3-6.優しさは毒にもなりうることを
※ ※ ※
馬車に乗り、真鶴たちは屋敷まで戻ってきた。車体に揺られていた最中、鼻緒の応急処置をしてくれたのは、加賀男だ。
「ありがとうございます、あなたさま。草履を直して下さって」
「……」
今まで以上にゆっくり歩く真鶴が言うも、加賀男は何かを考えている面持ちのままだ。
「あなたさま?」
「ああ。……その草履を見て、みつやは何か言っていなかっただろうか」
「い、いえ、何も。どうしてでしょう」
「まつろわぬものの気配がしたから」
真鶴は一瞬、ぎくりとする。だがすぐに、とりつくろうように口を開いた。
「一反木綿さんたちの喧嘩を見ているときに、町の方に押されたのです。そのせいかと」
「……ならばいいんだ。怪我はしていないか?」
「はい、どこにも怪我はありません。大丈夫です」
緑に包まれた庭を行き、首を横に振る。「うん」と加賀男が唸るような返答をした。
なぜだろう。真鶴はふゆ音のことを、蜘蛛のことを話したくなかった。
意地悪をされていることくらい、わかってはいる。それでも彼を慕い、思っての行為なのだ。釣り合わない自分が悪いだけ。
(せめて力を使えていたなら……)
つらつらと考えているうちに、裏庭の方へと出た。
加賀男の住まいは大きいが、庭は殺風景だった。花が一つもない。真鶴が見た限りではツバキ、タンポポなどの葉は確かにある。
途中でナラなどが並ぶ中に樫の木を見つけ、つい足を止めた。
「どうした」
「樫の木がありましたもので。実家にいたとき、あの木には助けられたのです」
「そう、か。念話を試してみるか?」
「ぜひ……影ヶ原の草木がわたしを受け入れてくれるかは、わかりませんけれど」
「やってみるといい。きっと、大丈夫だ」
「……はい」
腕を組む加賀男に背中を押され、真鶴は草木の方へと寄った。
樫の木は大きい。自宅にあったものよりも、遙かに立派だ。
こくりと唾を飲み、幹に触れて目を閉じる。
「挨拶を欠かして申し訳ありません。わたしは古野羽真鶴。木花咲耶姫の力を使うもの」
ふうわりと、一本縛りにしている髪の毛が揺れた。
「わたしはあなたたちと仲良くなりたいのです。どうかお返事を下さい」
木を撫で、一心に念じる。生温い風が強く吹いた、直後――
『古野羽の娘っ子。よくぞきた。よくぞワシと話した』
「あ……」
頭の中に、しわがれた、楽しそうな声が届いた。
『話は現世の若造から聞いておるぞよ。ヤツデやユズリハも、無事である』
「みんなが無事……よかった」
『我ら草木のもの、汝を歓迎しよう』
「ありがとうございます、樫さま。至らぬ身ですが、どうぞまた、お話しさせて下さい」
『うむ。困ったことがあったなら、いつでも我らに話すとよい』
樫の梢が揺れると同時に、他の草木たちも音を立てる。風があるからではないことを、真鶴はすぐに察した。
「上手くいったようだな」
「はい。皆さん、わたしを受け入れてくれたようです。花との念話はまだできませんけれど」
「毎日練習するといい。積み重ねは肝心だ」
「ですが……ここには花がなくて」
腕をほどいた加賀男が近付いてくる。横に立つと、ツバキのぶ厚い葉に触れた。
「ここいらの花々は、開花を霊気にて抑えてある」
「どうしてですか?」
「……花を見れば、君が長雅花のことなどを思い出すからと考えたから」
加賀男に淡々と告げられ、しかし真鶴はかぶりを振る。
「花に罪はありません。あなたさま、どうか花を咲かせてあげて下さい」
「辛くは、ないか」
「もちろんです。このツバキを、わたしも見てみたいですから」
「わかった。今、霊気を解く」
おごそかに加賀男は手を合わせたのち、二度、柏手を打った。
「影に住まう花、夜ツバキよ。いましめを今、ここに解く。星帝、天乃加賀男の名において」
告げた途端だ。ツバキの葉っぱから黄金の煙が立ちのぼる。
すると一斉につぼみがつき、金色の花糸と紅の花弁が鮮やかな花を咲かせた。
庭中に広がり、緑の中へ彩りを添えたツバキは月に照らされ、煌々としている。
「とても綺麗ですね」
「そうだな。花はずっと美しい」
しみじみとした口調だった。
真鶴が横を見ると、ツバキの花弁に手を触れる加賀男は目を細め、優しいおもてをしている。
今日は、特段穏やかな加賀男の顔を見ることができた。ときおり不機嫌な面持ちにもなるが、彼には柔らかい表情が似合う、と思う。
「ありがとうございます。これで力を使う練習ができます」
「ああ。……そろそろ屋敷に入ろう。暮れ六つの鐘も鳴る頃だ」
「もうそんな時間なのですね。夕餉の準備を、すぐに」
「今日は出かけて疲れただろう。夕食はツキミに任せておくといい」
「わかりました。でも、野菜の丸かじりはだめですよ?」
「……そうする」
子どもじみたように、加賀男はうなずいた。
裏庭から表の玄関へと回る。気配を察したのか、玄関の戸を開けたのはツキミだ。
「お帰りなさいですの、星帝さま。ひいさま」
「今帰った」
「ただいま戻りました、ツキミさん。お掃除などやらせてしまってごめんなさい」
「いーえ。お夕飯、頑張って作りましたの。食べてやってほしいですの」
得意げに胸を張ったツキミが、「あっ」と声を上げた。
「そういや、みつやさんがきてますの」
「追い出しても構わんが」
「夕飯を食べるまでは帰らない、って言ってますの」
加賀男のため息が大きい。渋々という様子で、無言のまま中に入っていく。真鶴もそれにならい、静かに扉を閉めた。
「やあやあ、お二人さん。さっきぶりだねえ」
洋館側の廊下を歩いていた際、一室から顔を覗かせたのは、みつやだ。
その部屋はどうやら、客室兼書庫になっているらしい。ジャケットを脱ぎ、シャツ姿になった彼は、まるで我が物顔で真鶴たちを出迎える。
「お前を呼んだ覚えはない」
「あれ、まだ怒ってんの? 大丈夫だって。食事したらすぐ花街に行くからさあ」
けらけらと笑うみつやに、加賀男は諦めたような嘆息で返答した。
「着替える。準備が整うまで、大人しく本でも読んでいろ」
「はいはいっと」
「……君も、着替えてから食事処へ」
「わかりました。では、またのちほど」
真鶴は頭を下げ、自室の方へと向かう加賀男を見送る。
ツキミもお辞儀をしたのち、食事の準備をするために台所へと走っていった。
「ねえ、真鶴ちゃん。蜘蛛長のことを加賀男に話したかい?」
「え……いいえ。話していません」
真鶴を引き止めたのは、打って変わって真面目なみつやの声音だ。
みつやは真鶴の返事に細い眉をひそめ、天井を見上げた。
「嫌がらせをされてるだろうに。これ以上ひどくなったらどうするのさ」
「……わたしには、ふゆ音さまの行為を咎めることはできません」
「なんで?」
「わたしに力があったなら、きっとあの方も納得して下さったでしょうから」
事実を告げただけの真鶴に対し、みつやは黒髪の頭を指で掻く。
「君は慎ましやかで、優しい。それはね、美徳だと思うんだよね」
「は、はあ」
「でもね、覚えておいて、真鶴ちゃん。優しさは毒にもなりうることを」
「優しさが、毒……?」
「ちょっと考えてみて。自分の頭で。考えること、すなわちそれは人の証である」
混乱する真鶴へ、茶目っ気たっぷりに言い、みつやはまた客室へと戻ってしまった。
(優しさは、毒)
しばらく真鶴は立ち尽くす。
謎かけめいた言葉に対する答えは、すぐに出そうになかった。
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