本編2/5
一通りの調査を終えた私たちは、ベッドの置かれていた部屋に戻る。
他に座るところもないのでベッドに並んで腰を下ろした。
肩が触れ合いそうで触れない、そんな距離。ほのかにカレンの体温を感じる。
お互いの家を良く行き来しているし、泊って一緒に寝ることもざらにあるのに、こうして改まった場所で並んでベッドに座ると、気恥ずかしさにも似た居心地の悪さを覚える。
ベッドがそういう行為をすることを目的として置かれているということも加味すれば、なおさらだ。
カレンの頬も仄かに赤らんでいた。
軽く咳払いをして雰囲気を払拭する。
「さて、とりあえず調べたことを報告しようか」
「そ、そうですね。と、と言っても私は先程の部屋とお手洗いとお風呂だけなので、これ以上お伝えすることはないのですが……」
「それじゃあ、後は私の報告か。私はとりあえずその扉を調べてみたんだけど、とりあえず力づくで開けることは不可能かな。二人でベッドを担いで突撃しても、まず無理そう。それで記されていた解放条件なんだけど――『受精』だってさ」
「じ、受精、ですか?」
「そう。要するに私かカレンのどちらかが妊娠しなくちゃいけないみたい」
「け、けどそれって……不可能じゃありませんか、どうあっても」
「それがそうでもないみたい。さっきのポイント表覚えている? あそこに解決策となる景品が書いてあった」
ポイント表の最下部、記載されている中で最も必要ポイント数が多い景品――肉体改造。
身体を自由に作り替えることができるこの景品があれば、達成はそう難しくない。
「どちらかが男になる――まではいかなくても男性器の機能だけ得られれば、達成できるはず。問題があるとすれば、必要なポイント数だけど」
「ど、どのくらいのポイントが必要になるんですか?」
「えっとそうだな……カレン、手を出して」
「は、はい」
差し出されたカレンの手を握る。
私よりもほんの少し大きな掌は少し汗ばんでいてしっとりしていた。しかしそこに不快感はない。むしろ、彼女の体温が直接皮膚から染みわたるのに、自分から手を握っておきながらほんの少し心臓が跳ねた。
「あ、あのあのあのあのあの――」
「この握手で手に入るポイントが大体一ポイント――最低ポイントだね。で、こうやって恋人繋ぎで手に入るポイントが三ポイント」
「~~~~!?」
指を絡ませつと、カレンの顔が真っ赤に染まった。
湯気が出るのではないかと思えるほど赤く染まったその顔に、嗜虐心が刺激される。
軽く指を蠢かすと電気でも流されているかのようにカレンの身体がビクビクと揺れた。
「他にも行為が過激になればなるほどもらえるポイントは大きくなるんだけど――」
掌に意識が持っていかれ話が聞こえていない様子なので、カレンの手を離す。
名残惜しそうに離れる私の手を見つめていた彼女であったが、名前を呼ぶとこちらへと意識が戻ってくる。
「――肉体改造に必要なポイントは、今の握手と恋人繋ぎだけを毎日やったとして、ざっと二百年ぐらいはかかりそうなポイントかな」
セックスしなければ出られない部屋でもらえるポイントは、行為が性的であればあるほどもらえるポイント量は大きくなる。しかし同時に、一つの行為で得られるポイントは一度きりとなっており、午前零時にリセットされるというルールも存在する。
つまり、握手と恋人繋ぎだけで一日に得られるポイントは四ポイント。
食料品や日用品など、生活必需品といえるものはこの四ポイントで最低限入手できるのだが、それ以上のものを望むとなるとかなり難しい。
性行為をさせることが目的の部屋であるのだから、性行為を行わずに生活することはできない仕組みが作られていて当然と言えば当然なのだが。
「そ、それじゃあ他の色々な行為を行えば――」
「それはそれでちょっと問題があるというか……主に私の心情的になんだけど。とりあえず、その辺りの話をする前に手に入れたポイントで何か食べ物と飲み物を交換しておかない? そろそろお腹空いたし」
―――――
食料品や日用品といった生活必需品を交換するために必要なポイントはかなり低く設定されているうえ、救済なのか必要最低限のものはセットでポイントが設定されていたため、四ポイントでも問題なく交換することができた。
胃袋を満たした後、残った一ポイントで娯楽としてジグソーパズルを一つ交換した。
午前零時で本当にリセットされるのかを確認する必要があるため――リセットされなかった場合死活問題だからである――起きておく必要があるのだが、部屋に閉じ込められる直前まで持っていたスマホが消失していたため、時間を潰すための娯楽が必要だったのだ。
流石にベッドしかない部屋で長時間時間を潰すのは、精神的にかなり厳しい。
幸いだったのは、簡単な娯楽なら残った一ポイントで交換可能であったことと、二十歳の誕生日にカレンとお揃いで購入した腕時計が消失していなかったことか。
長身と単身が、ぴたりと揃って真上を指し示す。
「零時になったか……書かれていた通りなら、これでリセットされているはずだけど」
「と、特に何もありませんね」
「ポイントを手に入れた時も特にアナウンスはなかったから、そういうものなんだろう。とりあえず、手を繋いでみようか」
「は、はい」
差し出されたカレンの手を取り、そこから指を絡める。
日付が変わる前に行っている握手と恋人繋ぎ。リセットされているのならば、これで四ポイントが再び手に入るはずだ。
パソコンに表示されたポイント数を確認すると、四ポイントに増加していた。
「ちゃんとリセットされるみたいだ。とりあえず、これで餓死の心配はなくなったかな」
アプリケーションから得た情報に関しての精査は全て終了した。
ここに記されていること全てに嘘偽りはなく、ここに記されていることがこの部屋における唯一にして絶対のルールだ。行為を行えばポイントを入手することができるが、反対に言えばそれ以外の方法で何かを入手することはできない。
つまり私たちは解放条件である受精を達成するために、真正面から特定の行為に取り組んでポイントを稼ぐ必要がある――しかしこれは、大きな問題であった。
特定の行為とは、すなわち性行為。
過激になればなるほど――それこそ身体を深く重ねる行為であればあるほど、得られるポイントは多い。そして、肉体改造を手に入れられるだけのポイントを入手するには、そういった行為を行うことが不可欠となってくる。
けれど、私とカレンは恋人同士ではない。
同性であることは別にどうでもいいが、そういう関係ではないのに行為に及ぶことを私は容認することはできなかった。
性的な行為を行うのであれば、それにふさわしい関係性となってからでなければならない。
時代遅れなのかもしれないが、それは私が譲ることのできない一線であった。
そして、私とカレンはまだそういう関係ではない。
しかしこれは私個人のエゴであり、この部屋から脱出することよりも優先すべき事柄ではない。なぜなら、ここにいるのは私だけではなくカレンもいるのだから。
「あ、あの蘭麻……な、なにか悩んでいるんですか?」
「ん、ああごめん。ちょっと考え事してた」
「……あ、あの、もし何か悩んでいることがあるなら、相談してくれませんか? わ、私では頼りないかもしれませんが、話を聞くことはできますから」
「……私、そんなに悩んでいるように見えた?」
「は、はい。つ、付き合いは長いので、蘭麻の顔を見れば大体わかります」
「そっかぁ……」
悟られぬよう装っていたにも関わらずあっさりと見透かされてしまった気恥ずかしさに、頬を掻く。
「それっじゃあ、お言葉に甘えて相談させてもらおうかな。私が悩んでいたのはさ、これからのことについてなんだ」
「こ、これからというのは、どうやって脱出するかということですか?」
「脱出手段に関しては肉体改造って見当がついているんだけど、それを手に入れられるだけのポイントを手に入れるには、それなりに深い行為を何度も何度もしなくちゃいけなくてさ、どうしよっかなぁって」
「あ、あの……わ、私なら問題ありません。む、むしろ蘭麻となら全然――」
「ストップ」
頬を赤らめもじもじしながら告げるカレンの言葉を遮る。
――カレンが私に対して友情以上の感情を抱いていることは、何となく分かっていた。
最初に出会った頃――いじめにあっていた彼女を助けた時からそうであったかは分からないが、いつからかカレンが私を見る瞳には消して消えない炎が宿り、その視線には確かな熱があった。
まだ恋愛の機微など分からない中学生の私はそれをただの友愛だと思っていたが高校生になり、大学生へとなるにつれてその熱が友愛ではなく恋慕の情によるものであると自然と理解した。
私はカレンが私に恋心を抱いていると知ったうえで――なにもしなかった。
距離感を変えることも、接し方を変えることもせず、そのままであり続けた。
カレンの恋心を知った上での私の個のふるまいは、最低の部類に入るものだろう。
告白してこず、手を出してこない相手に甘え、親友としての距離感を無言で共用する。
それは彼女の心を踏みにじるのにも等しい行為であった。そして私は、それを理解していながらも選択したのだ。
親友としての関係が――心地よい環境がほんの少しでも綻んでしまうことに恐怖して。
しかし、現状ではそんな自分勝手な感情で曖昧な態度を取り続けることは許されない。
例えカレンに残酷なことを告げることになるのだとしても、明確にしなければならない一線があるのだから。
「カレン。カレンが私のことを好いてくれていることは、何となく分かっているよ。けど、ごめん。私にとってカレンはまだ親友でしかないんだ」
「……そ、そう、ですよね……ご、ごめんなさい。わ、私一人で勝手に舞い上がってしまって。い、嫌ですよね。こんな同性を好きになるような――」
「ま、待って待ってカレン!」
感情を押し殺すことに失敗した震える声を遮る。
青褪めたカレンの顔を流れる涙を指で拭ってあげ、その瞳を正面からしっかりと見つめる。
「分かりづらい言い方をしてごめん。私にとってカレンは親友だけどそれは『今』の話だ。これから先もそうだとは言ってない」
「……え、えっと?」
「……ポイントのことを考えた時、一緒に考えたんだ。カレンとそういう行為をすることに対して私はどう思うのかって。そしたらさ、その、想像することはやっぱり恥ずかしいんだけど。嫌じゃなかったんだ。カレンとそういう行為をすることに、嫌悪感を全く抱かなかったんだ。最初は親友だからかなと思ったんだけど……そういう行為をすることが嫌じゃないのって、親友ってだけじゃないのかもしれないとも思ったんだ」
私にとってカレンは間違いなく親友だ。
中学校で出会ってからこれまでずっと一緒にいる存在で、誰か一人大切な存在を上げろと言われれば迷いなくカレンの名前を挙げるほどに大事な人だ。
カレンが傍にいない人生など考えられないし、カレンがいなかったら私という人間はここに存在していないだろう。
辛いときに傍にいてくれて、悲しいときに励ましてくれて、嬉しいときに一緒に喜んでくれて、楽しいことではしゃいで。
喜怒哀楽も、時間も、空間も、全部カレンと一緒にしてきた。
だからこそ、カレンは私の親友であると断言できる。けど――本当にそれだけなのだろうか。
親友であることは揺るがない。だが、カレンは私にとってそれだけではないような気がする。
雲をつかもうとしているかのような、そんな曖昧で不明瞭な感覚。
けど確かにあるその『何か』を、私は無視することができない。
「だからこれは自分勝手なお願いになるんだけど、私のこの『何か』がしっかりと分かるようになるまで、答えを待ってもらうことはできないかな? そういう行為をして流されたって言い訳をしたくないから、答えが出るまで性的な行為は一切できないし、カレンには凄く迷惑をかけてしまうんだけど……お願いしたい」
これはただの我儘だ。
答えを出すまで待ってほしいというのも、行為で流されたと思いたくないから性的な行為はできないというのも、カレンのことなど一切無視した自分勝手なものだ。
だけど、この一線を適当に踏み越えてしまうことだけは、どうしてもできなかった。
親友で、誰よりも大切な存在であるカレンに関する事柄を、曖昧なままにしておきたくない。
例えこの部屋から脱出するのが遅くなってしまうとしても、期間が延びれば伸びるほどにカレンに苦しい思いをさせることになったとしても、これだけは曲げることはできない。
私は、頭を下げた。
「ら、蘭麻、蘭麻。か、顔を上げてください」
促され顔を上げる。カレンは、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「あ、頭を下げなくてもいいです。ら、蘭麻がそこまで真剣に私のことを考えてくれていることが、もう嬉しいんですから。ら、蘭麻が答えを出すまで、いくらでも待ちますから。な、長くなってしまっても構いません。だ、だって――その分だけ、欄間は私のことをずっと考えてくれるんですから。……というのは、ちょっと重い発言ですかね?」
「別に重くないよ。むしろ、そういってくれて嬉しい」
思うだけで喜んでくれる――カレンがどれほど私を想っているか、それだけでわかる。
彼女の想いに報いるためにも、私は自分の感情と向き合い答えを出さなくてはならない。