第4話:意味はどこに生まれるのか。宇宙が記憶を価値に変えるとき。
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記録は、ただ保存されているだけでは「意味」を持たない。
例えば、昔の日記。
誰かが書いたページが本棚に挟まれている。
それがどんなに美しい言葉であっても、誰も読まなければ、それはただの紙だ。
でも、ある日ふとそのページをめくり、
誰かがそれを読んで「何かを感じた」とき、
その記録は“意味”になる。
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宇宙の情報も、同じなのではないかと思う。
波のねじれが刻んだ違い。
空間のゆがみ、密度の偏り、構造の始まり。
それらはすべて、ただの“記録”だった。
でも、そこに生命が生まれ、
その生命が空を見上げ、「なぜ?」と思ったとき、
宇宙の情報は“意味”に変わった。
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意味とは、情報に“感じる誰か”が宿ったときに生まれる価値だ。
何かを好きと思う心。
なぜと問う意識。
そこには、必ず“自分”がいて、宇宙との間に橋がかかっている。
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僕は考える。
もし宇宙がただ膨張するだけの存在だったら、
情報に“価値”を見出す必要なんてなかったはずだ。
でも現実には、
言葉を話し、音楽を奏で、絵を描き、宇宙を研究する存在がいる。
そう、僕たちだ。
僕たちは、宇宙の記録を“思い出し”、
その中に何かを感じ取ろうとする存在だ。
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ここで、こんな仮説が生まれる。
「意味とは、情報が“観測者”に到達したときに発生する副産物である」
情報があっても、意味がないことはある。
でも、意味があるなら、そこには必ず観測する意識がある。
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だから僕は、
宇宙が“意味”を生むために、
観測者=生命=意識を必要としたのではないか、と考える。
まるで、レコードを再生するだけでなく、
その音楽を「懐かしい」と思う誰かがいるように。
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じゃあ、僕たちがこの宇宙で感じている「好き」「美しい」「悲しい」「尊い」っていう感情は、
宇宙が自分自身に送っている“意味のフィードバック”なのかもしれない。
そう思うと、少しだけ心が震える。
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次回は、その意味がどこへ向かうのか、
つまり「情報は何を目指しているのか」を考えてみたい。
もし宇宙が自分を思い出し、意味づけたその先に“何か”があるとしたら、
そこには、意識よりもさらに深い、“再構築”の意志があるのかもしれない。
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(第5話へつづく)