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本編3/5

セックスしなければ出られない部屋に閉じ込められてから、早くも一週間が経過していた。


人間に備わっている適応能力は素晴らしく、私とカレンはこの部屋での生活に馴れてしまった。

この広いとは言い難い部屋で一緒に暮らすうえでの問題点があるとすれば、パーソナルスペースに常に他人がいることと暇つぶしの道具がどうしても必要となることだが、その辺りは私たちにとって何の問題にもならなかった。


常日頃から互いの家を行き来して寝泊りをしている私とカレンにとって、相手が自分のパーソナルスペース内にいることはいつもと同じことであるため、ストレスは一切ない。


また、娯楽に関してもやりくりをして浮かしたポイントでジグソーパズルなどのなるべく時間のかかる娯楽を交換することで凌いでいた。

全体的に質素な生活となっているが、それでも二人で生活するには十分な環境であった。

前進していないが後進もしていない、それが現状であった。


それは、私の問題においても同じであった。

一週間が経過した今も、カレンに対する『答え』は見つかっていない。

時間だけはたっぷりとあるため考える時間も多いのだが、考えれば考えるほどドツボにハマるようで、初日にカレンに心情を告げた時から一歩も前に進んでいなかった。


セックスしなければ出られない部屋を出るためには『肉体改造』を交換する必要があり、肉体改造を交換するには大量のポイントを入手する必要がある。そして大量のポイントを入手するためには性行為を行わなければならないが、私がそれに待ったをかけている。


全ての物事が前進も後進もしていないのは、偏に私のせいであった。

だが、これに関しては曖昧に濁すわけにも適当に答えを出すわけにもいかないのだ。

状況は停滞しているが、日常に変化がなかったわけではない。


毎日行う握手や恋人繋ぎの時にカレンの体温や皮膚の感触をいつもよりも強く意識するようになったし、ちょっとしたカレンの仕草に目が奪われることも増えた。

一瞬だけ行えばいい握手や恋人繋ぎの時間は日に日に伸びていき、カレンと身体的接触をしている時間が増加した。


カレンに対する答えを出すと決めたことで、私の中で何かが変化したのか――はたまた、見えていなかった何かしらの枷が外れたのか。


確かなのは、私がカレンの体温を好ましいと思い、離れたくないと思っていることであった。


「……カレンの体温、とっても安心するね」


「わ、私も蘭麻の体温でとても安心します。……ち、ちょっと緊張もしますが」


私たちはベッドに寝ころび、抱き合っていた。

性的な行為を行った後――ではない。どちらも衣服はしっかりと身に着けている。

親友としての範囲で許される行為の中で最もポイントがもらえるもの――ハグである。


ハグは最大を三十秒として抱き合った時間分ポイントを得ることができる行為であり、このハグを行うだけで朝昼晩のご飯を入手できるほどに多くのポイントを手に入れることができる。現在、私たちの生活が破綻せず、さらには娯楽品を交換することができているのは、この偏にハグのおかげであった。


こうして互いの身体を抱き合うことは、この部屋に閉じ込められる以前から何度も行っていた。嬉しいときに喜び合ったり、悲しいときに慰めたりする際に。

しかし、感情に身を任せた行為と畏まって行う行為には当然ながら差があり、当初は三十秒間のハグを行うだけで、二人で顔を赤くしていた。


だが、毎日行うにつれ段々と慣れていき、さらにはお互いの体温を強く感じることで得られる安心感に依存するようになっていき、今ではポイント関係なくこうしてだらりとしながら抱き合うようになっていた。昨日など、このまま二人で寝てしまった。


それだけ、カレンの体温は私にとって安心できるものなのだ。


「……今日はこれからどうしようかぁ」


「そ、そうですね……今日のポイントは全て入手しましたし、交換してあるけどまだ終わっていないジグソーパズルを完成させますか?」


「それか、何か別の娯楽を交換できないか確認してみるのもいいかもね」


「ぽ、ポイントの貯蓄は大丈夫なんですか?」


「一応最低限の安全マージンは確保しているから大丈夫。といっても、本当に最低限だからできればなるべく残しておきたいっていうのが本音かな。長期間使える、それこそゲーム機とかと交換するのなら思い切って使っちゃっていいかもしれないけど」


「で、ですが、使ってしまうといざという時怖くありませんか? 今は大丈夫ですが、今後どちらかが風邪をひいたときに、く、薬をすぐに手に入れることができないのは困りますし」


「そうだねぇ。とりあえず、今使えるポイントで何が交換できるのか見てみるのが一番かな。大量にありすぎて、まだ全然目を通しきれてないし」


「ま、まさか海外の飲食物や娯楽品まで含んでいるとは思いませんでしたね」


「日本語訳してくれているのはありがたいんだけど、おかげで件数が馬鹿みたいなことになっているし。ソート機能で何とか使えているけど、まぁ不便だよね」

セックスしなければ出られない部屋の体験談が語られているのは主に日本である。しかし、インターネットという世界中の人間が利用する海の中を漂っていれば、外国の人間でも目にするだろう。そして、それがセックスしなければ出られない部屋とは形を変えて広がることもあるだろう。だからこそ、日本語だけではなく英語や仏語で書かれているのだろう。


「……あ、あの、蘭麻」


「なに?」


「も、もしなんですけど……と、特にやることがないのなら、もう少しこうやってしていませんか?」


「別に構わないけど……もう一時間ぐらいはこうしてダラダラしてるけど、いいの?」


「も、もちろんですよ。だ、だって――大好きな人と抱き合っていられるんですから、こんなに幸せなことは他にないです」


直球な彼女の言葉に、蘭麻は息を呑む。


自分で口にして恥ずかしかったのか、触れ合っているカレンの体温が高まっていく。

その熱に触発され、私も自分の頬が赤みを帯びていくのを感じた。


沈黙がおりる。


居心地の良いものではなく、まるで坂を転げ落ちる一歩手前のような危険な雰囲気に包まれる。

呼吸をしているのに、息苦しくなる。

鼻孔を指すカレンの匂いが鮮明になり、脳髄に刺さる。


ほんの一瞬で、私の五感は先程よりも色濃く日暮カレンの存在を感じ取っていた。

アイスクリームが蕩けてしまいそうなほどの熱を、酩酊しそうなほどに濃い匂いを、鼓膜を緩やかに撫でる呼吸音を、艶やかな黒髪から除く真っ赤なに染まった耳を。


――可愛いな。


この時私が感じていたのは、混じり気のない愛しさであった。

日暮カレンが、私の腕に抱かれる少女が、ただただ愛おしかった。


「……カレン、こっち向いて」


「…………」


腕の中で縮こまる彼女がどんな表情をしているのかどうしても目にしたくて呼びかける。

小動物が巣穴から辺りを伺うように、そろりそろりとカレンが面を上げた。

吐息がかかるほどの距離で目にした真っ赤に染まった頬は熟れた林檎のようで、食べてしまいたいほどであった。


黒真珠のように美しい潤んだ瞳、縁取る細く長いまつ毛、柳の葉のような眉、艶めかしい濡れた唇――その一つ一つに目を奪われる。


脳裏の片隅で警鐘が鳴っていた。

引き返さなければ不味いと、あと一歩でも踏み込んでしまえば守るべき一線を踏み越えてしまうと。そんな理性の叫びに私は耳を傾けようとし――真っ白な歯の隙間から除いた紅色の舌が唇を舐めるのを目にした瞬間、吹き飛んでしまった。


蜜に吸い寄せられる蜂のように。

気が付けば、私は彼女の唇を奪ってしまっていた。


ドロドロに溶けそうなほどに熱く柔らかく、どんな砂糖菓子よりも甘い。

唇の隙間を通して彼女の吐息を感じ、全身の毛が踊り狂うほど。

幸福感と快楽が入り混じった脳内魔薬が、理性なんてちっぽけなダムを崩壊させる。


「――!?」


びくりと震えた身体が、カレンの驚きを物語っていた。

彼女の肩を掴む。掌を介して伝わる熱と震え――それと、期待。


このまま押し倒して行為に及ぼうとしたとして、彼女は決して拒絶することはしない。

なら、このまま転がるように突き進んでもいいじゃないか。


唇を合わせるだけでこれだけ幸せで気持ちよくなれるのなら、実際に身体を重ね合わせたらどれだけ――

今の行為のその先をほんの少しばかり想像したところで、脳味噌がオーバーヒートする。


初めて味わう多量の感情と熱量に、限界に達したのだ。

そこで、ようやく私は少しばかりの正気を取り戻した。

慌てて彼女の唇を離す。


透明な液体が、二人の唇に橋をかけ、途切れる。


「ご、ごめん! カレンの顔を見てたらつい……」


「い、いえ……私は大丈夫ですから……」


顔が解けるのではないかと思うほどに、熱い。

本来なら目を合わせて謝罪すべきなのに、ほんの少しもカレンの顔を見ることができない。


私は、自分自身の行為に失望した。

答えを出してからではないと先に進むことはできないと告げておきながら、一時の情に流されて一線を容易く踏み越えてしまった。


これはカレンに対する酷い裏切りだ。

彼女にはその場に留めることを強要しておきながら、自分は好き勝手に一線を踏み越えるなど、畜生の所業であった。


もっと自分は理性的な人間だと思っていた。

一時の感情にも、周囲の環境にも流されることのない人間だと、そう自認していた。

けれど違った。


体温と、匂いと、声で、容易に流されてしまった――カレンだからこそ、流されてしまった。

それはもう一つの答えのような気がしたが、理性が瓦礫と化している今の脳ではそれを上手く言語化することはできなかった。言語化できない以上、それはまだ答えに至っていない。

これ以上転げ落ちないようにと、理性の瓦礫で己を押し止める。


息を吸って、吐く。


私とカレンを取り巻く背徳的で淫靡な雰囲気を拭い去ろうと、あからさまに話題を変える。


「そ、そうだ! 確かポイントの交換表にかなり巨大なジグソーパズルがあったはずだから、それを交換してやろうか! 多分二、三日はかかるだろうから、結構な暇つぶしになるはずだ!」


「そ、そうですね! そうしましょう!」


カレンも言及することなく、話を合わせてくれた。

聞きたいことも、問いただしたいことも、答えてほしいことも、山ほどあるだろう。

なのに、私の焦りと後悔にそれを押し殺したうえで話を合わせてくれていることに感謝し、それを利用させてもらう。


卑怯だと言われようと、根性なしだと罵られようと、今の私にはそうするしかなかった。


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