3-7.あわわ
(みつやさんの言葉……どういう意味なのかしら)
普段用の小紋に着替えている最中も、食事処へおもむいた際も、真鶴の思考はそればかりに囚われていた。
「今日の夕飯は鮭大根を作りましたの! 五色ご飯もどうぞですのー」
「いいねえ、素朴で。最近洋食ばかり食べてたからね、胃に優しそうだ」
いつもの席に座りながら、ぼんやりとみつやとツキミ、二人の会話を聞く。加賀男はまだ現れていない。
湯気を上げるツキミの料理は、美味しそうだ。甘味を食べたとはいえ今日はよく歩いた。腹もまだ空いている。
「ツキミちゃん、お茶もお願い」
「鬼使いが荒いですの。仕方ないですの」
唇を尖らせるツキミが、文句を言いつつ部屋をあとにした。
「真鶴ちゃん、心ここにあらずって感じだねえ」
「あ、いいえ……そんなことは」
急に話しかけられ、慌てて顔を上げる。
「加賀男と一緒に蛇宮を見て回ったんだって? 怖くなかった?」
「皆さんの姿に驚きもしましたけれど、とりたてて。みつやさんは、よく鬼の花街に行くと天乃さまからお聞きしましたが、お一人で大丈夫なのですか?」
「そりゃあね。ぼくは皆が慕う星帝さまおつきの医者だから。待遇がいいんだよ」
「……天乃さまの加減は、よくないのでしょうか」
今日一日加賀男と共にいたが、咳き込んだりふらついたりする様子は、なかった。みつやは医者だというが、どのような病気を診るためにいるのだろうと疑問に思う。
「平気さ。ぼくが仕事をすることって滅多にないからねえ。念のためにいるだけ」
「もしかして……胸の動悸や、体のほてりという症状が出る病があるのでは」
「何、真鶴ちゃん、心臓が弱いの?」
「いいえ。ただ、天乃さまを見るつど、脈が速くなって。体も熱くなって」
みつやがぽかんと口を開けた。
真鶴は畳みかけるように胸を押さえ、身を乗り出す。
「わたしは病気なのでしょうか? 天乃さまも、その、動悸がすると」
「なるほどねえ……いや、大丈夫。死にはしないから」
机に肘をつき、にやにやとみつやは笑った。
「ですが」
「……二人で盛り上がっているようだな」
パネル扉を開けて入ってきたのは、加賀男だ。仏頂面でみつやを睨んでいる。
「怒らないでくれたまえよ、いちいち。面倒臭いなあ」
「明かりを全部消してやってもいいぞ」
「やめてくれる? ぼくが暗所だめなの、知ってるくせにさ」
顔をしかめるみつや、そして不機嫌そうに席につく加賀男を見比べ、真鶴は首を傾げた。
(天乃さまとみつやさんって、仲が悪いのかしら)
「お茶が入りましたの。星帝さまもいるし、ご飯のお時間ですの!」
疑問を吹き飛ばすように、戻ってきたツキミが湯飲みをそれぞれの前に置いていく。
「いただこう」
「うん、もう腹が空いてどうしようもないや」
「……いただきます」
言って、真鶴は大根の味噌汁を口に含む。多少塩辛いが、疲れていたのかもしれない。汁気が染み渡っていくように感じる。
「美味しいです、ツキミさんのお味噌汁」
「美味いねえ。いやはや、ツキミちゃん、ちゃんと料理作れるんだ」
「えへへ。食べてくれる人がいるのはありがたいですの」
「……俺に対する嫌味か」
「あわわ」
「ツキミちゃんに当たってどうするんだよ、この食材丸かじり男」
「黙れ色情魔」
「あ、あの、喧嘩はいけませんよ?」
真鶴が怖々と注意すると、加賀男とみつやの視線が飛んできた。
「そういうわけではないが」
「いつものことだよ。喧嘩なんてぼくにはできないさ」
肩をすくめるみつやが、一瞬相好を崩す。
「真鶴ちゃん、なんだか僕の母様みたいだねえ」
「そ、そうでしょうか」
「彼女の歳を考えろ。十八だ」
「いい母親になりそうだなあって。加賀男もそう思わない?」
みつやの問いに、加賀男はただ鮭大根を頬張るだけだ。
真鶴はなんだか照れくさくなり、うつむいて五色ご飯を口に運ぶ。
「初々しいねえ、お二人さん。もう一緒に寝た?」
「ツキミ」
「はいなー」
ツキミが笑った直後、食事処全ての明かりが消えた。
「うわぁぁあああ!」
真鶴は驚き、それから響いたみつやの悲鳴に肩を跳ね上げる。がたりと椅子から転がる音がした。
「ごめん、ごめんってば、加賀男!」
「謝るならば、最初からつまらない冗談を言うのはやめておけ」
「明かり、つけますの」
瞬間、再び電灯がつく。硬直していた真鶴が見たのは、床にうずくまり、頭を抱えているみつやの姿だ。
「だ、大丈夫ですか? みつやさん」
「死ぬかと思ったよ……」
大きなため息をつき、机の脚を掴むみつやはあからさまに震えていた。暗所が苦手、というのはどうやら本当のことらしい。
(つまらない、冗談)
みつやのことも気になったが、真鶴には加賀男の言葉の方が気がかりだった。
冗談と済ませていい問題なのだろうか。世継ぎを産むことは、彼にとって必要ではないというのだろうか。
ならば――なぜ自分は、ここにいるのだろう。
「全く……せっかくのご飯が台無しじゃないか」
「そうさせたのは、お前だ」
早々に食事を終えた加賀男が立ち上がった。
「美味かった。みつや、お前はとっとと花街にでもいけ」
「はいはい、わかったよ。食べたら出ていくからさあ」
「先に湯をもらう。……君はゆっくりするといい」
言われて、真鶴は小さな声で「はい」としか答えられなかった。
やはり長たちが認めていない自分では、子を産む器にすらなれないのだ。
(今度は胸が痛い。本当に変だわ、わたしの体)
吐息を漏らし、のろのろと食事の手を進める。
……それからみつやも早めに退席し、残った真鶴はなんとか全ての料理を食べ終えた。
ツキミと後片付けをしたのちは、風呂をもらい、浴衣に着替える。
寝室には相変わらず二つ並んだ布団。どうにも落ち着かずに庭側のふすまを開けると、咲き誇るツバキが見えた。
花の声を聞くために目を閉じる。無理だった。何も聞こえてはこない。
「まだ、だめなのね。どうして花の声は無理なのかしら」
呟いて、一人布団の上に座る。
感情が欠落しているからなのか。それとも長雅花を無断で使ったことを、他の花々が怒っているからなのか。原因がありすぎて、わからない。
「入る」
不意に加賀男の声がした。浴衣姿の彼を見て、真鶴はうつむく。
「……何かあったのか」
「いえ、何も」
「あれに何か言われたのか?」
正面に座る加賀男の声音は、どこか焦燥していた。
かけらほどしかない勇気を振り絞り、真鶴は顔を上げる。
「あなたさまは、その……お世継ぎを作ろうとは思わないのでしょうか」
「世継ぎ?」
加賀男の顔が少し、歪んだ。自嘲と苦笑が交ざった、複雑なおもてだ。
「ない。……今のところは」
「そう……ですか」
言われてしまった、と真鶴は思う。自分をまるごと否定された気持ちになる。
「それでは、わたしはなんのために……」
「……真鶴」
呟きを打ち消すように、加賀男が名を呼び、手を差し出してきた。
「こちらへ」
手を取るかどうか、手のひらに指を重ねるかどうか、真鶴は逡巡する。重たい沈黙が下り、それでも加賀男は手を引っこめることをしない。
根負けだ。うつむいたまま、視界の端に映る褐色の手へ、そっと指を置いた。
そのまま体を抱き締められた。壊れ物を扱うように、ゆるゆると。
髪を梳く指先。たくましい胸板から聞こえる、鼓動。
「眠れ、真鶴。俺の前では何も……何も考えなくていい」
頬を撫でられていくうちに、睡魔が真鶴を襲う。昨日と同じように、抗いがたい催眠が。
(優しさは、毒……)
みつやの言葉が脳裏によぎる。
加賀男が与えてくれる優しさが、今はとても辛い。
それでも眠りに抵抗はできず、真鶴は加賀男の腕の中、ゆっくりと目を閉じた。
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