3-11.わたくしからの贈り物が気に入らないのかしら
二人で穏やかなときを、半刻ほど茶店で過ごした。烏天狗は相変わらず無愛想だったが、加賀男が側にいてくれたおかげだろう。真鶴が嫌がらせをされることはなかった。
昆布茶と羊羹の味を堪能し、屋敷へと戻ったのだが――
家の前に、二つの人影があった。
「君はそろそろ自分の立場を自覚したまえよ、蜘蛛長。これ以上は見過ごせないよ」
「寿々家の放蕩者風情が。どの口でわたくしに命令しているつもり？」
みつやと、ふゆ音だ。玄関先で何やら火花を散らしている。
「何をしている、二人とも」
「加賀男、真鶴ちゃん。いやはやどうも、いい天気だねえ」
「ま、加賀男さま。それに真鶴さんも。ご機嫌うるわしゅう」
加賀男が声をかけると、提灯を持つ二人がそれぞれ笑顔を浮かべた。刹那、互いに睨み合うのを真鶴は見逃さない。
「今日はどうした。お前たちが顔を合わせるなど、珍しいこともあるものだ」
「好きで会ってるわけじゃないさ」
「加賀男さま、聞いて下さいまし。このもの、人の身にしてわたくしをいじめるのですわ」
悲しげに、艶やかにしなを作るふゆ音が、着物の袖で顔を覆う。隙間から真鶴を見る瞳に、ありありと妬みの光が宿っていた。
「いじめ、ねえ。どっちが誰をいじめようとしてるんだか」
「影ヶ原にいる際はまつろわぬものに敬意を、と言っているはずだが、みつや」
「敬意を払ってるさ。鬼の可愛い子たちには特にね」
「まるで、わたくしが可愛らしくないと断言しているようなものですわ」
艶美な様子で加賀男に近付くふゆ音は、大人しく経緯を見守る真鶴を押しのけるように隙間に入ってくる。
「加賀男さま、今日も美味しい野菜を持ってまいりましたの」
「ああ、すまない。ツキミに運ばせよう」
横に身を引く真鶴の前で、みつやがなぜか咳払いをした。
「ぼくは遅めの昼食を、と思ってね。一度も真鶴ちゃんの手料理、食べたことないし」
「図々しいな、お前は。……すまないが、これに昼食の残りを出してやってほしい」
呆れたように苦い顔を作る加賀男が、申し訳なさそうな声を出す。
「はい……すぐに料理を温め直しますね、みつやさん」
「ありがとう、真鶴ちゃん。いやはや楽しみだ」
「いえ、お口に合えば嬉しいです」
「あら？ 存外お似合いですのね。ね、加賀男さま。この二人、仲がよろしいわ」
加賀男の腕に腕を絡めるふゆ音は、見下すように笑った。
「そんなことは……」
「あわわ、寝ぼすけしましたの！」
真鶴が否定しようとした瞬間、玄関の戸が開いてツキミが飛び出してくる。
「まだ眠っていたのか」
「ごめんなさいですの、星帝さま。お客さまをご案内するですの」
「野菜なら裏手に置いてありますわよ」
「ツキミ、お前は野菜を冷暗所へ。あとは俺たちがやる」
「はいな！」
言って、加賀男は厳しい顔のまま中へ入っていく。ふゆ音をそのままにしたままで。
楽しそうに笑うふゆ音、話を聞く加賀男の後ろ姿に、真鶴の胸はなぜか、軋む。
「優しさは毒だ、っていってるのになあ、加賀男にも」
真鶴の横につき、ささやくみつやを思わず見た。
「君と結婚するんだからさ。他の女にかまける暇なんてないだろうに」
「……天乃さまは星帝というお立場です。長たちを無下にしてはいけませんから」
「まあ、そうかもしれないけどさあ」
「それに、わたしにもお心を向けて下さいます。その優しさが嬉しいですし」
「ま、こそこそと内緒話だなんて。やっぱりあなたたち、お似合いですわ」
口の端をつり上げるふゆ音のおもてには、底意地の悪さがにじみ出ていた。加賀男が首だけで真鶴たちの方を向く。
「先に行っている」
暗い面持ちでそれだけを告げ、彼は通路を曲がって姿を消した。
残された真鶴の胸は、針に刺されたかのように痛む。美男美女、加賀男とふゆ音こそ似合いのような気がして。だが、それを認めたくないという気持ちがどこか、ある。
「みつやさんもお先に部屋へどうぞ。わたしは料理を温めますから」
「なんかごめんよ。全く、加賀男のやつもはっきり言えばいいのにさあ……」
謝るみつやへ無言でかぶりを振り、一人台所の方へと向かった。
（やっぱり、ぜいたくになっているのね）
台所の中で、冷たい水で手を洗い、思う。
最初は優しさを他の人へ、そう望んでいた。だが、次第に与えられる気持ちや心遣いを求めている自分がいる。思いも感情も、全てがほしいだなんて、欲張りが過ぎるだろう。
（皆、そう考えるのかしら。誰かから全部をもらいたいと）
胸が苦しく、痛い。気持ちが塞ぎこみ、ため息ばかりが出た。
それでも手は動く。挽肉のつみ入を温め直し、キャベジのサラドを盛り付け、味噌汁と白米をよそう。
簡易な料理を盆に載せ、食事処へと足を運んだ。
「失礼いたします。みつやさん、お食事をお持ちしました」
中に入れば、どこか張り詰めた空気が漂っていることに気付く。それでもふゆ音の笑い声は大きい。
いつもの席に腰かける加賀男は、仏頂面だ。みつやは呆れたようなおもてをしている。
「あ、真鶴ちゃん。わざわざすまないねえ」
「いいえ。ご飯はこれしか残りがありませんけれど」
「あら、キャベジ？ キャベジは加賀男さま、あまりお好きではないでしょう？」
「え……そうだったのですね。申し訳ありません」
献立を見て眉をひそめるふゆ音に、真鶴はあからさまにうろたえた。
「問題なく食べられる。気にすることはない」
とりなす加賀男に、ふゆ音はあからさまにむっとしてみせる。
「生野菜は出してらっしゃるのかしら、真鶴さん。加賀男さまは生野菜がお好き。せっかくわたくしが持ってきた野菜も、ここまで手を加えられては意味がなくてよ」
「生野菜は、おやつに出しています」
「まっ、その程度？ 真鶴さんは、わたくしからの贈り物が気に入らないのかしら」
「あのさあ……」
「ふゆ音さま。食事をするというのは、命をいただくということです」
顔をしかめて口を開くみつやを、真鶴は手で制した。
「わたしの料理には、きっと至らないところもあるでしょう。ですが、命を調理するときには心を込めています。ふゆ音さまからのお気遣いを無駄にしないように。天乃さまにも美味しく食べていただけるように」
淡々と、しかしきっぱりとした声が出る。怖れることなくふゆ音を見据え、言葉を紡いだ。
「天乃さまは、その気持ちを酌み取って、いつも残さず平らげて下さいます」
「……ッ！」
言い切った刹那、ふゆ音から凄まじいまでの悪意が放たれる。殺気に近い、足が震えるまでの憎悪が。
「そこまでだ、ふゆ音」
「か、加賀男さまっ」
すぐにそれが、消えた。空気をとどめた加賀男が、巌のような面持ちでふゆ音を見る。
「それ以上殺気を放つことは、俺が許さない。星帝の名においても、だ」
「あ……わ、わたくし……」
迷い子のように視線をさまよわせ、顔を真っ赤にしたふゆ音が立ち上がった。
「……失礼しますわ！」
悔しさをにじませた瞳で真鶴を睨むと、彼女はそそくさと部屋から飛び出していく。
大きな音を立て、パネル扉が閉まった。
真鶴の体から力が抜ける。こんなに強く、はっきりと物事を述べたのは、はじめてだ。だがすぐに我に返り、慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ありません。わたし、出過ぎたことを」
「いいんだ。君こそ大丈夫か」
「は、はい。手と足が……少し震えてますけれど」
「そのくらいの気丈さはあってもいい。むしろ、その、意外な一面を見られてよかった」
加賀男が微笑む。先程までの厳めしさなど、溶けて消え去ったように。
「あなたさま……」
安心したからか、真鶴の胸がまた高鳴る。笑みも何も浮かべられないが、鼓動は速い。
「なんかもう、お腹いっぱいになってきた」
ささやくみつやを見る。食事にほとんど手をつけていないのに、どうして腹がくちくなったのだろう。
「まだ食べてらっしゃらないのでは？」
わからず小首を傾げる真鶴に、みつやは片目を閉じてみせた。
「いやはや、いいものだねえ」
「何がでしょうか」
「加賀男、君もしっかりしたまえよ。今みたいにさ……では、いただきます」
真鶴はぱちくりと目をまたたかせ、加賀男へと視線をやる。
彼もこちらを見ていた。柔らかく包みこむような目線で。
そのおもてに、目付きに、胸がまた鼓動を慣らす。とくとくと、優しい音を立てて。
読んで下さりありがとうございます！
もし気に入っていただけたら下から評価などを入れて下さると励みになります。
