(13)
「ちょっとすみません。一旦、一旦ちょっと待ってください」
信じられない事態に、凌の脳は絶賛混乱を極めていた。それでもどうにか飲み込んで、暁人へ向き直る。今は少しでも情報が欲しかった。
「すみません。その、訊きにくいんですけど、貴方は俺達の事情をどれだけ把握しています?」
「どれだけ? 君が周囲にナツとの関係を罰ゲームだと漏らした事とそれから今日まで何があったかは聞いてるね」
つまり、それはほぼ全てを網羅しているといっても過言でない。素直すぎる幼馴染への若干の呆れと、ここ最近の行動と自らの気持ちすら見破られた羞恥が綯い交ぜとなって凌を襲う。
「流石に言いふらす趣味はないから安心していいよ。それよりも」
そこで区切った暁人は、真剣な表情で凌を見やる。それにあわせ、凌がごくりと生唾を飲み込んだ。
ナツを大事にしろと暁人は口にする。そこには心から十都棗を思う凄みがあった。先程の感情を消し、同じく眦を決して首肯する凌。
両者の間に沈黙がおりる。だが当初よりは気まずくない沈黙だ。見つめ合うことしばし――微かな笑みを浮かべて体の力を抜いた暁人は、体勢も楽なものに変えた。
空気が和らぐ。
同じように凌も肩の力を抜き、姿勢を崩す。まだまだ考えることはたくさんあるものの、目の前の彼が脅威、いや恋敵でないと知れた安堵の方が凌にとっては大きかった。そして気を抜いたことで無意識に疲れていたのか、薄い疲労の膜が全身を包む。
そこへ爆弾発言が飛んだ。
「もしナツを泣かせたりしたら、その時は俺がナツを貰うつもりだけどね」
突然の強奪宣言。
やや挑戦的な笑みを浮かべ、直後に暁人は冗談だと、からからと笑った。驚き、肝を冷やした凌は眉を細める。安全枠だと分類した評価をやや危険域寄りに下方修正した。
恐らくその時が来たら、彼は間違いなく幼馴染を囲うつもりだろう。ただそれが恋愛的な意味でかは凌には分からなかったが、彼の中の野生の勘が、そうだと警鐘を鳴らしていた。
これは最大限の注意を払わなくてはならないだろう。なにせ相手は幼馴染から全幅の信頼を寄せられている相手だ。
凌の背中にじっとりと冷たい汗が滲む。
そして手のひらも多汗症を発症したかのように水分が滲み出していた。
「あの、貴方はどうしてそこまでナツを」
問いかけた声は、自分でも驚くほど掠れていた。
対して尋ねられた暁人は、きょとんとしたあと、慈しむように優しく目を細めた。
「ナツは俺の恩人なんだ。彼が居なければ今の俺はない。まぁでも、本人はそんな風には全く捉えていないんだけどさ」
そう過去を振り返る暁人の姿は、心から幼馴染に感謝しているようだった。自分の知らない幼馴染との思い出に凌の心の奥底に嫉妬の炎が小さく燃える。
物理的距離があったのだから仕方がないと分かっていても、腹立たしいと思う気持ちはなかなか消えない。けれどここで出していいものでもない。
凌は身の内に巣くう汚泥のようなそれを飲み込み、平静を装って静かに相づちを打つ。
「ふふっ、久貫君は分かりやすいね。そのままだとナツもいずれ逃げてしまうかもねぇ……なんて冗談だよ冗談」
現在進行系で逃げられています、とは軽口でも言えず、凌は曖昧に濁した。暁人もそれに気付いたのか、最後の方はわざと明るく言い放った。凌もそれに言及することなく、乾いた笑みをこぼす。室内に再び気まずい沈黙が戻ってきた。
そこへ凌が一つ咳払いをする。
「ま、まぁ何はともあれ頑張ってくれ。俺に出来る範囲であれば協力するよ」
携帯を取り出して連絡先の交換を示唆する暁人に、凌はわずかに躊躇を見せるも結果的に応じた。
認めるのは非常に癪ではあるが、幼馴染との関係を修復するにあたり、これほど頼れる相手はいない。故にささやかな抵抗なのか、電話帳のグループに“気に入らない”を新設し、そこに位置づける。
我ながらダサいと思うが、相手に伝わらなければいいのだと開き直る。
そこへ自分のものでない通知音が凌の鼓膜を揺らす。
「お、ナツからだ」
その言葉に凌の体がびくりと震える。まるで自らの行いを咎めるようなタイミングだった。凌は慌てて暁人のグループを知り合いの欄へ移動する。
「……あの、ナツはなんて」
「あんまり静かだから何かあったんじゃないかって心配したみたいだよ。相変わらず心配症で怖がりなんだよね。まぁ、そこが可愛いんだけど。大丈夫だよ、と凌君と友達になったよ」
「えっ」
驚き目を見開いた凌に、暁人は人好きのする笑顔をみせる。
「違うのかい?」
「あ、いえ。光栄、です?」
「なんだい、それ。あ、ナツこっちに呼んだから」
「はぁっ!?」
暁人が自らの携帯を見せる。
そのわずかに割れた画面には、足が痺れて立てないから迎えにきてという文章が打ち込まれていた。
「アンタ、何やってるんですか!?」
「恋のキューピッド」
「すみません、一回はっ倒してもいいですか?」
真顔で拳を握る。
だがその刹那、玄関のインターフォンが静かに鳴った。




