本編1/5
セックスしなければ出られない部屋。
それは二〇〇〇年代初頭に突如として囁かれるようになった都市伝説である。
起源がいつどこかは一切不明。しかし爆発的な勢いで広まったこの都市伝説を知らない者は今やほとんどいない。
この都市伝説には、他の都市伝説とは異なる大きな特徴が一つ存在した。
それは『体験談の異常な多さ』であった。
姿を消した男女が数日後、女性側が妊娠し臨月を迎えた状態で発見された。険悪な仲であった男女が一日失踪した後、突如として恋人同士になっていた。などなど――
一時間もあれば百近い体験談を発見できるほどに、セックスしなければ出られない部屋に実際に閉じ込められたと証言している人間は多かった。
しかし、これらの体験談には様々な共通項はあれど明確な証拠――例えばセックスしなければ出られない部屋の写真などは存在しなかった。
故に、この都市伝説が体験談含め、ただの悪戯だという者もいれば、体験談の詳細から間違いなく存在するという者もいた。
この都市伝説が語られる際、必ず含まれる共通点が三つあった。
一つ、二人の人間が突如ベッドが置かれている白色で統一された部屋に閉じ込められる。
二つ、唯一の扉は施錠されており、解放するための条件として性行為もしくは何かしらの性的な事柄を行う必要がある。
三つ、外部と連絡を取ることができず、閉じ込められた二名は解放条件を達成するまで部屋を出ることはできない。
これら三つの項目を体験談は必ず含んでおり、逆説的にこの三つの項目が該当した場合、セックスしなければ出られない部屋に閉じ込められているのだという証明になる。
そして今、私の目の前に広がっている光景と状況は、それらに該当していた。
――染み一つない白色の壁に囲まれた部屋と、中央に置かれたダブルサイズのベッド。
――施錠されており、まだ内容は確認できていないが解放条件が記された扉。
――ほんの一瞬前まで所持していたスマホが消失し、外部と連絡を取ることは不可能。
「…………」
夢でも見ているのかと抓った頬は痛く、熱を持っている。
痛覚を通じて脳に送られてくる信号が、私が現実にいるのだと無慈悲に証明する。
私は――セックスしなければ出られない部屋に閉じ込められたのだ。
「いやいやいや……飲み込めない飲み込めない」
脳裏を過るのは、ほんの数分前の光景。
駅前にオープンしたショッピングモールを散策した帰り道。夕暮れに染まる街道を歩きながら晩御飯は何にしようかと話していたら、突如としてこの部屋に放り込まれた。
事象に連続性は一切なく、まるで漫画のページをめくったら突然主要人物が死亡していたかのような唐突さだった。まだ、自分が夢遊病になって勝手に部屋に入ったと言われた方が信用できるほどだ。
しかし、どれだけ受け入れがたくとも、私の置かれた状況は逃れようのない現実であった。
「こ、ここはどこですか?」
鼓膜を叩いた、聞きなれた少し高く細い声に現実逃避しかかっていた意識が戻ってくる。
私の隣には、頭一つ分ほど背の高い女性がいた。
目にかかるほどに長い前髪と腰までとどく後ろ髪の、艶やかな黒髪。
黒真珠のように艶やかな瞳に、はかなげな面立ち。
猫背気味ではあっても圧倒的な存在感を誇っている胸部。
中学生からずっと一緒にいる一番の親友、日暮カレンであった。
熱を感じるほど近くにいるカレン。突如として知らない空間に放り込まれたことを怖がっているのだろう。彼女の体温に、一人で現実逃避している場合ではないと思考を切り替える。
この場にいるのは、私一人ではないのだから。
「カレン……セックスしなければ出られない部屋って知っている?」
「し、知ってはいますけど……ね、ネットに色々と体験談もありますから」
「今私たちがいるこの場所、あの話に出てくるのと一緒だと思わない?
「そ、そういわれてみると……で、でも待ってください。あ、あれって本当に存在するんですか? わ、私、ただの与太話の類だと思っていたんですが……」
「私もそう思っていたよ。今も、そうであってほしいと思っている。ちなみにだけど、私たちはついさっきまで駅前の大通りを歩いていたのは間違いないよね?」
「は、はい。新しくできたショッピングモールに行った帰り道でした。け、けど、ほんの一瞬瞬きしたらこの部屋にいて……」
「私と一緒か。なら、誘拐されたとかそういう線もなさそうだ」
唐突に部屋に閉じ込められるという説明不能な奇怪な状況。しかし、それも都市伝説という非科学的なものに巻き込まれたと考えれば説明がつく。
いや、説明できる理屈がないのだから説明をつける必要がないというべきだろうか。
私とカレンはセックスしなければ出られない部屋に閉じ込められた――これを確定事項として、これから行動していくべきだろう。
セックスしなければ出られない部屋という都市伝説は有名ではあるが、そのディテールは話ごとに異なる。長期間生存可能な環境が整っている場合もあれば、水も食料もなくセックスしなければ死亡してしまいかねない過酷な環境の場合もある。
故に、まず行わなければならないのは、私たちが閉じ込められた部屋には「なにがあるのか」であった。
「木製のくせに重厚感が凄いなこの扉……ハンマーとかあっても壊せなさそう」
部屋にあるものを確認することに決め、別々に行動を開始する。
私はまず、部屋の内外を隔てている扉を調べることにした。
真っ白な木製の扉。取っ手はなく、どうやって開閉すればいいのか分からない代物。
ペンキを塗ったばかりのように汚れ一つなく、質感を確かめるために触れた私の手形が薄っすらと残っている。
扉には十センチ四方のプレートがはめ込まれており、ゴシック体で『解放条件:受精』と記されていた。
「つまりこの扉を開けるには、私たちのどちらかが受精しなくちゃいけないってことか……人体の構造上不可能じゃない、それは」
当たり前の話だが、人間が子供をつくるのに必要なのは精子と卵子だ。
しかし私とカレンはどちらも女性であり、当然ながら持っているのは卵子の方のみ。
材料がこの場に存在しないのだから、どんな手を用いてもこの解放条件を突破できない。
「脱出不可能……そんな話、見たことはない気がするけど」
ネットで出回っている体験談の全てに目を通したわけではないが、セックスしなければ出られない部屋の話において解放条件が最初から達成不可能であったものは知る限りない。
部屋に閉じ込められたのちに勃起不全などで達成不可能になってしまったものはあるが、基本的にそのペアで達成できる解放条件が設定されていた。
「つまり、私たちはここから受精を達成できる何かが発生するってこと? いや、それ以前に同性でセックスしなければ出られない部屋に閉じ込められた事例を見たことがないから、何かエラーでも発生しているって考えた方がいいのか?」
エラーなどまるで人為的なものに対する言葉だが。もしこれが事実だとしたら相当に不味い話である。
閉じ込められた瞬間に終わっているなど、そんなのクソゲー以外の何物でもない。
「ひとまずこの話は置いておこう。先に他に何かないかを調べて――」
「――ら、蘭麻、ちょっとこっちへ来てもらってもいいですか?」
「なに――て、あれ?」
「あ、こっちです」
呼ばれて――蘭麻は私の名前だ――振り返ったところで誰もおらず首を傾げていると、部屋の隅からひょっこりとカレンが顔をのぞかせた。ベッドが置かれているこの場所しかないと思っていたが、どうやら奥に別の部屋があるようであった。
奥に続いていたのは、六畳ほどの部屋であった。
真っ白い壁は変わらないが、室内には幾つかものが置かれていた。
木製のデスクワークに、安物そうなパイプ椅子。それとデスクワークの上に――
「――ノートパソコン?」
「は、はい。ネットに繋がっていないので外部と連絡を取ることはできないのですが……ひ、一つ見たことのないアプリケーションがはいっているみたいなんです」
パソコンのデスクトップにはアプリケーションが一つだけあった。
起動すると、エクセルで適当に作ったような表が表示された。
「何これ……ポイント表、なのか? しかも二つある」
スクロールしつつざっと内容を確認したところ、この表はどうやらセックスしなければ出られない部屋において『特定の行為』を行うことで得られる『ポイント』をまとめた表と、その『ポイント』を対価に購入することができる『景品』をまとめた表であった。
「これ……この部屋で生きていくための生命線になるものだ」
記されていた内容を纏めると、こうだ。
このセックスしなければ出られない部屋において、『特定の行為』を行うことで『ポイント』を入手することができる。このポイントこそが、この部屋における通貨となる。
そしてこの『ポイント』を支払うことで様々な『景品』を入手することができる。
食料品や飲料、日用雑貨や娯楽品、さらには施設の拡張まで。
あまりにも大量過ぎて全てに目を通しきれていないが、ありとあらゆるものをこのポイントで入手することができるようであった。
そして――
「――なるほど、解放条件の達成もこれを利用しろってことか」
セックスしなければ出られない部屋で生きていくためにはポイントを入手するしかない。そしてそのポイントを入手するためにはポイント表に記載された特定の行為――性的な要素を多分に含んだ行為をしなくてはならない。
結果、自動的に閉じ込められた二人は解放条件を達成するに至る。
良くできたシステムだ。
「パソコンにあるのはこれくらいか」
「あ、あと反対側にお手洗いとお風呂がありました。ゆ、ユニットバスでしたけど」
「そこは最初からついてるのか。まぁ、ありがたいことこの上ないけど」
トイレットペーパーや石鹸も置かれていたら最高なのだが、そこはどうなのだろうか。