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吸血鬼の夜神さんに血を吸われると彼女のことが好きになってしまうそうなのだが、俺はそれでも幼馴染への恋心を貫きます

作者: 墨江夢

 俺・西條賢(さいじょうけん)は生まれて初めて、夜中に外に出た。

 恋人と落ち合う為だとか、そういった特別な理由はない。単に小腹が減ったからコンビニにお菓子を買いに外に出た。それだけの理由だ。


 知らなかった。昼間はあれだけ賑わっている交差点も、深夜になると人がいなくなるなんて。

 知らなかった。車の走行音や通行人の喋り声で騒々しい交差点も、深夜になると静寂に包まれるなんて。

 知らなかった。特筆することのないどこにでもあるような交差点も――深夜になると吸血鬼が現れるなんて。


 交差点の反対側に立つ、黒いマントを羽織った少女。俺はその少女を知っていた。

 同じクラスの、夜神月詠(やがみつくよ)。校内随一の美少女と言われる女子生徒だ。

 大して話したことがないというのに俺が彼女のことを知っているのは、なにも美人だからではない。


 いや、勿論それも理由の一つではあるんだけど、夜神さんには美貌すら霞んでしまうくらい衝撃的な噂があった。


 夜神月詠は、吸血鬼である。


 噂の発端は、夜神さんが鏡に映らなかったことみたいなのだが、当初は「見間違いだろう」ということで落ち着いていた。

 しかしそれ以降も「夜神さんには影がない」や「夜神はニンニクが食べられない」といった、彼女を吸血鬼だと証明付けるような噂が流れ始め、その結果夜神さんが吸血鬼だというのが全校生徒の共通認識になったのだ。


 噂の真偽なんて、どうでも良い。噂好きの高校生にとって重要なのは、面白いかどうかだ。


 俺はというと、その噂を勿論鵜呑みにしていなかったわけだが……目の前に現れたさも吸血鬼丸出しの彼女を見ると、意識せざるを得なかった。


 信号が青に変わり、俺は交差点を渡り出す。

 ほとんど同時に夜神さんも歩き出し、互いに交錯するタイミングで、彼女は口を開いた。


「君、美味しそうだね」


 俺は思わず立ち止まり、振り返る。

 聞き間違いかと思ったが、どうやらそんなことはなく。夜神さんは俺を見ながら、舌なめずりをした。


 俺はゴクンと息を飲み、そして数歩後ずさる。

 

「夜神さん……夜神さんはやっぱり、吸血鬼だったのか?」

「何だ、私の噂を知っていたのかい?」

「噂だけは、な。でも夜神さん自身認めていなかったし、所詮噂なんだと思っていたんだが……」

「私は嘘をつくのが嫌いだからね。確かに認めてはいない。でも、否定してもいない」


 何人かの生徒が、夜神さんに直接「吸血鬼なの?」と尋ねたことがあった。問われた夜神さんは、決まって「さあ、どうだろうね」とはぐらかすだけで、肯定も否定もしていない。

 みんなはどっちつかずの夜神さんの答えを勝手に否定だと捉えていたが……全て受けての早とちりだったというわけか。

 まぁ吸血鬼なんて実際にいるとは思わないし、仕方のないことだけど。


「美味しそうと言っていたが、まさか俺を食べるつもりか? こんなところで俺を平らげたら、辺りに血やら内臓やらが飛び散って、交差点が事件現場になるぞ」

「私に人を食べる趣味はないよ。なにせ私は吸血鬼だ。文字通り、血を吸うことを趣きとしている」


 月明かりが反射して、夜神さんの八重歯が不気味に光る。

 ……冗談とかじゃない。彼女は本当に俺の血を吸うつもりだ。


「――っ」


 身の危険を感じた俺は、コンビニに行くのを諦めて、その場から逃げ出す。

 しかしただの人間が吸血鬼から逃げ切れるわけもない。夜神さんは目にも止まらぬ速さで、俺の目の前に回り込んだ。


「逃がさないよ」


 その言葉通り、夜神さんは俺を抱き締める。

 真夜中の抱擁なんて、表現だけだとドキドキするけど……現実は違う。人を超越した膂力で拘束された俺は、身動きが取れなくなっていた。


「君のこと、前から良いなって思ってたんだよね。君なら良いよ、私を好きになっても」


 意味のわからないことを言ってから、夜神さんは俺の左側の首筋に噛み付く。

 体内から、少しずつ血液が吸われていき、そして……俺は意識を失った。


 翌朝。目を覚ますと、俺は自室のベッドにいた。


「……どういうことだ? 俺は昨日、夜神さんに血を吸われた筈じゃなかったか?」


 意識を失っていたから、自分で部屋に戻ってきたとは思えないし。となると、血を吸われたというのは夢だったのか?


 常識的に考えたクラスメイトが吸血鬼だなんてあり得ないし、きっとそうだろう。

 そうやって自己完結させながら、何気なく左の首筋に触れると……そこには血を吸われた証拠と思われる痕があった。





「――ってことがあったんだが、信じられるか?」


 血を吸われたとはいえ、不思議と体調が悪いわけじゃない。仮病は好ましくないので、俺はいつも通り登校した。


 教室に着くなり、俺は幼馴染の浜野眞奈美(はまのまなみ)に昨夜体験した出来事を話す。

 眞奈美の反応は、当然のことながら驚いていた。


「夜神さんが吸血鬼で、その夜神さんに噛まれた!?」

「ちょっ! 声が大きい!」


 夜神さんが本当に吸血鬼だったなんて、他の人に知られたら一大事だ。眞奈美もそのことを理解したのだろう。慌てて自身の口を押さえた。


「それ、本当? 夢オチとかじゃなくて?」

「俺もそうかと思ったんだけど、物証があるからなぁ。ほれ」


 俺は首筋の吸血痕を見せる。


「うわっ、綺麗に歯形が残っているわね。……なんかエロい」

「血を吸われてなかったら、な」

「でも夜神さんに血を吸われたってことは、彼女のことを好きになっちゃったってこと?」


 突然眞奈美が、訳の分からないことを言い始めた。


「何でそうなる? 女の子に噛まれたから恋慕するとか、そんな性癖はない」

「性癖じゃなくて、吸血鬼の性質の問題よ」

「吸血鬼の性質? 月夜に力が増すとか、十字架が苦手とか?」

「そう。他にも吸血鬼には人を魅了させる性質があってね、噛まれると、好きになってしまうらしいわよ」


 何でもそれは、他の吸血鬼に横取りされない為の一種のマーキングみたいなものらしい。

 

 眞奈美と会話を続けていると、夜神さんが登校してきた。

 今までそんなこと一度もなかったのに、夜神さんは自席に向かう前に俺に近づいて来る。


「西條くん、おはよう」

「あぁ、おはよう。……ということは、俺は本当に夜神のことを好きになったっていうのか?」

『ちょーっと待ったぁ!』


 夜神さんに挨拶をしてから眞奈美との会話に戻ると、当の二人から静止をかけられた。


「あんた、夜神さんのこと好きなんでしょ!?」

「そうだよ! 私のこと好きなら、挨拶されたらそれで終わりじゃないよね!? もっとお喋りしたいと思うのが普通だよね!?」


 どうやら二人は、俺の夜神さんへの対応に納得がいっていないらしい。

 好きな人と、沢山会話したいというのは、当然の感情である。その主張には、俺も全面的に同意する。


 だからこそ、そうしているつもりなんだがーー


 俺はチラッと、眞奈美を見る。

 俺は昔から、眞奈美が好きだった。彼女との付き合いはもう10年以上になるけれど、この気持ちを忘れたことはない。


 吸血鬼に血を吸われた、今でさえも。


 この気持ちが移ろいでしまわないように、俺は何度だって自分に言い聞かせよう。

 俺は、眞奈美が好きなのだ。





 その日の深夜はどこにも出掛けず、俺はベッドの中で熟睡していた。

 そろそろ日付も変わろうかという時刻に、ふと体の上に何かが乗っかった感覚に見舞われる。


 ズシンと襲い掛かる重さに睡眠が阻害され、俺は目を覚ます。目線を胸部にやると、夜神さんが俺に馬乗りになっていた。


「……どこから入ってきたんだよ?」

「真夜中はどんな場所でも自由に行き来できる。それこそが吸血鬼の特性」

「吸血鬼の特性、何でもありだな」


 吸血鬼は万能だと言われても、今の俺なら信じてしまうだろう。ただ一つ、「噛んだ相手を惚れさせる」という性質を除いては。


「で、何の用だよ? また血を吸いにきたのか?」

「君の血は美味しかったからね、もう一度吸うのも悪くない。でも、今はそんなことより大事なことがある」


 グイッと、夜神さんは俺に顔を近付ける。


「血を吸われたにも関わらず、私を好きにならなかった。そんな男は、君が初めてだよ。これが何を意味するのかわかるかい?」

「……さあ?」

「屈辱さ」


 夜神さんの八重歯が光る。

 また血を吸われるのかと思い身構えると――夜神さんは牙ではなく、唇を押し付けてきた。


「!?」


 ゼロ距離まで接近した夜神さんの顔。

 肌が綺麗だな。まつ毛が長いな。唇が柔らかいな。遠くから眺めているだけでは知り得ない情報が、次々と蓄積されていく。


 やがて夜神さんは俺から唇を離すと、妖艶に微笑みながら尋ねてきた。


「どう? これでも私を好きにならない?」

「……正直言うと、意識しないわけじゃない」

「だよね」

「だけど、やっぱり夜神さんを一番とは思えない。確かに好きになりつつあるのかもしれない。今だって、凄くドキドキしている。それでも……俺は眞奈美を誰よりも愛している」


 血を吸われようが、キスをされようが、仮にそれ以上の行為をされたって、俺の眞奈美への想いは揺らがないだろう。

 

「どうして……この私がここまで体を張って、それでも好きにならないなんて。……まさか!」


 何を考えたのか、夜神さんは俺の首筋に手を伸ばす。


「血を吸った痕がある……」

「そりゃあ昨日、お前に吸われたからな」

「違う」


 血を吸ったことは事実だし、現に首筋に物証がある。どんなに否定しようとも、その事実は覆せない。

 しかし夜神さんは、血を吸った事実をなかったことにしようとしているわけではなかった。

 

「私が牙を突き立てたのは、こっち側の首筋じゃない」

「……え?」


 俺は左の首筋に触れる。確かにそこには、夜神さんの付けた吸血痕があって。

 しかし夜神さんが今見ているのは、右側の首筋だった。

 

 血を吸われた痕は、もう一つあったのだ。


「これって……どういうことなんだ?」

「簡単な話だよ。私以外に、それも私よりも前に君の血を吸った吸血鬼がいるってことだよ」

「だけど、夜神さん以外に吸血鬼の知り合いなんて……」

「君が知らなかっただけさ。知らないうちに、君は彼女に血を吸われていたんだよね。覚えてもいないくらい昔に、ね」


「正体がわからないだなんて、言わせないよ」。夜神さんは言う。

 わからないわけがなかった。俺にもう一つの吸血痕を付けたのは――眞奈美だ。


 幼馴染の眞奈美なら、俺の記憶にないくらい昔に、俺の気付かないところで血を吸うことくらい造作もない。

 それに眞奈美が吸血鬼に詳しいことだって、納得がいく。


 夜神さんは俺から離れると、「ハァ」と溜め息を吐いた。


「既にマーキングされていたのなら、私に惚れることなんてある筈もないね。全く。折角美味しい血の持ち主を見つけたというのに」


 夜神さんは、心底残念がる。

 だけど、夜神さんは一つ勘違いしている。


「夜神さん」

「ん?」

「眞奈美が何で俺の血を吸ったのかはわからない。でもたとえ血を吸われていなかったとしても……俺は眞奈美を好きになっていたと思う。だって俺は――」

「ストップ」


 夜神さんは、俺のセリフを遮る。


「そこから先は、浜野さん本人に言うべきだね」





 目を瞑ってと言われたので、俺は指示通り目を瞑る。

 数秒後、「良いよ」と許可が出たので、手を開けると……そこは眞奈美の部屋だった。


「これは……」

「吸血鬼の性質よ」

「……ですよね」


 俺と夜神さんが突然自室に現れたというのに、眞奈美はこれっぽっちも驚いていない。

 それこそが、眞奈美=吸血鬼だという証明になった。


「何の用よ、夜神?」

「私じゃないさ。君に用事があるのは、彼の方だよ」


 夜神さんと二人でいることで、眞奈美は全てを悟ったのだろう。彼女は寂しそうに笑った。


「バレちゃったのね。私が吸血鬼で、賢の血を吸ったことがあるって」

「まぁな」

「私も知っていたのよ。賢が私を好きでいてくれているって。でも、それは賢の本当の気持ちじゃない。吸血鬼の性質の影響なの」


 もう何度聞いたかわからない「吸血鬼の性質」。……正直、もううんざりだった。


「眞奈美が何で俺の血を吸ったのかはわからない。でもたとえ血を吸われていなかったとしても……俺は眞奈美を好きになっていたと思う」


 俺はさっき夜神さんに言ったセリフを、そっくりそのまま繰り返す。そして続け様に、さっき言おうとしていた俺の本心を口にした。


「だって俺は――朝に弱いところとか、わがままなところとか、素直じゃないところとか。そういう眞奈美のダメなところも、好きだと思ってしまうんだから」


 俺は夜神さんに血を吸われて、彼女が魅力的だと感じてしまった。だけどそれは、夜神さんの良いところが一層魅力的に思えてしまっただけの話で。


 眞奈美の全てが好きなこの気持ちは、間違っても血を吸われたことが原因じゃないのだ。

 

「これは賢も知らないと思うけど……私、賢のこと好きなの」

「うん」

「賢以外の人間の血を吸ったことはないし、これからも吸うつもりはない」

「うん」

「だからね、賢も約束してくれる? もし他の吸血鬼に血を吸われたとしても、私以外の女の子を好きにならないって、約束してくれる?」


 そんな心配、する必要なんてない。約束するまでもなく、俺は眞奈美にぞっこんなんだもの。

 ただそれを「吸血鬼の性質」だとは、もう二度と言わせるつもりはなかった。

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