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「っ、もうやだ」


 自宅に逃げ帰った僕はすぐさまベッドにダイブした。手洗い、うがい、ご飯の支度……やることは色々あるのに今は何もしたくなかった。

 携帯が何度も何度も音を鳴らし、震える。それが誰からのものなのか見なくても分かってしまって余計気が滅入った。

 無視していればそのうち諦めるだろう。

 枕を被ってきつく目を閉じる。すると5分も経たないうちに、僕の携帯はただの機械へと戻った。そして室内が静かになる。

 僕はそろりと起き上がって携帯を手にする。今はもう鳴らない。諦めてくれたようだ。

 ただスリープモードを解除すると、通知が凄いことになっていた。

 この短い間に通知が40。僕はメンヘラというのを言葉でしか知らないが、これはそれに匹敵するのではなかろうか。既読をつけるのがなかなか怖い。

 それでもどうしても無視する事が出来ず、気持ちの整理をつける為に暫く距離を置きたい旨と、嘘をついてごめんなさいとだけ送った。

 すぐに既読がつくが、その後何が届くのか見るのが怖くて通知をオフにする。

 次いで僕は先輩とのトーク画面を開き、挨拶抜きで、久貫君に嘘がバレました、と書き、泣いている猫のスタンプを送る。

 こちらはすぐに既読がつく事はない。

 社会人なのだから当然といえば当然だが、出来るだけ早く返事が欲しかった。

 膝を抱えて頭を伏せること暫し、ようやく待ち人からの返事が返ってくる。しかし、その答えは僕を奈落の底に突き落とすものであった。

 『話を聞いてやりたいのは山々だが、仕事が立て込んでて暫くそっちに行けない』。

 目の前が真っ暗に染まる。こんな事、先輩以外に相談できないのに。


「頑張れって何をどう頑張ればいいんだよぉ……」


 応援するゴリラのスタンプを恨みがましく睨み、またベッドに突っ伏した。

 仕方ないことと頭では理解していても、感情がそれを拒否する。でもどうしようも出来なくて、僕はただ唸り声を上げた。

 自分の交友関係の狭さが呪われる。

 同時に自分への嫌悪感も増していく。

 彼に頼らない人間になろうと誓ったはずなのに結局は依存先を先輩に変えただけで、何も進歩していないからだ。

 情けなくて涙が出る。


「う~……」


 心に渦巻くもやもやを、固い敷布団を殴りつけて紛らせる。でもそれでも気が晴れなくて、僕は台所の収納棚からぬか床を取り出した。湿った土のような感触が洗った手に伝わり、先程よりも少し落ち着く。

 そうすると思考もクリアとなってきて、自分のやるべき事が考えられるようになってくる。

 まずは課題相手の変更。

 これは祥ちゃんか、怖いけど女性に声をかければなんとかなる。

 次に登校時間のずらし。

 ちょっと大変だけど明日から一本早い電車に乗って彼を避ける。

 最後に――話し合い。

 正直これはかなりハードルは高いけど、いずれはやらなければならない。ただ最悪、LINI越しでもいいだろう。


「――頑張れ、僕!」


 ぬか床から胡瓜を取り出し、頷く。

 なんかちょっと間抜けだけど、ずっと落ち込んでいるよりは数段いい。

 するとそれに呼応してか、僕の腹がくぅっと小さく自己主張する。

 腹が減っては戦はできぬ、だ。

 全然戦いじゃないけど。


「ご飯作ろ」


 それから一週間。

 僕は徹底的に久貫君から距離をとった。

 彼がこっちを向いたら顔をそらし、ちょっとでも近づこうものなら慌てて離れた。

 正直かなり罪悪感に駆られ、おまけに祥ちゃんをはじめ、友人達からは「喧嘩か?」と大層心配されたものの、概ね平和な日々を過ごしていた。しかし――


「十都。ちょっと顔貸してくんね?」


 そんな日々も目の前の木村君によって壊されようとしていた。


「いい加減にしてくんね」


 有無を言わさず空き教室に連行されて開口一番、彼が告げた。


「っ、何がですか?」

「凌の事だよ。いい加減もう許してやれよ」


 なぜ許す許さないの話になっているのだろう。首を傾げる僕に、木村君は舌打ちをする。


「っ、別に僕は怒ってません」

「は? じゃあ何で凌はあんなになってるわけ?」

「し、知らないですよ」


 怖くて一歩後退る僕に、乱暴に頭を掻いた木村君は深い溜め息をこぼした。


「あ~……ビビらせて悪ぃ。けど、凌の奴、かなり凹んでてな。見てられねぇんだわ」

「凹んでる、んですか?」

「あぁ、それもかなーり」


 信じられないとばかりに目を見開くと、木村君は支障がなければ何があったか教えてくれと尋ねる。


「それ次第では俺も協力すっから」

「……本当ですか」

「男に二言はねーよ」


 本当にそうだろうか。

 迷いに迷うこと一分、一歩も引く気のない彼に僕は恐る恐る言葉を紡ぐ。


「貴方から僕が昔の記憶があるか聞いて、久貫君に確認されたんです。それで気持ちの整理をつけたいからしばらく距離を置きたいってお願いしたんです」

「ん?――待て待て待て。途中を省くな意味が分かんねーわ」

「えっと、貴方の指摘通り僕は昔の記憶をちゃんと覚えてて。久貫君に僕との関係は罰ゲームだって言われてたので、距離を取りたくて記憶が朧げだって嘘ついてたんです。それで今回、正式に距離を取ろうって話で」


 僕がそこまで言うと、木村君は片手で鼻から上を覆い、『あ~』とうめいた。


「やっぱ聞いてたか」

「っ。なので、木村君からも、もう気にしてないのでこのままでいきましょうって伝えてもらえませんか」

「十都、待て、落ち着け。お前は誤解してる」

「誤解?」

「そう。あん時凌は軽い気持ち、つーか若気の至りっつーか、悪ぶりたいお年頃だったって言うか、あー! とにかく本心じゃなかった!」


 そんな筈はない。

 だって彼はその後、僕を貶す友人の話を決して止めなかったのだから。


「――無理に言わなくていいです。それに僕は貴方も、久貫君や友人達に同意して楽しそうに僕を貶した事も覚えてます」

「え、俺が!?」


 信じられないとばかりに目を瞬く木村。

 いじめと同じだ。

 言われた方は心に深く刻まれて絶対忘れないのに、言った側は平気で忘れる。


「悪い」

「別にそれに対しても怒ってませんし、謝らなくて大丈夫です。だって全部本当の事なんですから」

「いやあのな」

「ただもし少しでも僕に同情してくれるならどうか貴方から久貫君を説得してもらえませんか。お願いします」


 僕は深く頭を下げた。

 頭上で困ったなと呟く木村君に、やはり駄目かと落胆を覚えていると、急に扉が開いた。


「そこで何してるの?」

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