1-1.帰郷
七年振りに故郷を訪れた私を迎えてくれたのは、帝都より幾分か涼しい皐月の風であった。
初夏の陽光が盛岡駅の円形停留所に停まる数台のバスを照らしている。米国から輸入されたばかりの大型車輌は次々と乗客を吐き出し、それと同程度の人数を呑込んでは走り去っていく。
当然ながら地方都市である盛岡は東京に比べて人も少ない。汽車から降りた数多とは言い難い乗客達は、東京人よりも緩慢な足取りでホームを出て行く。
西欧化を掲げ邁進を続けた明治も、天皇が崩御したことでいとも容易に終わってしまった。元号が明治から大正に移って早くも十年。欧米の文化や思想が我が国に流入するようになって久しい。蝕んでいったと云う方が適切だろうか。
出歩く連中の恰好も気取った洋服姿が増え、それを奇異の目で見る者も減った。モダンガァル、モダンボォイという蔑称も、何時の間にか好意的なものに変わっていた。
斯く言う私も、今日ばかりは東京の俸給労働者宜しく、紳士服に中折帽、手提鞄に洋杖という装いである。
さて、どうやって行ったものか。
目的地は朋友の経営する写真館である。自前の地図によれば、住所は中央一丁目の二番地、盛岡銀行本店の斜向かいに位置している。
バスを利用することも考えたが、徒歩で行くことにした。久方振りの故郷なのだ。己の記憶と現在の光景との差異を確かめたかったのだ。それに、この程度の道程を自動車や乗合馬車に頼りでもしたら、あの偏屈で気難しい友人に嫌味を云われてしまうだろう。
――嗚呼、嘆かわしい。君はそれくらいも歩けぬ軟弱者になってしまったのか。そんなんだから己が使命も本懐も見喪ってしまうのだ――と彼なら零すのだろう。
駅から県道を少しばかり東に進めば開運橋に行き着く。一級河川である北上川に架けられたトラス式橋長八○メートル程度の架橋であり、左右にはガス灯が設置されている。人や馬車、車両の往来が絶えず、荒々しい車が通るたびに土埃が舞い上がる。
聞けば、駅と市街を繋ぐこの橋は「二度泣き橋」という別名を持つらしい。転勤族の男共が語り出したのが由来らしく、初めて盛岡に赴任した際は「こんな僻地まで流されてしまった」と涙し、任期を終えた時には「この地を離れたくない」という離別に泣くという話があるのだ。尤も、私の場合は、泣くどころか忌まわしい地から去ることに安堵していたのだが。
開運橋から巌鷲山を見遣れば、山頂部分には微かに雪が残っている。私が覚えている風景と寸分違わない美しい山脈であった。
忌まわしい土地、か。
特筆理由があった訳ではない。帝国大学生という肩書きと帝都での暮らしに憧れたが故、東北の田舎でしかない盛岡に一種の侮蔑を抱いたのだろう。上京と時期を同じくして、私の実父が通り魔に斃れたことも少なからず関係しているのかもしれない。
何にせよ、所持していた屋敷や田畑を全て手放したがため、そして親類縁者もいないため、故郷と雖も下宿を探す羽目になったのだ。
帝国大学を卒業してからのことを語ろう。私は上野にある出版社に勤めた。帝大を出た者が学士の道を棄て俸給労働者になるなど明治の頃では考えられなかったが、大正になった今ではさほど珍しい選択でもないようである。
雑用や鞄持ちで一年。二年目からは記者という役目と大判カメラを渡され、取材に執筆と、多忙な日々を送っていた。漸く写真機の扱いも板につき、良い構図を撮る記者として界隈で名が知られるようにもなった。
大正改元を政府発表前に報道したあの新聞社からも声が掛かってはいるものの、私はその誘いを断り続けている。紙面に求められるのは、幼児でも撮れる分かり易い一枚なのだ。大衆性を満たせばそれだけでいい。情緒に欠けているとでも表現すべきだろうか。しかし、私が写真に欲しているのは芸術性である。
芸術と社会を天秤にかけることはできなかった。それは、写真に美学を抱いている同胞達に対しての排斥であり裏切りでもある。
だが、その決意も揺らいでいる。
誇りだけでは糊口を凌ぐのにも限界がある。社会と大衆に迎合するだけで、揺れ動く日本の情勢を民衆に知らしめる名誉ある職務と、それ相応の給金を得ることができるのだ。
己が本懐を捨てていいものか。私は後悔しないだろうか。
この葛藤に決着を付けんがため、私は恥を忍び帰省に踏み切った。美しい故郷の街と自然を撮り、発表する。有難いことに、会社は既に美術誌の頁は確保してくれている。
この反応で、己が、写真で美を表現するに足る人間であるかを試したいのだ。衆目を惹く一枚は、高度な技術と鋭い感性の融合によって初めて完成される。私にその才覚があるかを。
決意を固め直した時、赤煉瓦の館に着いた。
門の傍らにある青銅の看板には、厳めしい字体で『鷹木寫眞館』とある。
敷地内にある硝子戸付きの掲示板には、七五三であろう着物姿の娘の写真が貼られ、その横には軍服姿の青年の写真がある。出立前の記念だろうか。唇を引き結んだ凛々しい表情である。
写真に縁遠い者からすれば異国の化物屋敷か何かだろう。記者と写真家との狭間を彷徨している私にとっては、瀟洒に纏められた店構えでしかないが。
館の主には、本日この時分に訪うことは伝えている。
木製の扉に取り付けられた真鍮の把手には、営業中の札が吊られている。
彼と会うのは何年振りだろうか。姿形は変わっていないだろうか。結婚の報せは届いたが、幸せにしているだろうか。そうあってくれたら嬉しいのだが――と僅かな鑑賞を胸に、分厚い扉を三度叩いた。