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館花巣立1/1

とある研究者視点のお話になります。

東京都近郊にある国営公園は、平日にも関わらず多くの家族連れで賑わっていた。

四季折々の植物が楽しめ、かつ入園料も他の国営公園よりも安いことも相まって、近隣に住まう人々の憩いの地となっていた。

そんな国営公園の地下深くに、その研究所はあった。


日本民族科学研究所。


世間には公にされておらず、政府でも一部の人間しか知らない超法規的機関。

『日本民俗学における都市伝説の解析及び操作と、その公的運用方法の研究』――つまりは日本に存在する様々な都市伝説やそれに類するものが現実に存在すると仮定した概念科学という新しい科学を利用し、解析及び技術的転用を目的とした機関である。


まるで子供が考えたかのような噴飯ものの話だが、これは全て事実である。

研究所の起源は江戸時代にまで遡る。当時の幕府が人々の間でまことしやかに囁かれる『あやかし』という存在を軍事に利用するため特別な研究機関を発足させたことが始まりであった。

そして、その研究機関が実際に『妖』の存在を発見したことが、今日まで研究が続けられている理由であった。


都市伝説は実在する怪異である――これが、研究所に所属する人間における常識であった。

概念科学とはこの研究所に所属する人間が怪異を解き明かし技術利用するためだけに作り上げた新しい科学であり、科学的に認知されてないが人間だけが認知することのできる存在を科学によって再現性のある技術に落とし込めることを目的とした科学である。


そして、この研究所は実際に様々な都市伝説を解き明かし再現性のある科学へと落とし込んできている。

彼女――館花巣立はそんな研究所に所属する研究者の一人であり『セックスしなければ出られない部屋』の技術課を成し遂げ主任研究者となった女性であった。


敵というに撫でつけた艶のない黒髪、目の下に刻まれた色濃い隈、薄汚れ白衣と元の色が白色だと信じられないワイシャツを盛り上げる赤子の頭部ほどに大きい胸部。

見た目は非常に不衛生そうなのに、彼女から異臭が漂ってくることはなかった。

数多の匂いを塗りつぶすように、濃密な紫煙を纏っているからであった。


「ふぅー」


吐き出された煙草の煙が、天井へと昇っていく。

喫煙者の肩身が日に日に狭くなっていく昨今、この研究所もまた全面禁煙となっており、ほんの数年前まではどこでも自由に吸えたのが、今では敷地の端に設置された喫煙所まで向かわなければならなくなってしまった。

移動するには少々面倒くさい位置にあるため、移動するのを億劫に感じた喫煙者が禁煙をしていく中、館花が選択したのは全く別ベクトルのものであった。


彼女は功績をたて主任研究員に上り詰めると、その権限を利用して自身の研究室を喫煙可に変更させたのだ。

日本民族科学研究所において、怪異の研究の全面指揮を任されている主任研究員が持つ権力は非常に強い。自身の研究室だけ例外にするなど、造作もないことであった。


「館花主任、本日の報告書です」


研究室を訪れたのは、一人の男性であった。

きっちりと整えられた黒髪、顔立ちは平凡だがノリのきいたワイシャツと染み一つない白衣が、彼が几帳面で真面目な性格であることを指名していた。


彼――古橋佳賀里が差し出した報告書を受け取ると、館花はざっと目を通した。


「ふむ、半年前から大きな変化はなしか――つまらないな」


「報告書に記載されている通り映像記録もありますが、ご覧になりますか?」


「見るだけ時間の無駄だ。二十歳の女二人が楽しく遊んでいる姿を見たところで足しになるわけがないだろう」


「あるかもしれませんよ。ほら、年若く麗らかな女性二人の生活なんて、異性との出会いが乏しい男性研究員にとっては破格の価値があるでしょうから」


「ふん。ならお前は、研究対象がまぐわっているのをみてオナニーしていたということか」


「生憎ですが、私には妻子がいますので。そういったものは必要ありません」


報告書に記載されているのは、とある二人の女性――セックスしなければ出られない部屋に閉じ込められた上星川蘭麻と日暮カレンに関する記録であった。


「肉体改造にまで手を伸ばしてくれればまだ研究データとしての価値もあったが、報告書通りならそのデータが手に入るのもいつになることやら、といった感じだな。ふむ……やはり研究データを効率良く集めるには条件を設定するだけでなく後から介入する方法を確立する必要があるか。いや、それだと部屋の定義を歪めてしまう」


セックスしなければ出られない部屋を技術利用する上で、数値の変更が不可能な条件に部屋が現実世界と隔絶した空間にしなければならない、というものがある。

要するに、セックスしなければ出られない部屋が機能するためには現実世界とのやり取りが一切発生してはならないというものだ。

部屋を構築する際に条件の全てを設定するのはこれが原因である。


一応、被験者の観察データを入手するために他の怪異を利用して室内の映像記録と音声記録を入手することはできているのだが、条件の追加や変更は現状行えていなかった。


「有意義な情報や数値が得られなかったとしても、定期方向だけはしっかりと行ってくださいね。上にちゃんと提出しなくちゃ、研究費が削られてしまうんですから」


報告書、という言葉に館花は顔を歪めた。


「報告書を書くのは嫌いなんだ。あの時間の無駄でしかない行為、どうにかならないのか……よし、報告書はお前が代わりに書いておいてくれ」


「無理です。研究報告は担当している主任研究員が行う決まりなので。まぁ可能な限りのサポートはしますが、書くのは館花主任自身の力でお願いします」


冷たい部下の言葉を受け、荒々しく短くなった煙草をもみ消す。

すぐさま懐から新しい一本を取り出し、火をつけた。


「面倒くさい……有意義なデータの一つでもあればなんとかなるのだが」


「上手く書いてくださいね。本当に無駄だと判断されたら、研究費が削られてしまうかもしれないんですから。それに、他の主任研究員にも気を付けてください。少しで研究費を多く得るために、他の主任研究員のあら捜しをしている方もいるんですから」


東雲(しののめ)とか相同あいどうとかだろう。あいつら程度に同行される私ではない」


深く煙を吸う。

苛立ちが煙に包まれ見えなくなり、安らぎが肺一杯に満たされる。


「相変わらず重度のヘビースモーカーですね。健康に良くないですよ」


「私にとっては煙草を吸わないことこそが不健康だよ。煙草の美味しさを知らないなんて、人生の八割は損をしているといっても過言ではないからね」


「だとしたら私は人生の八割を損していることになるのですが……妻と子供がいて充実したプライベートを送っているにも関わらず」


「どれだけ充実していようが関係ないよ。ちなみに、残りの二割は温泉に浸かりながら飲む日本酒の味を知らないことだ」


「つまり私は人生の全てを損しているということになりますね」


「そういうことだな」


「……主任は本当に研究者になってよかったですね。酒と煙草だけで人生が構成されているとか、社会不適合者以外のなにものでもありませんし」


「それはあり得ない話だな。私という存在の根幹は『研究者』であることだ。研究者でない私は私ではないのだから、その想定は無意味だ。そして研究者としてしかいきられない私は、研究に関係のない報告書を書くこともできないということだ」


「結局はそこに結び付けますか。文句をいうのは主任の自由ですが、しっかりと手を動かして報告書を書いてくださいね。そもそも、彼女たちを被検体に決めたのは主任なんですから、最期まで責任をもってやってください」


「おいおい、まるで私が自分の意志で決めたかのように話すのは止めろ。私は日暮カレンに脅されたため致し方なく彼女の要求を呑んだだけなのだから」


日暮カレン――この名前は日本民族科学研究所において、大きな意味を持つ名前であった。

十年前まで研究対象として研究所で生活をしていた人物であり、様々な都市伝説の研究が飛躍的に発展したきっかけとなった少女。


「まさか十年越しに彼女の方から接触してくるとは思わなかった。しかも、研究所の表には出したくない後ろ暗い情報ばかりを携えて。もしあの情報が外部の人間――いや、外部でなくとも研究所の良識派の人間の手に渡ったら、この研究所は良くて二分、最悪の場合は潰れていただろうからね。つまり、私の選択は研究所という国の財産を守るためのものであったということだ。部屋を譲渡するだけで丸く収まったのだから、私が責められるいわれはないし、むしろ褒められてしかるべきだし、したがって報告書なんて書かなくても許されるというわけだ」


「許されません。どういう経緯があろうと部屋を稼働させた――つまりは研究所の予算を使用したんですから、報告書は必須です。そもそも、その日暮何某がどういう人間なのかは分かりませんが、館花主任の権力と人脈があれば情報ごとその存在を握り潰せたのではないですか?」


「日暮カレンを? それは無理な話だ。私の持つあらゆる権力と人脈を用いたところで、彼女が持っていた情報の全てを握り潰すことは不可能だよ」


「……何者なんですか、その日暮カレンという名の少女は」


「そうか、君が研究所に入ったのはちょうど彼女が研究所から出ていったときだったか」


短くなった煙草を灰皿で押しつぶし、肺一杯の紫煙を吐き出す。

視界を遮る煙の幕に映るのは、十年前の過去であった。


「日暮カレン――六種類の感覚が結びついた特異な共感覚を持つ少女であり、一定条件かで提示された問題に対して僅か数秒で答えを提示する異常な才能を持った少女だ。君は十年前の研究ファイル『一一〇〇一一』を閲覧したことはあるか?」


「いえ、ないです」


「そうか。なら今度時間を取って閲覧しておくといい。それこそが日暮カレンという特異な存在に関して行われた研究であり、日本民族科学研究所の研究を数段階先へと押し上げた研究だ。いい刺激になるだろう」


日暮カレンという少女が研究所にもたらした衝撃は凄まじいものであった。十年前、実際に彼女の研究に立ち会った館花は昨日のことのように思い出せる。


「特異な感覚を失ったから研究所も彼女の存在を手放したのだが……まさか、全てが演技で未だに感覚を失っていなかったとは思わなかった。彼女が感覚を失っていない以上、私には抵抗するすべはない。なぜなら、彼女が接触した時点で私は彼女の望む選択をする状況へと追いやられていたからだ」


「……すみません、主任の言っている意味が理解できません」


古橋がほんの少し眉根を寄せているが、こればかりは仕方ない。

日暮カレンという存在が持つ異常な感覚を知らないと、理解できないからだ。

そして巣立には、それを一から懇切丁寧に説明してあげる義理もつもりもない。


「別に理解できないことを気にする必要はない。日暮カレンは今セックスしなければ出られない部屋にいる以上、彼女から情報が洩れる可能性もないのだから、これ以上気にかける必要もない。今最も大きな問題は、この報告書をどうまとめるのかということだけだ。全く……ここ半年遊んでばかりで全く有意義なデータがないとか、笑えない話だ」


「日暮カレンと上星川蘭麻の観察は終了しますか?」


「そうしたいところだが、できれば肉体改造を行う瞬間は観察したい」


「では、観察は継続ということでよろしいでしょうか。その分、報告書を提出する機会も増加しますが」


「……………………ちょっと考えてもいいか?」


「構いません。もしよければ、コーヒーでも淹れましょうか?」


「頼む。角砂糖は四つ入れてくれ」


研究室内に設置されているハンドドリップの元へ向かう古橋の背を横目に、巣立は懐から三本目の煙草を取り出した。


――結局、観察を継続することを選択して更なる報告書を書く羽目になり、ヘビースモーカーである巣立の煙草の本数は加速度的に増えていくのであった。


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