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「阿緒、いい話があるんだ」
数日後、屋敷を訪れた多津はいつもと様子が異なった。
作られた笑顔でなく感情がこもった表情をしており、阿緒に話しかける。
「どのような話ですか?」
多津に久々に興味を持たれ、阿緒が顔を綻ばせて聞き返した。
一瞬それを眩しそうに見た後、多津は表情を切り替える。
その瞬間を寒凪は目撃しており、顔を顰めた。
ここ数年の多津の態度に寒凪は怒り心頭だった。今更、少しでも優しくしようとする多津を寒凪は許せない。
しかし従者である彼は一切感情を見せず、壁の傍に控えていた。
「お前の身体を女する秘術があるんだ」
「ほ、本当ですか?!」
阿緒は男性に近づいていく自身の身体が嫌いだった。筋肉質にならないように食事を制限したり、肌の手入れに気をつけ、化粧もするようになったが、女性のそれとは異なっていく。
女性の身体、それは阿緒がもっとも欲しがっているものであった。
「隣国の赤の呪術師と呼ばれる者が、その秘術を施せる。どうだ、阿緒。俺と隣国へ行かないか?」
「多津と一緒ですか?私が?」
「ああ、一緒だ」
多津はにこやかに微笑み、阿緒の頭を撫でる。
昔彼がよくしていた仕草で、阿緒は懐かしくなり泣きたくなった。
寒凪は多津を信じていない。微笑みの中の彼の企みを探ろうと目を凝らした。
そうすると、多津と目が合わさり、優越感たっぷりに微笑まれる。
「阿緒様。私もお供いたします。お館様も多津様とお二人の旅などお許しにならないでしょう。しかし、私がお供とすればそれも叶うかもしれません」
寒凪はまっすぐ多津を見返して、言葉を紡ぐ。その視線の鋭さに阿緒は気がつくことはなかった。
「いいだろう。俺もそう思う。三人で隣国へ行こうじゃないか」
あっさりと寒凪の同行を認めた多津に、寒凪は不信感を抱く。
「それではお父様に話しましょう。楽しみです」
両手は重ね、本当に嬉そうに阿緒は微笑んだ。
寒凪は主人である阿緒が喜んでいることを嬉しく思いながらも、多津の本当の目的が他にある気がして素直に喜べなかった。
「寒凪。どうしたの?」
父である巳山の当主に許可をとり、三人は二週間後に隣国へ出掛けることになった。
阿緒の歩みはとても軽やかで、その浮かれ具合が喜びを表している。
多津は当主と面会が終わったら、そのまま屋敷を後にしており、いつもなら阿緒は寂しく思うところだが、今日は違った。
「女になれるんだよ。寒凪。これで多津に愛して貰える。だから、多津がこの話を持ちかけてきてくれたんだ。今日は久々に頭を撫でてもらったし、嬉しいことばかり」
阿緒は早口で捲し立て、興奮しているためか、その頬は薔薇色に染まり、妙な色気を醸し出していた。
寒凪は、阿緒の妖艶な美しさに引かれつつ、自分の立場を思いだし自制です。
「よかったですね。阿緒様」
心の中で、寒凪は何度も多津を罵倒して、殺したこともある。けれども、彼は阿緒の許婚だ。阿緒は彼の主人でもある。
その許婚のことを悪く言うことはない。
側使いの女中が多津の噂を聞き付けて、彼の悪口を告げると阿緒はその女中を一方的に叱りつけた。
それくらい、阿緒は多津のことを盲目的に愛している。だからこそ、寒凪は心で何を思おうとも多津に対して礼儀をもって接する。
「女になれるなら、もう食べることを我慢しなくてもいいし、外にも出れるね。嬉しい」
阿緒が目を輝かせてそう語る。
男性である彼が女性として生きるため、今まで沢山のことを我慢してきた。
彼の願いが叶えば、もう我慢することはない。
それは彼にとっては幸せなことかもしれない。
しかし寒凪は、阿緒の男性的なところすら愛していて、無理に女性になろうとする彼を痛ましく思っていた。
多津ではなく、自分であれば、阿緒に我慢させることはないのに。
従者である彼が阿緒と添い遂げることはできない。
それであれば彼の幸せを願い、傍にいるだけだと寒凪は今日も自分の想いに封をした。
ーー
「多津。どうしたのよ。突然」
逢引に使っている部屋に突然呼び出された楓は不機嫌な態度を露わにした。
「待って」
彼の呼び出しに答えるということは、そういう事だ。
多津は楓の言葉に答えることもなく、その唇に噛みつくような口づけをする。
そうしてなし崩しに二人の行為は始まった。
「椿がいなくなったの?」
「ああ。連絡がとれない」
「だから、私ね。まあ、いいけど。気持ちよかったから」
楓も多津の愛人の一人で、椿同様体だけの関係だ。
「今回はどれくらいなの?」
「二週間」
「短いわね」
「旅行に行くから。戻ってきたら、ああ、なんでもない」
そう言いかけた後、多津は再び楓の体を貪り始めた。
二週間後、隣国で阿緒が女の体になったら、もう愛人はいらない。
多津はそう思ったが、口にすることはなかった。