第8話 王太子と公爵子息(Side:王太子エミリオ)
7時と17時に予約投稿してます。飛ばさないようご注意ください。
「王太子殿下に、お願いがあって参りました」
執務室への来客は、公爵家の嫡男ジェレミア=ヴィルガだった。
この二年間で習得した誰もが親しみを覚えるという笑みを浮かべ、僕は固い表情のジェレミアに微笑みかけた。
「叶えてあげられるかは分からないけれど、話は聞くよ」
「妹からの婚約の打診は取り下げさせます。ですから、サリア=リルセットとの婚約を破棄していただけないでしょうか?」
彼の口から語られるそれは予測できた内容で、僕は驚かなかった。
けれど、前置きもなく要求をストレートに告げるその方法は、あまり賢いやり方とは言えない。僕の記憶にある普段の彼とあまりにそぐわない。
きっと、それだけ焦っているんだろう。
「何を言っているのかな。僕の婚約と君の妹の件は関係ないよ。それに、僕とサリア嬢はお互いに好意をもっている。それ故の婚約なのだから、君に口出しされるようなことではないよ」
「殿下が、二年後にイシュマイルの姫とご婚約されるというのは周知の事実です。殿下とサリア嬢との婚約が妹との婚約を避けるためのものだということも知っております。逆に言えば、王家が扱いに困る縁談はこの国では我が妹ぐらいでしょうから、それさえなければ殿下は婚約の必要などないはずです。のちにご婚約されるイシュマイルの姫君のためにも、この二年身辺をきれいにされておいた方が、よろしいのではないでしょうか? 悪い条件ではないと思いますが」
「信じてもらえないようだね、困ったな。ひょっとしてこの婚約が格差婚約だという噂を信じているのかな? 王家の人間がそんなことをするとでも?」
「殿下がそう言わざるを得ないのは存じております。しかし、王家に伯爵令嬢は迎え入れることはできない」
それは事実だ。
今はまだ。
彼は、僕の沈黙を肯定と受け取ると、食い入るような表情で、必死に続けた。
「すぐに破棄することが難しいのであれば、せめて、あなたが婚約破棄された後、サリア嬢を、私に頂きたいのです。ただでとは言いません。代わりに、このジェレミア=ヴィルガの終生の忠誠を。裏の仕事も、魔術誓約も厭いません」
「――なぜ、そこまで?」
「彼女の魅力を殿下に語りたくはありません」
「そうだよね。無理に言わせようとして悪かったね」
わかるよ。ヴィルガ。君も彼女に魅せられてしまったんだね。
あの強さと清廉さに。
僕も必死だったからわかるよ。
でも、渡せない。
「君が彼女に好意を持っているのは知っていたよ。でも、すまないね。僕も同じだよ。彼女を手放せないんだ」
「わかりません。殿下と彼女に接点はなかったはずです――なぜ、彼女を選ばれたのですか」
下を向いて震える手を握り締める彼に、奪い取った者として、彼がこの恋に見切りをつけるための餞別を送ろう。
「彼女は、『無意味で、無価値な僕』を認めてくれた唯一の人だから」
ジェレミアは訝し気に眉を顰めるが、その後、みるみる目を見開く。
僕は、卓上のベルを鳴らすと、近侍を呼び出した。
「ヴィルガ卿がお帰りだ。お見送りを」
その侍従の姿――あの時、自分が制裁を加えた青年の姿を見て、彼は叫ぶ。
「俺への復讐のつもりか!!」
「そうとるとは残念だよ。同じ光に惹かれた者同志、少しは分かり合えるかと思えたのに」
でも、そう見えてしまうのは仕方ないかもしれない。準備が整わない段階で彼女との婚約を強引に進める決意したのは、ジェレミア、君がサリア嬢に婚約を打診したと聞いたからなのだから。
「ならばなぜ泣かせるのですか!? あなたに任せてはおけない!」
かけつけた近衛に取り押さえられるように執務室の奥に押し出されるジェレミアの姿を見送る。
彼の瞳の奥にあったのは怒りだった。
「泣かせた?」
僕が、彼女を?
僕は首を振る。
残念ながらそれは違うよ、ジェレミア。
泣かせたのなら、きっと僕ではない。
彼女は、クアッド=ベネディッティへの思慕に涙を浮かべたのだろう。
僕にはまだ、彼女の心を動かせるほどの価値など、あるはずがないのだから。