■朋友からの手紙
前略。君が盛岡に戻るといふ話は聞いた。俺の写真館を下宿として使いたいといふことだが、生憎我が館は資機材で一杯なのだ。一部屋も空きが無い。赦して欲しい。その代はりと云つては何だが、或る知人の善意で、暫くの間、間借りの許可を貰うことができた。何でも其奴は紡績で成功した所謂成金で、近隣から其奴の城は蚕屋敷と呼ばれているんださうだ。大方、嫉妬や畏怖がさうさせるのだろう。実の処、そこに釈然としないものがあるのだが、まあ、それは会つた時に、茶でも飲みながら語ろうではないか。
蚕で思ひ出したが、君は蚕といふ蟲を知つているか。あれは蟲ぢやない、家畜だよ。人に飼ひ慣らされ、独りでは立ち行かなくなつたどうしようもない魍魎だよ。幼虫は脚が弱くて、桑の枝に捕まることも儘ならない。風に煽られればポトリと落ちて蟻の餌だ。縦しんば桑木にしがみついてゐても鴉の糞のやうな色だ。目立つて仕方ない。雀に啄まれてそれこそ本当の糞になつてしまふ。仮令数多の天敵の目を潜り、繭を営み蛹になつたとしても、嗚呼、そうだ。君は蛹の中身といふものを知つているか。俺も最近知つたのだが本當に不気味なのだ。人の理解を超えた得体の知れぬ生物だよ。何処かの国の何某といふ学者殿が調べたそうだが、蛹の中で、幼虫の躰はその殆どがドロドロに溶解してしまふ。そして粘土の如く零から捏ね回し、成虫の躰を創り上げていくのだ。
いやはや、如何とも形容難い恐れを覚えるものだ。蚕もさうだが、それを究明せんとした学者殿もな。何故蛹の中身を調べる事ができたのか、と君は云ふ事だろう。いやなに、容易な話だ。学者何某は蛹を真ツ二つに刻んだのだ。白い液体が溢れ出したとか何とか。
失敬、話が逸れてしまつたな。蚕は成虫となつても矢張り生きていけないのだ。あれは最早さういふ形に造り替えられた哀れな蟲だよ。なにせ奴等は口を持たないのだ。正確には口吻が退化してゐるのだが、まあいい。物を食むこともできず、飢へて死ぬしか路が無い。加へて、奴等にも翅はあるが、悲しい哉、あれは飾りだ。羽搏くだけの筋力を持合はせてはいないのだ。故に、奴等は稚児のやうな足取りで這ひ回り、番を見付け、交合するしかできない。それで蚕といふものは生涯を終えるが、残念乍ら綺麗な終わりなんかぢやない。
雄と雌は繋がつた儘動く気力も失せてゐる。すると何処から湧ひたのか蝿が集るのだ。もつと放つておけば、何時産み付けられたのか、蚕の腹を喰ひ破り、別の蟲が這ひ出てくる。蜂か虻の類だつたと思ふ。酷い個体になれば、黒い眼を突き破つて針金のやうな茸が生えてくる。見た目もさること乍らその悪臭は凄まじいものだ。養蚕家に依ると、膿と黴が混じつたやうな臭ひらしい。
扨、此処まで書いたのだ。君なら既に覚つてくれただろうが、蚕は未来を持たぬ。生まれた時分から否、生まれる前から人に繭を提供し煮殺される宿命を背負つてゐるのだ。縦しんば交配組に選ばれ生き長らへたとしても、結局は惨たらしい死が待ち受けるだけなのだ。
蚕とは、餌であり繭であり贄なのだ。
これが、蚕屋敷に君を紹介した俺からの忠告だ。繰り返す。蚕に幸福な未来など間違つても訪れやしない。深入りは避けることだ。努努、忘れ無きやう、どうか。
草々
大正十年 五月三日
鷹木康平
伊達夢明殿
追伸 君の得物は六櫻社の特注大判カメラだつたな。櫻花だつたかリリイ二号だつたかまでは流石に定かではないが。佳い写真が撮れたなら俺の写真館に飾らせてくれ給へ。代はりと云つては何だが、フイルム代やら現像の手間賃なんかは無償にしてやろう。君の旅路が安寧であることを祈つている。
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県議惨殺せる
盛岡市上田堤の畔で
犯人は不明近傍には女學生の屍体も
二十五日午前七時、市内高松一丁目上田堤で県議員伊達明義氏(四三)が何者かに刺殺されてゐるのを早朝警邏中の盛岡東署巡査が認めた。同氏の傍には同じく刺殺された娘が倒れてゐた。後の調査に依ると同女は某私立学校に在籍する女學生、市内在住誠二郎の娘、高畠ふみ(一五)である事判明。両名共に鋭利な刃物で頸部腹部大腿部その他を切りつけられてゐた。現在の処犯人は見付かつておらず又目撃証言もない。同氏と女學生に面識なく、盛岡東署は手配厳探中であるが、同氏に害意を持つ者の犯行であり、女學生は巻込まれたとする見解が濃厚である。
二十六日捜査本部が設立され、榊原諒太郎本部長は市内巡回を強化すると共に、夜間不用の外出は避けるべきと制した。
(大正三年三月二十七日『岩手日々新聞』一記事より抜粋)