3-3.当たり前ができるというのは凄いこと
加賀男の言うとおり、町はほとんど、帝都とほとんど代わり映えがなかった。
煉瓦造りの洋館に店蔵造り、出桁造りの家屋。路面電車と馬車まであり、そこら中では青や黄色の提灯、行灯などが飾られている。
(凄いわ)
市井に降りた真鶴は、町の賑やかさに驚いた。同時にそこら中を闊歩するものたちにも。
馬車を操る馭者は、髪のない口元に牙を生やした男たち。かしましくおしゃべりをするのは、髪を振り乱す山姥と困り顔の一つ目小僧――
もちろんツキミのように、人の形をしたものもいた。尻尾と足がキツネのままで歩く遊女。それを取り囲むのは座敷童というものだろうか。
「蛇宮は他四区画に囲まれた中心区。どのまつろわぬものたちも平等な立場にある場所だ」
久留米絣の羽織と着物を見事に着こなしている加賀男は、真鶴の横で平然と語る。
「他の長たちはそれぞれの種族に別れ、いさかいなどの仲裁を務めている。金の配分も担当しているな」
「ここでもお金を使えるのですか? 特別な銭なのでしょうか」
「神社や寺にある賽銭を、基本は使う。そのままではないが。捧げられた賽銭の気を形にし、長たちに配るのも俺の仕事の一つだな」
「そんなことまでできるなんて……大変なお仕事をなさっているのですね」
「いや、星帝にとっては当たり前のことだ」
「それでもご立派だと思います。当たり前ができるというのは、凄いことです」
歩を進める真鶴は、心から賞賛した。
当然に力を扱えることは、どこか羨ましい。妬みにまでは至らないが。
(視線を感じる……)
加賀男と一緒にいるためだろうか。先程から、町のものたちがこちらをちらちらと見ている気がする。
「天乃さま。わたしはこのような格好でよろしかったでしょうか」
真鶴が着ているのは、黒緑の生地に青碧の斜め縞が入った加賀小紋だ。帯は錆浅葱色をしたものを貝の口結びで締めてある。蝶のかんざしは、少し浮いて見えるかもしれない。
「問題ない。君には……着物もかんざしも、よく似合っている」
「ありがとうございます。その、皆さんに見られている、と思ったものですから」
加賀男を見上げながら言えば、彼は露骨に苦笑をこぼした。
「人が珍しいのだろう。気にすることはない」
「そう、でしょうか。てっきり服がおかしいとばかり」
「安心してくれ、そんなことはない。……服と言えば、君は正礼装を持っているか?」
「色留袖でしたら」
なるほど、と呟いて、加賀男が何か考えるように顎へ指を添える。
それから真鶴を見下ろし、静かに告げた。
「寄りたい場所ができた。ついてきてくれるだろうか」
「はい。お供します」
喧噪に満ちた町の中を、二人でゆっくり見て回る。野菜や果物を売る店、魚や肉を取り扱う場所なども教えてもらった。劇場やダンスホールまであるらしい。
あちこちに点在する店の場所を、真鶴はうなずきながら確認していく。この影ヶ原にいる以上、必要なものはここで買わねばならない。特に食材を売る場所は覚えるに越したことはないはずだ。
しばらく繁華街を散策していたとき、不意に加賀男が足を止める。呉服店の前で。
「中に入ろう」
紫紺色ののれんをくぐり、彼が先に店内へと入った。間を置き、真鶴もあとに続く。
「いらっしゃい……おやおや、これは星帝さま」
「急に押しかけてすまない」
真鶴たちの前に現れたのは、二つの尾を持つ猫だった。ただし、二足歩行の。紫色の着物を立派に着てみせる姿は、どこか愛嬌がある。
「こんにちは」
真鶴が軽く頭を下げれば、猫の黄緑色の瞳が興味深そうに光る。
「おやおや。はい、こんにちは。星帝さまが女性を連れてくるなど珍しい。もしかして、彼女が噂の?」
「まあ、そうだ。猫又、彼女に黒留袖を一着あつらえてほしい」
「え? わたしに、でしょうか」
真鶴は目をまたたかせ、小首を傾げた。
黒留袖は一般的に既婚女性の第一礼装だ。裾回りにだけ絵羽模様で柄が入る。
真鶴と加賀男はまだ式も挙げてはおらず、体も重ねていない。それに自分は他の長から、妻として認められてはいないはずだ。
「持っていて損はないだろう。長たちの前に出ることがあれば、黒留袖の方がいい」
「そうなのですか?」
「ああ。金のことは気にしなくて構わない。俺が支払う」
「ですが……」
淡々とした口調で言われ、店の中をそっと見てみた。色とりどりの反物に帯、下駄や草履。どれもが正直、高そうだ。
猫又が、にゃあと一つ高笑いした。
「星帝さま直々に仰ってる。お嬢さん、ここはばーんと買ってもらいなさいな」
「は、はあ」
「猫又、お前の見立てならいいものができるだろう。一式頼んだ」
「はいよ、任せて下さいな。ささ、お嬢さん、こっちにどうぞ」
「あの、あの」
加賀男はとっくに、店の中で腰かけている。困る真鶴を見てか、なぜか、彼は穏やかに微笑んだ。
とくり、とまた真鶴の心臓が脈を打つ。
(息切れをしたのかしら)
慌てておもてを下に向け、柔らかい視線から逃げた。鼓動は収まらず、無表情のまま胸に手をやる。脈はやはり、早い。
「それじゃあこっちで選びましょうか。ね、お嬢さん」
「……わかりました」
「おぉい! 誰か、星帝さまにお茶を出してやっておくれ」
結局、真鶴は押し切られるように、猫又と着物を選ぶことにした。
途中で加賀男が柄の確認をする。あれこれとしているうちに、大体、真鶴は一刻ほど店に居座ってしまった。
必要なこととはいえ、彼にここまでしてもらうのが申し訳ない。お飾りの妻という立場だから、余計にそう感じる。
それでもなぜか顔はほてり、動悸はやむことを知らなかった。
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