するとその内の一人、最初の木村さんが「あ」と大きな声を出した。


「もしかして、冨士野小にいた十都か」

「えと」

「ナツ、彼は木村義弘。覚えてる?」


 木村義弘。

 はて、そんな人居ただろうか。

 ふるふると首を振った僕に、木村さんはマジか~と肩を落とした。


「あの、すみません」

「あ~いいよいいよ。オレ影が薄かったし。しっかし十都あんま変わってねーな」

「木村。ナツは今、色々あってあんまり昔の事覚えてないんだよ」

「そうなん?」


 大袈裟にリアクションを取る木村に苦笑いを返しつつ、残りの二人の名前を聞いてそちらにも軽く会釈する。

 ものすごく居心地が悪い。

 ここは友達から連絡が来た体を装って一旦距離を取ろう。

 そう決意した矢先、久貫君と話し終えた木村さんが、ずいっと顔を寄せた。


「凌の事も覚えてないってマジ!?」

「えと、はい」

「マジかぁ。ま、でも覚えてなくて逆に良かったかもな、凌。お前、罰ゲームって言ったの後で笑えるほど」

「木村っ!」


 久貫君の大きな声が木村さんを遮った。

 それに大きく肩を震わせた僕は、鞄の紐を握って俯く。


「んだよ、いきなりデカい声出して」

「今それは言わなくていい」

「あ~……十都君、大丈夫?」


 二人の内の一人が、気まずそうに僕を窺う。


「大丈夫です。あの、さっき友達から連絡来たので僕もう行きますね」


 これ以上彼等、ううん、彼の顔を見るのが怖くて僕は返事も待たずその場から走り去った。

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