【1】
「……あ〜、晴れたかぁ」
日曜日の朝。
ベッドの中から手を伸ばし、早弓はカーテンの端をめくって外の天気を確かめる。
七月に入って数日が経っていた。二日続いた雨がようやく上がったのに、心は晴れ模様とは行かない。
濡れた靴が乾く間もなく、今日は何を履いて行こうかと考えるのも気が重かった。
約束は十一時。会って、店に入って、お昼を食べて。……会話、して。
──めんどくさ。雨降ったらそれを口実に断れるのに。「雨の日はなんか頭重くて気分良くないんだよね〜。悪いけど」って。
雨天の気鬱は嘘ではないが、出掛けるのに支障をきたすほどではない。仲のいい友人となら喜んで出向くだろう。
……つまり、そういうこと。
しかしこのところ、大学の友人たちと学外で会う機会も減っていた。だからこそ予定も空いていて、誘いを承諾してしまったのだから。
特に何か原因があって疎遠になったわけでもなんでもなく、巡り合わせでしかない。試験前で忙しかったり、何故か塞ぎ込んでいる様子だったり、さまざまだった。
もう二十歳を迎えたものも多く、常にべったり一緒でないと安心できないような幼い関係ではない。大学で会えば普通に会話も交わすし、食事やお茶を一緒にすることも多かった。
大学のサークルで知り合った別学部で同学年の賢人と、恋人として付き合うようになって一年が過ぎた。倦怠期、になるのだろうか。
我ながら早すぎる、と溜息が出そうだ。
「起きて用意するかぁ。約束しちゃったんだから行かないと……」
そう自分に言い聞かせている時点で、もう気持ちは離れているのかもしれない。
◇ ◇ ◇
「おはよ~」
「あ、早弓! おはよ!」
翌朝。講義室に入って挨拶するなり、友人の朝美が勢いよく声を掛けて来る。
「ねえ、聞いた!?」
「は? なんかあったの?」
「七恵ちゃん、最近元気なかったじゃん? 彼と別れたんだって!」
いきなり声を潜めた彼女の口から出たのは、同じ学科の親しい友人の名だ。
「そうなんだ。……だから悩んでたのかな。七恵ちゃんはまだ好きで──」
「逆よ、逆! そいつDV男だったらしいよ!」
意外な事実に言葉が詰まる。確かにどこか沈んで見えるとは感じていたが、そこまで深刻だとは思いもしなかった。
「え……、何それ!? そんなの知らなかった」
「私もよ。相談してくれたら、ってまあ言えないよね。わかるけど、友達なのに何も知らなくて、……何もできなかったの悔しいよ」
口先だけではなく、苦しそうに絞り出して顔を歪める朝美。
「でもよくすんなり別れられたね。いや、揉めたのかもしれないけど」
「家族に打ち明けて、お兄さんに話し合いについて行ってもらったんだってさ。そういう男って弱い女の子にはエラソーに威張ってても、自分より『上』だと思う相手には何も言えないらしいから。……でもホント良かったわ」
頷いてふと巡らせた視線の先、七恵が他のクラスメイトと話していた。柔らかな笑顔。
ここしばらく目にしていなかった、と今更のように思い当たる。
「早弓の彼みたいな誠実で優しい人が一番だよ~」
「え、あ、そう……かな」
唐突な朝美の言葉にどう返していいかわからなかった。曖昧な相槌にも、彼女は気にした様子もなく話を続ける。
「堀田くんて、えーとゴメン。ちょっと真面目くんっていうかいい人過ぎて、面白くなさそうだなと思ってたんだ。いや、ほんとゴメン! でも早弓、見る目あるよ。って言ったら七恵ちゃんに悪いか。いや、あの子の場合は『見る目ない』んじゃなくて、外面いいDV野郎に騙されただけだから!」
「それはそう思う。なんかそういう奴ってすごい上手いんでしょ? で、付き合ったら豹変するらしいじゃん? 周りにはいい顔するからなかなか信じてもらえないとか聞いたわ」
「だから言い出せなかったのかな……」
講義開始を知らせるベルに、そこで話を切って指定席に着いた。
誠実で優しくて、……面白味がない。
その通りだ。刺激のない日々に飽き飽きしていた。穏やかな恋人を、いつしか退屈な男だ、と感じてしまっていたのだ。
昨日会っている間、彼に笑顔を向けただろうか。ずっとつまらなそうな表情を晒していたのではないか。
それでも気分を害することなく、体調を気遣ってくれた優しい恋人。
早弓が梅雨の間はあまり調子が安定しないのも、彼はよく知っている。
そこがよかったはずなのに。
最初は間違いなくそうだった。中学生でもあるまいし、大学生にもなって自己中心的で幼稚な男に魅力を感じなかった。
だからこそ、その対極にいた賢人に惹かれたのだと思う。
確かに存在した愛情が、いつの間にここまで薄れていたのだろう。